真夜中、泣く、鳴く、哭く
「いじめ、られていたの?」
眞野は少年の幽霊に問う。
少年の幽霊はただ落書きされた机の前に佇むだけだった。
答えるわけもないことはわかっていた。
幽霊に安易に言葉をかける危険性みたいなものもあるだろうと、眞野は思っていた。
少年の幽霊が俗に言う悪霊であるなら、興味を引かし声をかけさせて呪い殺す様な怪談話に出てくるそれである可能性もある。
だが、眞野は聞かずにはいられなかった。
依頼書に僅かにも目を通してしまったから。
「いじめられていたから、その仕返しにいじめてきた生徒のペット達を殺した?」
最近、ペットが無惨に殺される事件が連続的に起こっているというのを眞野は噂で聞いたことがある。
小さな町で起こった事件であったので全国紙の新聞やニュース番組などには扱われることなく、あくまで口頭による伝聞で広がった噂だったので信憑性の無い都市伝説的なものだと思っていた。
しかし、この場にてあの依頼書を思い出してみるとその都市伝説にひっかかる部分が出てきた。
何故、“動物”の幽霊なんだろうか?
依頼を出すほどの被害あるいは目撃証言があるのなら、もっと特定されてもいいはずなのに。
スモークがかった窓に忙しく動く二条のシルエットが映る。
それを追いかける様に、ぼんやりと青白い光が見える。
きっとあれが二条の仕事相手なのだと、動物の幽霊なのだと眞野は思った。
その動物の幽霊が唸ったり吠えたりする度に、眞野は気持ち悪くなっていった。
あるいは犬、あるいは猫の鳴き声。
泣き声。
眞野自身ペットを飼ったことが無かったので気にも止めなかったが、犬は犬でも猫は猫でもそれぞれ声は違うのだ。
人がそれぞれ声が違うように。
次々と違う声が鳴く、泣く。
青白い光は一つしか見えないのに。
一つしか揺れないのに。
目の前の幽霊が、少年が殺したペット達の数だけ声がするのだろうか。
ならば、そのペットの飼い主達の数はどれほどになるのだろうか。
少年をいじめた生徒達の数はどれほどになるのだろうか。
ペットの飼い主の数イコールいじめた生徒達の数、ではないことはペットを飼ったことがない眞野には予想できた。
この一見普通の教室に同じ様に普通に並べられた落書きされた机の冷たさに、眞野は恐怖した。
ふいに、二条の言葉が頭を過る。
何故、彼はここにいるのか?
「殺された怨みは晴らした、というわけにはいきませんか……」
正直、二条は手こずっていた。
服は爪で引き裂かれボロボロになり、遅れをとった際に左肩を噛まれて肉を僅かに抉られている。
避けるのも困難な中、避けた足下にはガラスの破片が散らばっていてそれがまた二条の身体を傷つけていた。
怨念が強いためか無惨に殺されたペット達の霊は一つとなっていた。
通常なかなか起こり得ないことではあるが、少年への怨みというものが起こり得ないことを起こしてしまったのだろう。
しかし、悪霊という形になったとしても異例であれ怨みを晴らせば成仏できるはずであった。
少年を殺したのは紛れもなくこの動物達の幽霊である。
それは怨念が強いために今もこうして悪霊の様に残り続けているというわけではない。
怨みが晴らしきれていないのだ。
「生阪慶太郎。彼は自ら望んで殺されにやって来た。つまり貴方達は彼の自殺をただ手伝ったに過ぎなかった」
自分を殺した人間の望みを叶えてやる、というのはどれほど屈辱的なのだろうか?
「それでも……もう終わりにしましょう。安らかな成仏を」
二条は黒く細い針を投げつけた。
幾度となく繰り返された様に、動物の幽霊はそれを難なく避ける。
避けられた針は廊下へと突き刺さる。
二条から投げられた針を避けた動物の幽霊は、体勢を整えると二条に飛びかかった。
青白い光が今度は犬の形を成している。
狙いはまだ抉ってない右肩である。
二条はそれを避けようとはせず、むしろ一歩前に踏み込んだ。
胸ポケットから素早く護符を取り出すと、噛みつこうと口を開けた犬にストレートパンチの如く突っ込んだ。
動物の幽霊は突っ込まれた右腕を噛む。
青白い光に包まれた右腕から血が吹き出す。
ぐっ、と二条の苦痛の声が漏れる。
青白い光が二条の右腕にどんどんと食い込んでいく中、二条の右手には赤い光が溢れ出していた。
溢れた光は電流の様に迸り、動物の幽霊が避けて廊下に刺さっていた細い針へと流れる。
一本ではない、幾度と繰り返した攻防で刺さっていた何本かの針に赤い光が流れる。
そして、その光はまた右手へと逆流し赤い光は次第に球体状に膨らんでいく。
動物の幽霊は異変に気づいたが既に遅く、二条が右手に持った護符から発した赤い光は爆発した。
廊下が赤く光った。
それが“終わり”なのだと、眞野は感じていた圧迫が無くなったので理解した。
少年の幽霊も空気に溶けていく様に消えていった。
最後の瞬間に少年が笑ったように眞野には見えた。
何故笑ったのか聞いてみたかったが、そこにいる少年は最早無惨な死体であった。
「仕事が終わりました。引き上げましょう」
ドアを開けて二条がそう言う。
ボロボロな姿だったが、まるで何事も無かったように平然としていた。
「彼は、どうするんですか?」
「彼の意見を尊重してあげましょう」
最後ぐらいは、と二条は続けた。
眞野は素直に頷けなかったが、だが自分がしてやれる事が何なのかもわからなかった。
夜が明けて登校時間になったらこの教室にやってきて、生徒全員、いや教師も含めてぶん殴ってやろうかとも思ったが、きっとそれは自己満足なのかもしれないと頭を横に振った。
「ああ、そうだ。帰る前にグラウンドにいる方々を開放してあげないと。眞野さん手伝ってもらえますか、一人で縛るの苦労したんでもう懲り懲りで。あ、何処か喰われてるかもしれないので、見ても吐かないように」
二条の言葉に眞野は何を言っているのか一瞬わからなかった。
何か冗談を言っているのか?
しかし、この二条という男、冗談じみた物言いはするものの決して冗談は言わない男だ。
眞野は少し考える事にした。
今後アルバイトを続けていくかどうかを。
貪り喰らうは心か身体か 清泪(せいな) @seina35
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