第10話 試合開始
宿舎からバスで20分程の距離の小高い丘に広がる住宅街の間に伸びる坂道の1番上に、遠征最初の試合の相手である春日部桃青高校の校舎があった。正門を抜けて少し進んだ先に野球部のグラウンド広がっており、相手校の選手達がアップを行っているのが見えた。
「いやーどうもどうも!遠い所をわざわざ足を運んで下さってありがとうございます!」
マイクロバスを降りるとユニフォーム姿の中年の男性が小走りで近づいてきた。
「はじめまして!私、春日部桃青の監督をしております岩倉と申します!今日はどうぞよろしくお願いします!」
「こちらこそ!お招きいただきましてありがとうございます!私今年度より監督に就任いたしました神室と申します。どうぞよろしくお願いします!」
挨拶を軽く済ませるとバックネット裏のスタッフルームに招かれた。選手達にウォーミングアップを指示し米倉、和田と共にスタッフルームで相手校の関係者と談笑をした。
両校の選手達がウォーミングアップを終えた後、お互いに公式戦と同様の7分間のシートノックを行った。相手のシートノックを選手達はじっくりと見つめている。
春日部桃青は去年秋の埼玉県県大会でベスト8まで勝ち上がっているということだったが、やはりノックの動きはキビキビとしており細かなミスも少ない好チームという印象だった。秋の県大会にすら出場できていない秀桜学園と比べ明らかに格上と言わざるを得ない相手であったが、神室の目にはそこまで大きな差は感じられなかった。選手達が自分の力を発揮できれば好ゲームに持ち込めるし、勝ちも十分に見える相手だった。しかし、以前米倉が言っていた(格上の相手になると滅法勝負弱い)という言葉が脳裏をかすめた。選手達が相手をどう捉えているかは分からないがこの試合で確かめられるかもしれないと神室は考えた。
「オッシ!じゃあ待ちに待った今年の初戦だ!冬にやってきたことを信じてしっかり自分のプレーをやって来ような!そして何より試合を楽しもう!」
「はい!!」
選手達は元気に返事をしてベンチ前に並んだ。相手チームも同じように並んで数秒の静寂が流れる。
「さぁいきましょう!」
審判が勢いよく掛け声をかけるとそれに合わせ両チームも主将の合図でホームベース前へかけよる。
「お願いします!」
元気の良い挨拶がグラウンド全体に響き渡った。
相手の選手が守備位置に散っていく。
先攻の秀桜学園は先頭の藤原がバッターボックスに向かった。神室は改めて今日の今日のスタメンを確認した。曽根を中心に選手達で話し合いとりあえず秋の大会のメンバー中心のオーダーとなった。
1番 サード 藤原涼駕 3年
2番 ショート 浅沼海琉 2年
3番 センター 羽上香 3年
4番 キャッチャー 曽根達也 3年
5番 ライト 稲辺修也 2年
6番 レフト 赤井雄飛 2年
7番 ピッチャー 柳健世 3年
8番 ファースト 甲斐晶 3年
9番 セカンド 芝松駿 2年
相手チームもどうやらエースが先発しているようであった。先頭の藤原はバッターボックス横で相手投手の投球練習をみながらタイミングを取っている。見るところによると左のサイドハンドの投手で球速はそこまでないがコントロールが良さそうであり、ベンチからでは球種は詳しくわからないがブレーキの効いた良い変化球を持っているようだった。
相手捕手が最後の投球練習を受け2塁に真っ直ぐ送球した。相手内野手がリズムよくボール回しを行いボールが投手に戻る。
「初回!しまっていこう!!」
キャッチャーが声をかける。
藤原がゆっくりと右打席に入り試合が始まった。
初球、2球目を見送り1ボール1ストライクとなった3球目を藤原が強振すると強いゴロが3塁線に飛んだ。しかし相手の三塁手が打球正面に入り一度体に打球を当て前に落とし落ち着いた様子で一塁に送球しアウトにした。流石に冬の間もグラウンドで動き続けていただけあり動きは軽快に見えた。
その後、続く打者も内野ゴロ、内野フライに打ち取られ初回の攻撃を終えた。
「うーん。左のサイドって初めて対戦したけどインコースにくるとキツイな!変化球はスライダーと多分カットボール投げてるっぽい!」
藤原がベンチのメンバーに投手の事を伝えている。
「あーあれカット?ストレートと思って振ったら根っこだったよ。速さはあんま感じないし技巧派って感じだよな〜。速い球ならマシンで打ってきたからどうせなら本格派に来てほしかったよな。」
羽上が答える。
「まぁとにかくランナーためて1点ずつ取ろうぜ!そんでなるべくしっかり守ろう!」防具をつけながら曽根がチームに声をかけ守備に着いた。
こちらの先発の柳はやはりコントロールにばらつきはあるがボールのキレはまずまずといったところでヒットとフォアボールでランナーを許すもなんとか初回を無失点で切り抜けた。守備陣もエラーが2つ出たがなんとか食らいつき両チーム点が入らないまま試合が続いた。
