第36話

 さて、とりあえずの落着らくちゃくを見た頼光は、行平の邸を出たところでとつぜん倒れこみ、綱があわててそれを支えた。

 頼光の顔からは一気に血の気が引いて、体は長く水に浸かったように冷たくなっていた。

「殿、またご無理をなされたのですね」

 綱が怪訝けげんな顔をすると、

「仮にも、水のなかで死んだからな。あいつらの本性はきっと、中納言殿の言っていた泉のまわりの木々の精なんだろう。あいつらは泉に映るものを本当にしている。だから三日月と言いつつ、有明月に現れたのさ」

と青い唇で頼光が答える。

「たしかに、有明月が水面に映ると、三日月に見えます。それで、水に映った殿の姿を襲って、満足して帰っていったということですか」

「そんなところだろうが、半分ほど魂が取られてしまったようだ。すまん、もう歩けん」

 ぐたりとする頼光を、綱が背負って歩き始めた。

「本当に命を取られていたらどうするのですか」

「まあそれは、しょうがないよな。覚悟の上だ」

 綱は主を心配に思い、いくつも文句を頭の中で浮かべたが結局、

「俺は殿がいなくなったら困ります」

とだけ言った。頼光はそれを聞いて、返事のかわりに力ない息を吐いた。

「そういえば中納言殿の邸に、とつぜん観音像が現れたのです。なんでもそれが、中納言殿が因幡の海でお拾いになったと話されていた、あの観音像らしいです。もしかして、中納言殿の危機を知って、駆けつけたのでしょうか……」

 これを聞いて頼光は、実に不思議なことだと思ったものの、やはりあの観音像が行平の言っていた因幡の観音像だったかと納得した。

「さてなあ。中納言殿を慕って、はるばる因幡から歩いてきたのかもな」

 頼光が言うと、

「因幡からですか。観音像の足だと、幾日かかるのでしょう」

と綱が真剣にたずねるので、頼光は思わず笑ってしまったのだった。

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臥し待ち月の頼光 斎藤流軌 @yumeshobo

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