Daughter
埴輪
Daughter
好きだと想いを告げた時の、あんたの顔ときたら傑作だった。それだけで、答えが分かってしまったのは、結局のところ、俺も女だった、ということなのかもしれない。
最後の戦い。ガーディアンに乗ったのは、俺ではなくあんただった。やられたと思った時には後の祭り。途切れがちな通信。聞き取れたのは、娘という言葉。
あんたに娘がいることぐらい、知っていた。もうずっと会っていないことも。なのに、この仕打ち。それでも、あんたの願いを叶えてやろうと思ったのは、惚れた弱みだろうか。
※※※
目覚めると暗闇だった。正しくは、黒猫だった。ご飯の催促なのはわかる。でも、だからといって、主人の私を窒息させようというのは、道理が違うのではないかと思う。もっとも、クロは自分こそ主人であると思っているのだろうけれど。
クロの両脇に手を入れてどかし、ベッドから下りて、カーテンを滑らせる。朝の日差し。窓を開けて、深呼吸。流れ出すラジオ。身支度の合間に、クロのご飯とミルクを用意する。
ラジオは今日も戦争の終わりを告げていた。だが、実感はない。父がいないからだ。音信不通になって十年。二年前、母が亡くなった時ですら、何も連絡はなかった。
本当に戦争が終わったというのなら、なぜ父は帰ってこないのだろう。
※※※
──それは、僅かな違和感だった。耳鳴りにも似たそれは、やがて気のせいとは言えないほどの騒音となり、棚が、机が、床が、カタカタと、小刻みに揺れ続ける。
ドシンッと、大きな地響き。「きゃっ」と声が出て、反射的にコンロの火を止めた。足下ではクロがぼわっと膨らんでいて、私は思わず抱きかかえると、窓から外の様子を窺う。店からやや遠く、駐車場代わりの広間に、片膝を突いた漆黒の巨人がいた。
「……何、あれ?」
理解よりも先に、私は走り出していた。店内を突っ切り、扉を開け、巨人へと向かう。
「お父さん!」
巨人の胸が上向きに開き、中から姿を現したのは、背の高い女性だった。黒服に丸いサングラス。女性が飛び降りると、クロがもぞもぞと動きだし、私の腕の中から飛び降りる。
「クロ!」
「……おい、なんで俺の名前を知ってんだ?」
女性はサングラスを外した。青い瞳に見とれる。
「え、いや、あの、猫の名前で──」
「教官の奴、俺にペットと同じ名前をつけるとは、いい度胸だ」
「あの、あなたは?」
「クロ。その金髪、あんた、アリシアだな」
私が頷くと、クロ……さんは、手紙を差し出した。差出人は……父さんだった。
「あの、父は──」
クロさんはすたすたと店の中へ。私もその後を追った。クロさんは店内を見渡しながら、キッチンへと向かい、フライパンからベーコンエッグをつまみあげると、口の中へ。
私の朝ご飯……クロさんは続いて私のコーヒーにまで手をつけた後、ポケットから煙草の箱を取り出した。その青い箱を見て、「あっ」と声が出てしまった。
「禁煙か?」
「いえ、父と一緒だなって」
「やたら高いんだよな、これ。でも、教官はずっとこれでさ」
「教官って、父のことですか」
「そ」
「あなたも軍人なんですね」
「元、だけどな」
「父とは親しかったんですか?」
「恋人」
私が目をぱちくりすると、クロさんはにやりと笑った。
「半分だけ、な。俺からの一方通行、片思いって奴だ」
「……好きだったんですか、父のこと」
「悪いか?」
「いえ。……ただ、驚いてしまって。父はもう、五十は超えてますから」
「まぁ、おっさんだよな」
「それで、父は……」
「読まないのか?」
私は手紙を強く握り締めた。この中には、きっと。
「言ってやろうか?」
「……読みます」
私はレジ下の引き出しからペーパーナイフを取り出し、封を開ける。「これをお前が読む頃には……」から始まるその手紙は、自らの死、そして、妻と娘のことが綴られていた。
読み終えた手紙を、私はペーパーナイフと一緒に、引き出しの中へと仕舞う。溜息。
「泣かないのか」
「嫌いでしたから。お母さんも、私も、置き去りにして」
「そうか」
「……怒らないんですね」
「教官が誰のために戦っていたかなんて、あんた、百も承知だろ?」
「……父の、どこが好きだったんですか?」
「さてね。……おっと、こいつを忘れてた」
クロさんは私に何かを放り投げた。両手で受け止め、目を落とす。鍵、だろうか?