そして5回の裏の先頭打者だった。相手の3番打者が柳の高めのストレートを振り抜いた
打球がレフトのフェンスを越え先制のソロホームランとなった。
ベンチに向かってガッツポーズをしながらゆっくりとダイヤモンドを周る相手選手を見ながら柳はフッと息を吐いた。帽子をとりアンダーシャツの袖で額の汗を拭った。
そこに曽根が駆け寄り柳に何か声をかけている。
「健世!スライダー高かったな!けどボールに力はあるから切り替えて後を切ろう!埼玉の強豪相手にここまでホームランの一本だけは立派だよ!」
「達也…。春日部桃青って岩手だったらどれぐらいの位置なのかな。」
「ん?どうしたんだよ急に。まぁ花中と聖皇よりは下としても強豪だらけの埼玉のベスト8だし岩手ならベスト4ぐらいはいけるんじゃないか?そう単純な話じゃないだろうけど…」
「じゃあここに勝てれば俺達もそんぐらいいけるのかな…」
「…かもな。」
曽根はまさか柳の口からそんな言葉が出るとは思ってもいなかった。正直今までの柳であれば打たれた事を謝るばかりだった。その後のメンタルフォローが自分の仕事であり課題だとも思っていた。
「急にどうしたんだよ。」
曽根は思わず聞いてしまった。
「いや、ちょっとね。今は試合中だし長話はできないから達也、今日夜少し話さない?」
「おぅ…そりゃあ構わないけどホントに珍しいな。」
「そうかな…。まぁとりあえずこの試合絶対勝ちたいから!俺は俺にできることをしっかりやるから後はよろしく!キャプテン!」
「あ…当たり前だろっ!まかしとけ!」
曽根は本当に驚いた。柳とは長い付き合いだがこんな事を簡単に言うやつではなかった。心境?性格?変化の詳細は分からなかったがどこか頼もしさを感じた。
その後、続く四番打者にヒットを許すも後続を打ち取りこの回の守備を終えた。
「柳!おつかれさん!とりあえず今日はここまでだな!ナイスピッチだったじゃないか!」
戻ってきた柳に対し労いの言葉をかけると柳は笑顔で答えた。
「ありがとうございます!けどできれば0でいきたかったんですけど…後は味方が点とってくるの待ちます!」
柳は汗を拭いながらブルペンへクールダウンに向かった。
「なんだかあいつ雰囲気が変わったなぁ…。前は試合中はずっと顔がこわばってて笑顔なんて見せる子じゃなかったのに。そういえば良く味方に声もかけてましたねぇ。」
米倉が不思議そうに言った。
「エースの自覚ってやつですかね。残された高校野球生活の短さを感じ始めてるのかもしれません。なんにせよいい傾向なのでは?」
神室自信、秋までの柳のことは知らないため憶測ではあるがそう感じていた。
「いやー毎年この合宿あたりから3年生達の雰囲気が変わり始めて夏に向かうチームの感じになるんですよね。柳の変化がどれだけチームに良い影響を及ぼすか楽しみですよ。」
米倉が感慨深げに言った。
その後、選手を入れ替えながらも試合は淡々と進んで行き1対0のまま最終回の攻撃を迎えた。
8番からの攻撃だったが内野フライ、三振とあっという間に最後の打者となった。
「しゃあ!なんとか繋ぐからな!見とけ!」
藤原が威勢よくバッターボックスに向かった。相手投手は7回から2番手投手に変わっており、秀桜はまだヒットが出ていなかった。
「最後だからって縮こまらなくていいぞ!いい球がきたら初球からガンガン振っていこう!」
神室の声に藤原はコクリと頷きヘルメットの鍔に触れた。
先発の投手に比べボールのスピードはあるがコントロールが不安定な事もあり狙い球が絞れずに苦戦していた秀桜打線だったが、藤原は先発投手からもヒットを放っており好調が伺えた。
藤原は相手投手の初球を思い切り良く振り抜いた。ボールはレフトへ高々と上がった。
「良し!伸びろ!入っちまえ!!」
打球は美しい弧を描きレフトのフェンスを越えた。
「しゃあー!!」
藤原は1塁を回った所で力強く拳を空に突き上げた。
ベンチも大きな盛り上がりを見せ藤原を称える。
「うぉー!!凌駕さん!!ナイバッチ!!」
「凌駕ぁぁ!!」
元気よくダイヤモンドを周り藤原がベンチに戻ってきた。
「藤原!」
神室は藤原に向け拳を向けた。
「あざすッッ!打てる気しかしてませんでした!」弾けるような笑顔で藤原は拳を返した。
その後は追加点を奪えず攻撃が終了し最終回の守備もなんとか無失点で切り抜け試合は引き分けで終わった。
両チームが整列し挨拶を終えると相手ベンチから岩倉が出てきた。
「いやーいいゲームができました!うちの選手達も刺激をもらったと思いますよ。」
「こちらこそありがとうございます。たくさん勉強させていただきました。午後の合同練習もよろしくお願いします。」
こうして、シーズン初戦をなんとか終える事ができたのであった。
パワハラ加害者のレッテル背負って高校野球で甲子園目指す男 @ka-shii97
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