第18話
十八
「この度は、本当に申し訳ございません!」
右近少将道雅様の前で、中将内侍と僕は並んで頭を下げた。
「ふっ……、ははははは」
道雅様はお腹を抱えて笑う。
その前には二枚の衣が並んで置かれている。
「つまりは、斎王様のお戯れだったと言うことだな」
光祐が少将様の滞在中の部屋に侵入し、単を盗み出したのは事実だった。
そして、その足で内宮まで行き、女嬬に渡したようだ。
当子様はその単を受け取ると、自分の単を女嬬に渡し、少将様の所にこっそりと置いてくるように申し付けた。
女嬬は建物の中に入る勇気はなく、軒下へ置こうとしていたところを僕に見つかったという訳だ。
単の交換――後朝の別れ――を模した戯れ。
当子様は今は「落窪物語」に登場する右近少将に憧れを抱いていて、京からまさに右近少将様が来ていると聞き、思いついたらしい。
そして当子様に片想いしている光祐は命を拒めなかった。
「命婦である私の教育が足りず申し訳ありません。罰するなら私を罰してください」
中将内侍は頭を下げたまま再度謝った。
「小伊勢」
道雅様は、笑い過ぎて滲んだ涙を袖で拭きながら中将内侍をそう呼ぶ。
「罰など考えていないから頭を上げなさい」
「でも」
「斎王――当子皇女か。これも何かの因果かな……」
「え?」
「覚えておらぬのか? ちょうど一年程前、私の従者が敦明親王の従者を拉致して暴行を加えるという事件を起こしただろう」
「さような事がございましたね」
「その従者がまた似たような事を起こしたのでね。親王と私が仲違いしていた事が影響しているから私にも責任がある。伊勢に来たのも、ほとぼりが冷めるまで京を離れるためだよ」
「なぜ仲違いだなんて」
「それは女性絡みで――まあ、いいではないか。しかし斎王様に恋人役に選ばれて、私も男冥利に尽きるとも言うものだ。また裳を身に付けられてからお誘いいただきたいかな」
まだ裳着前の当子様は裳は付けていない。つまり子供はまだ早いよという意味だ。
「こちらの単は返却させていただくが、私のは斎王様のお気持ちを汲んで改めて献上いたそう。よって盗難はなかった。放免だ」
放免――
「あ、光祐を許していただけるのですか?」
「何もなかったのに何を許すと? さあ、中に迎えに行ってあげなさい」
道雅様は部屋の奥に目線を流した。
「こちらに」
峰男とはまた違う従者が手を招く。
光祐は奥の部屋で腰の辺りを縄で拘束されながら――菓子を頬張っていた。
「あの峰男という奴、酷いんだよ」
道雅様の滞在する棟を出て、門扉までの道中を光祐と歩いていた。
「聞けばとんだ荒くれ者らしくて、先日も京で事件を起こして拘束されていたらしい」
「……親王様の従者に乱暴したとか」
「そう、それ。右近少将様の従者ならそれなりの貴族のはずだけど、あんな奴もいるんだな。俺も少将様が止めなかったら暴行されていたよ」
「……」
光祐は立ち止まり、僕と向かい合って頭を下げる。
「すまない。何の言い訳もしようがない」
「……斎王様の命だから断れなかった?」
「どんな理由でも、俺を側に呼んで頼ってくださったのが嬉しくて……」
「戯れとは言え、他の男の人との仲介役なのに」
「それでも良かったんだ……でもごめん」
何度も頭を下げる光祐を見て、僕は「はあ」と息をついた。
ちょうどその頃。
僕と光祐が去った後、右近少将道雅様と中将内侍は話を続けていた。
「あれが小伊勢のもう一人の乳母子か?」
「ええ」
「恐ろしく美しい童だな。男装した少女かと思ったぞ。あれは宮様ではなく母親似か?」
「ええ、年々あきに似てきて、私もドキッとする瞬間がよくあります」
「あき――か。私は覚えていないが、小伊勢と一緒に私の父上の邸の女童をしていた人だそうだな」
「いえ、あきは雑仕女でしたが――きれいで賢く、私の親友でした」
中将内侍は懐かしそうに目を細める。
「そうなのか? 小伊勢も――ああ、もう中将内侍と呼ばねばならぬな」
「小伊勢で構いませんよ、松の君」
「ふっ。私はよせ。しかし、彼はただの顕成と名乗ってきた。何故『源顕成』じゃないんだ? 帝から姓を賜ったとの書状をお前に託したはずだが」
「若君にはお伝えしていないからです」
「何故?」
「……」
「何か訳でも? まあ、よい。どうせすぐに『藤原顕成』に代わるのだから」
「え? どういう事ですの?」
「私は今回、彼を迎えにきたのだ」
「まさか、道雅様の養子に若君を?」
道雅様は吹き出した。
「違う。私じゃそう歳が変わらないではないか。小伊勢は藤原頼成をご存知か?」
「頼成様……ああっ!」
「そう、顕成と同じで六条宮様のご落胤。つまり別腹の兄弟になるのではないか?」
「し、しかし何故頼成様が突然……」
「前伊勢守が帝に働きかけたのだよ。顕成は多才で、人柄も優れていると。頼成を見つけたのも前伊勢守だよ。頼成は顕成の存在自体知らなかったようで驚いていたが、似たような生まれの彼の話を聞いて情が生まれたそうだよ。私が伊勢に行くと聞いて、顕成の事を頼まれたのだ」
「まあ。では、やっと若君に正式な家族が……」
小伊勢――中将内侍は袖で涙を隠した。
そんな話がされているのも知らず、僕は内宮へと向かった。
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