ライセンス
さくや はなこ
ライセンス
こんな日に限って外は雨が降っていた。
これから3年間使う運転免許証の写真は、少し癖のある髪がぼやっと広がったまま、額に前髪が張り付いた精気無い顔になっているはずだ。
それは別に可でもなく不可でもない。
イヤフォンから流れてくる音楽が、講習が始まるまでの時間を埋めてくれる。意気込んで持ってきた本を読む気にもなれず、息苦しいマスク越しにただひたすら時間が過ぎるのを待っていた。
免許を取ってから、自分はどれだけの道と時間を走ってきたのだろう。
行く当てもなくただひたすらドライブしてきた自分と、まだ長くを生きたとは言えないゴールの無い人生が重なる。
こんなジメジメした日も、あいつを乗せていろんな場所へ出かけた。まだ緑色の免許証だった。自分よりも運転が上手いくせに、あいつはいつも助手席にちんまりと座っていた。運転に疲れたと言うと、「変わろうか?」と言った。
そして、青色の免許に変わる頃、助手席から居なくなった。好きだった。とても。その後も色々なやつを乗せて走った。そんな事を思い出す。
18歳の誕生日が終わると急かされる様に皆が教習所へ通い出した。
最初に仮免とったやつ。
修了検定に落ちたやつ。
クランクで脱輪したやつ。
坂道発進が出来なくて、MTを諦めたやつ。
いろんなやつがいた。
それだけで途方もなく楽しかった。
そして、ついに大人になった今、普通に車を運転出来ることがデフォルトになってしまった。自分もそうする事が当たり前の様にそうしている。そうして、日々を送っている。
沢山の交差点を越えてきた。
車があれば、どこにでも行けると思っていた。そうではないと気が付いたのは、いったいいつの事だったか。
免許が更新されるのと丁度同じ様なタイミングで、人生も更新される気がしている。
例えば大学を卒業するタイミングだったり、新卒で入社した会社を辞めて転職し、東京へ出たタイミング。そして、有無を言うことも意義を唱える事もなく地方へ転勤となった今。
その度にライセンスは更新されていく。何度となく、その折々を通り抜けた。がむしゃらに走りすぎたのか、まだ免許の色は青色のままだ。
次の免許証は自分をどこへ連れて行くんだろう。そしていつかペーパードライバーの様に金色の免許証になるのだろうか。
挑戦しなくなったら輝くのだろうか。
まだ、その答えは見えそうにない。
ただただ走り続ける事に疲れた時に、運転を辞める事を覚えたらどうなるのだろう。
きっと、どうにもならないのだと思う。
きっと、ただ虚しさが増えるだけだろう。
きっと、もうどこにも行けないと嘆くのだろう。
今の何もない自分を嘆く様に。
そして、その事を楽しんでいるかの様に。
助手席もガソリンタンクも空っぽのままで、どこまで走れるのだろう。もう皆は高速道路をビュンビュンと走っているのに、どうして自分だけまだデコボコの田舎道を走るのだろう。怒りや不安や寂しさを抱えているのに、免許の有効期限がくれば、またなんの疑問も持たずに更新する自分が真っ先に浮かぶ。
人生の不可解さと、冷えた汗の感覚に身震いした。
廊下に人が増え、講師らしき初老の紳士が会場のドアを開けていた。会場の奥の窓から陽がさしている。
気がつくとガラス張りの待合にも太陽の熱がとどき、ノースリーブの女が陽の当たらないベンチに移動していた。
小さな矛盾はこの世界に沢山存在している。
「お待たせしましたー!お入りくだいー!」
見た目とは似つかわしくない嗄れた声で講師が誘導する。
そして、感傷のベンチから立ち上がった。
ライセンス さくや はなこ @hanaco_thoth
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