真夜中、廊下、護符、祓いたまえ
教室を出た二条は後ろ手で素早く教室のドアを閉めると、上着の胸ポケットから護符を取り出しドアに当てた。
紋様の様な字が筆書きされた紙が青白い光を放ちドアに貼りつく。
効力としては小さいもののこの護符一枚で教室への霊体の入出を邪魔する事ができる。
あくまで、邪魔、なので完全な防備ではないが今から相対する相手が嫌がるのは間違いない。
嫌がった相手が二条に専念してくれればそれでいいのだ。
唸り声が聞こえる。
吠えているわけでもないのに校舎全体に響いているようだ。
一年生の教室は校舎の三階にあった。
二条は廊下の窓からグラウンドを見渡した。
護符と同じ様な青白い光を放つ何かがグラウンドの端にいた。
二条が“それ”を見つけたのと同時に、“それ”は二条を見つけたのだろう。
目が合った、二条が“それ”の視線を感じた刹那、“それ”は既に二条の目の前に現れていた。
護符の貼られた教室以外の校舎三階の窓が一斉に割れる。
音の無い静かな破裂。
咄嗟に後ろに飛び退いた二条の周りにもガラスの破片が散らばっていた。
何かが始まった。
一年四組の教室でただ座って待っているだけの眞野にも、それは感じることができた。
教室の窓は下半分がスモークがかっていて、廊下の状況を確認することは出来ない。
目で見てわかるのは、二条のシルエットぐらいだ。
しかし、ガラスが落ちた音と息苦しくなる圧迫。
渡された護符を両手で持っているが、少し熱くなったように感じる。
寒気と恐怖で眞野は落ち着かずにいた。
こういう時に念仏でも唱えれたら少しは落ち着くのだろうが、眞野は自分の家の宗派すらろくに憶えていなかった。
確か親戚の誰かが亡くなった時に無理矢理連れていかれた葬式で念仏は聞いたはずだが、うろ覚えのそれを唱えて効果はあるのだろうか。
下手に逆効果だったら目も当てられない。
渡された護符の文字でも読もうかと思ったが、案の定読めるような文字では無かった。
溜め息すら悪い何かを呼び寄せるんじゃないかと思った眞野は、ふと惨殺された少年の死体に目をやってしまった。
見たくなかったのだが、気になってしまったのだ。
両手に持った護符と同じ様に青白い光を少年の死体が放っているのが視界に入ったから。
少年の死体は青白い光を放ち、立ち上がった。
眞野も驚きと恐怖に立ち上がった。
身体中が貪り食われていて本来なら立つという状態すらままならない少年の死体。
しかし、立ち上がった様に見えたのは放たれていた青白い光。
少年の形を成した青白い光。
ああこれが幽霊なんだ、眞野は妙に納得した。
外にいる唸り声の主の様な圧迫は感じないが、寒気だけは増していた。
あまり近寄ると生気とかを吸われるのかもしれない。
眞野はゆっくりと後退りする。
しかし、少年の幽霊はその眞野へと近づかんとばかりにゆっくり動いた。
「教室にいれば安全なんじゃなかったの、二条さん!?」
眞野の憤りは二条には届きはしなかった。
ゆっくりと後退りながら眞野は後ろの壁までの距離を測っていた。
使いなれた教室なので距離感は確かなものだ。
あと数歩下がれば壁だ、追いつめられる。
いっそ手に持った護符でも投げてやろうと眞野が思い至った瞬間、少年の幽霊は動きを止めた。
ある一つの机、酷く落書きされた机の前だった。
二条は掌ほど長さがある黒く細い針を“それ”に投げつけた。
“それ”――犬の形をした霊体は飛び退けて避け、廊下に着地する。
霊体となり形自体は炎の様に揺れてぼやけているのに、犬の様に四つ足で構えて二条を威嚇する。
間髪入れずに犬の形をした霊体は後ろ足でガラス散らばる廊下を蹴ると、二条へと飛びかかってきた。
蹴られた場所には青白く光る小さな炎が揺れて、消えた。
霊体は飛びかかってるその最中、形を変えていく。
青白い光が波打ち、犬であった霊体は猫へと変わっていく。
前足の部分に長く鋭利な爪が生える。
吠える声も犬のそれではなく鋭く甲高い声に変わる。
二条は霊体の動きに合わせるように後ろに倒れた。
昔、大流行したSFアクション映画の様に上半身を反らす。
ブリッジの姿勢になるまで反らした二条の身体の上を霊体が過ぎようとしていく。
二条は廊下に手をついて完全なブリッジの姿勢を取った。
映画の様なスタイリッシュな格好良さは無い。
手には散らばっていたガラスが突き刺さっていて、血が滲んでいる。
二条はその痛みを物ともせず、さらに力を入れた。
霊体をオーバーヘッドキックするように蹴りあげた。
霊体が見事に吹っ飛ばされた。
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