第19話
当子様に昼間市で買ってきた、翡翠の勾玉の髪挿しをお渡しする。
と言っても、当子様は御簾の向こう側におられるため、女嬬が仲介した。
「ああ、これ……」
「ご所望のとは違いました?」
「別にこれでいいわ」
気の抜けた言い方に、僕は、小さくため息をつく。
「もしかして、髪挿しは口実でしたか?」
「……」
「僕を斎宮から遠ざけておきたかっただけでしょう。光祐を呼ぶために」
「……」
沈黙が肯定を意味している。
「ごっこ遊びも結構ですが、光祐をそんな事に使うのは二度とおやめください」
「うるさいわね……」
「何です?」
「うるさい」
「うるさい?」
「そう、うるさいわっ! 私だって、反省しているわよ!」
御簾越しで表情は見えなかったが、何かを投げつける音もした。
昨年、斎宮で再会したばかりの頃の当子様は、多少取り澄ました様子でいらしたけれど、最近は僕に対して遠慮がない。
「まあ、そうやっていると兄妹喧嘩のようですわね」
いつの間にか中将内侍が後ろで微笑んでいた。
「あら中将! やっともどったのね」
「遅くなりましたが……こちら少将様からです」
と、持っていた包みから衣を取り出す。
先程差し上げようとおっしゃっていた、道雅様の単だ。
当子様は御簾をめくりあげて飛び出てきた。
度々ある事なので驚きもしない。
「え! くださるの? 右近少将は怒っていないの?」
「子供のやることだからと笑っておいででしたよ」
「そう。なら良かった。あら、これ、袖に何か書いてあるわ」
当子様と中将内侍、女嬬も一緒に袖を覗き込む。
「顕成も見て!」
そうおっしゃって、僕に見えるように単を持ち上げ、袖を広げた。
確かに優雅な書跡の仮名が並んでいる。
――きみありと きくにこころを つくばねな みねどこひしき なげきをぞする――
(美しい方がいらっしゃるとお聞ききし、お会いした事もないのに恋煩いしています)
「和歌……」
「そうよ、これ、落窪物語の右近少将の
「まあ粋な事を……」
中将内侍は呟く。
単を両手で掲げ無邪気に笑う当子様の顔は、道雅様が言うように、まだ幼かった。
当子様は突然、はっとしたように静止して僕を見る。
「顕成、あなた今から詩を書いて」
「どうして」
「お返事しなきゃ。あなた上手でしょう」
「代筆ならいいですが、詩は作れません」
「どうしてよ。詩作も優秀だって聞いたわよ」
冗談じゃない。
戯れでも恋の詩なんて作りたくない。
「斎姫様、少将様はもうここを出られましたよ」
「あら、どうして?」
「国府の辺りに用があるそうで」
「そうなの。じゃあ仕方ないわね。もういいわ」
意外にも当子様はすぐに諦めてくれた。
「それに若君――顕成君ともお別れになりそうです」
え?
「どうしてっ?」
僕の代わりに当子様が叫ぶ。
「顕成君、あなたを養子に迎えたいという方がいらっしゃるのです」
養子――
突然の話に驚いて声が出ない。
「そんなの、嫌よ! 断って!」
当子様がまた叫び泣き出した。
「月姫に続き顕成までいなくなっちゃうなんて嫌! 中将内侍が家族になってあげればいいじゃない!」
「斎姫様。中将だった夫が生きている頃ならまだしも、私では後ろ盾になれないのです」
「じゃあ私も父君の所に帰る! もう置いていかれるのは嫌!」
その場で両袖を下に突っ伏して、当子様はわああと泣き崩れた。
僕は呆然としたまま、その背中を眺める。
中将内侍の表情は厳しい顔つきに変わった。
「斎姫様。斎王が帰られるという意味が分かっていらっしゃるのですか? 帝が退位されてもいいという事ですか?」
「そ、それは駄目」
「ただでさえ帝は常に左大臣様と闘っておられるのです。斎姫様はしっかりとお務めを果たしていただかないと……」
「父君と左大臣が? なぜ?」
当子様は顔を上げて中将内侍を見た。
「それは、またおいおいお話致します――」
当子様が落ち着かれて御帳台に戻られた後、庇に移動し、改めて中将内侍から説明を受けた。
僕を養子にと声をあげて下さったのは、蔵人の藤原頼成様という方で、僕の生母の姉、つまり叔母の息子だという。
その叔母も僕の母も、六条宮様のお邸で雑仕女という下級の女官だったそうだ。
ただ、年の離れた姉妹なので同時期に勤めていたわけではないようだが。
六条宮様と叔母は恋仲になり、生まれたのが頼成様だった。
しかし叔母はまだ赤子だった頼成様を残して亡くなってしまう。
当時の六条宮様はまだ若過ぎて、頼成様を養子に出すしかなかったそうだ。
「つまり、頼成様と顕成様は従兄弟同士なのです。離れて暮らされていたので、顕成様の事をご存知でなかったそうですが、話を聞いて是非にとおっしゃられたとの事ですよ」
――従兄弟同士?
後に僕の母も六条宮様の目に留まり、僕が生まれたのであれば、兄弟ではないのか?
そう言えば、中将内侍から僕の父親についての話を聞いた事がない。
僕も人が噂している話を聞いただけだった。
僕が落胤と言われているのは――六条宮様は、僕を引き取り育ててはくれたが、社会的に認知されていないからだ。
だから大っぴらには親子である事を口にできない、そういう事なのだろうか?
視線を感じて中将内侍を見ると、目に涙を浮かべて僕を見つめていた。
「若君、どうなさいますか? 気が進まなければお断りしても――」
「いえ、行きます!」
暁月夜に君は飛ぶ 斎藤三七子 @mami9721974
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