「認証キーだ。ガーディアンのな」
クロさんが窓を指さす。その先には、漆黒の巨人。
「教官の願いさ。あんたにってね」
「……あれを、私に?」
「そ。どうするかはあんたの自由だ。売り払ってもいいし、乗り回してもいいし」
「乗れませんよ! こんなもの、貰ったって──」
「こんなものはないだろう? 父親の墓標だぜ?」
「え……」
「最後の作戦。俺が乗る予定だったのに、教官が乗っていた。だから、俺が教官を殺したようなもんさ。だから、あんたは俺を好きにしていい。殺したって構わない」
──沈黙。やがて、ポーンと柱時計が鳴った。開店の時間が迫っている。
「じゃあ、好きにさせてもらいますね」
私は手にした鍵をエプロンのポケットに落とし、クロさんへ歩み寄る。
※※※
年中無休。それが、喫茶店「琥珀亭」の誇りだった。父がいなくなった日も、母が亡くなった日も、休むことはなかった。そして、今日も。
「……なんでこんな格好しなきゃならねぇんだ」
クロさんには私の服に着替えてもらった。丈は少し足りないけれど、厳めしい軍服姿では、お客様も落ち着いてコーヒーを楽しめなくなってしまうだろうから。
「こんなひらひらで、ぶかぶかの──」
「ぶかぶかは余計です! それに、好きにしていいって言ったじゃないですか!」
私は最後に、去年の仮装パーティで使った猫耳を、クロさんの黒髪に載せた。訝しがるクロさんの腕を引っ張り、姿見の前に誘導する。
「……よし!」
「よしじゃねぇ!」
「似合ってますよ! ……あ、いらっしゃいませ!」
常連のお爺さん。毎朝、決まった時間に訪れる、店の柱時計より正確なお客様だ。
「おはよう。外の黒いの、凄いねぇ。 ……おや、新しい店員さんかい?」
「おはようございます! えっと、こちらはクロさんです!」
「クロさんかい。よろしく頼むよ」
お爺さんはにこにこと、窓際の指定席に腰かける。それを目で追っていたクロさんを、私は軽く肘で突いた。
「……ほら、ご注文を聞いてきてください」
クロさんは窓際に向かうと、腕組みしてお爺さんを見下ろす。
「爺さん、注文は?」
「こら! もっと丁寧に──」
「クロさんは、どこの生まれだい?」
「おいおい、世間話はいいから──」
「お話するのもお仕事よ」
クロさんは観念したように、お爺さんの向かいの席に腰を下ろした。
「……生まれなんてわからねぇよ」
「そうかい。それは、気の毒なことだ」
「生まれがわからないってのは、気の毒なことなのかい?」
「私はこの星で生まれ、生きて、死んでいく。だから、そう思うのかもしれないね」
「……あんた、歳は?」
「七十だったか、八十だったか──」
「九十でしょ」
私がつい口を挟むと、お爺ちゃんは「そうだったかの?」と、首を傾げる。
「随分と長生きなこった」
「これも、軍人さんのお陰だよ」
「……そんなもんかね」
「常にそう意識しているわけじゃないさ。それでも、確かに守られていたんだ。それは、とて
もありがたいことだよ」
私はフロアを離れて、厨房へ向かう。きっと、父の話になるだろうと思ったから。
コーヒーとサンドイッチを用意しながら、窓際の様子を伺う。クロさんはテーブルに頬杖を突き、足を組んでと、お行儀は悪かったけれど、お話はちゃんと聞いているようだった。
私は出来上がったモーニングセットをお盆に載せ、窓際の席へと運ぶ。
「はい、おまちどうさま」
「ありがとう」
「注文を聞く必要なかったじゃねぇか」
「クロさんや、相手をしてくれてありがとう」
「……おう」
クロさんは面映ゆそうな顔をして、立ち上がった。……照れているのだろうか。
※※※
──最後の客を見送り、クロは扉にクローズの札を下げた。星空を振り仰ぎ、立ち尽くす。ややあって、店内に戻ってきたクロを、「お疲れ様」とアリシアが労う。
「……忙しいもんだな。これを毎日、一人でやってるのか?」
「今日は特別。きっと、お客様が宣伝してくれたのね。可愛い猫耳の店員さんがいるって」
「猫耳は余計だ」
クロは外した猫耳を、同じく外したエプロンで丸め込み、手近なテーブルに放り投げる。
「この服は貰っていくぜ。代わりに、あの服をやるからよ」
「どこへ行くんですか?」
「さてね。ま、自由にやるさ」
「あなたの居場所はここですよ。それが、父の願いなんですから」
「手紙に俺の面倒を見ろとでも、書いてあったか?」
アリシアが首を横に振ると、クロはにやりと笑った。
「俺は教官の最後の言葉を聞いた。幸せに。私の娘よ、ってな」
「なら、話は早いじゃないですか」
「どういうことだ?」
「手紙には、姉妹で幸せにって書かれていたんですよ」
「……そうか」
「そうです」
「他にも娘がいるんだな?」
アリシアは溜息をつくと、クロにそっと身を寄せ、抱きしめた。
「お、おい!」
「……いますよ。私の腕の中に」
クロは目をぱちくりする。
「俺が、娘……?」
「ええ。父はそう思っていたみたいです。宇宙一頑丈な箱入り娘だって」
「箱……ガーディアンのことか。ってことは、最初から……」
「ショックですか?」
「……まぁな。俺の気持ちが何だったのかなんて、分かりっこねぇよ。俺には家族なんていなかったからさ」
「今はいますよ」
クロはアリシアをぎこちなく抱き返した。
「……そうだな、姉ちゃん」
「え、私が姉ですか?」
アリシアは驚いたように、クロから身を離した。
「そりゃそうだろ? あんたの方が、娘歴は長いんだからさ」
「あなたは父と十年一緒だったんですよね? それなら、あなたの方が長いですよ?」
二人は顔を見合わせると、どちらからともなく笑い合った。
──今までのこと、これからのこと。娘達の夜は、いつになく賑やかなものになった。
Daughter 埴輪 @haniwa
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