言語の限界性と運命論から来たる風邪 〜思ふところ〜
文園そら
本文 言語の限界性と運命論から来たる風邪
「あたしに皮肉を言えるとは、優子も良い女になったな」
※※
彼女の交友関係は、私という友人がある以外全く謎だった。
「あたしもね、学生になった頃は学生同士の交流というものにロマンを抱いていたよ。もちろん、いかに素晴らしい生産性を持っているか、いかにインスピレーションを与えてくれるかとね。
実際には、彼らのほとんどは教授の書いた論文から得たものを、再構築と呼ぶには及ばぬほど貧相な語彙で、あたかも自分の意見を語るかのようにしていただけだった。他の学生と話を合わせるために、もしくは学のある自身に酔うためにね。教授の論文ですら、過去の研究のパクリに過ぎないものがほとんどなのだから、なおのこと手に負えない」
以上のセリフは、彼女、大学教授あんなさんのものである。
今日はセンチな気分なのか、過去の思い出に浸りたい。あんなさんと私がルームシェアをしていた頃のお話だ。
あんなさんは当時から、ほとんどいつでも大学界や政治界、その他諸々の界隈をこき下ろすスタンスを変えはしなかったが、彼女が純粋に楽しんでいた事柄もある。一つは音楽だ。私はときおり、ピアノやクラシックのコンサートに誘われた。
もともと音楽はパソコンやスマホで楽しむばかりだった私には、ありがたい話だ。おかげで、素敵なピアノ音楽やクラシックに出会うことができた。もう一つ、私にとって興味深いのは、あんなさんの反応だった。
コンサートの席で、横目に見るあんなさんの表情は、少女のようだった。普段の、世論を斜めに貫き、教授の論文をつまらんの一言で斬るあんなさんとは、また違う一面が見られるのである。
帰りの夜道、あんなさんは嬉しげに語ったものだった。
「いやあ優子、今日の音楽も素晴らしかったね。クラシックの世界に入るとき、あたしの心は真に解放され、多次元空間ともいうべき宇宙的世界に浮遊させられるのだよ。
この満足感に比べたら、言語という記号のなんたる限界性よ。あたしの論文だってバッハの旋律の前にはヤギの餌に過ぎんということだ」
「珍しいわね、自作を卑下するなんて」
「いや、卑下はしていない。現存の言語ではあたしの脳内を表現しきれないという、日本語の欠損を嘆いているのだ」
私はふふっと笑ってしまった。
「いつも通りのあんなさんね」
「いつも通りであるとも言えるし、常に変化しているとも言える。この間にも、あたしの中にあるあまたの細胞は死に、生まれているのだからね。数ヶ月後にはほぼ全ての細胞が入れ替わる。それでもあたしはあたしであるらしい。ところが実際、修理を繰り返して全体の99%のパーツを入れ替えた船Aは、元の船Aと同じと言えるのか? それとも新たな船Bになったのか? そうとも、『修理される船』の哲学だね。
まあ、アイデンティティーの追求は、暇を持て余した若者と酔狂な哲学者に任せるとして、今日は音楽の話をしようよ。それとも何かい、優子、そんなに自我の確立に悩んでいるというのかね! ええ!?」
「いや、船の話はあんなさんから始めたんでしょう」
「いけないいけない、クラシックが与える刺激はついあたしを饒舌にしてしまうようだね。優子、言語が完璧だと考えるか?」
「どうだろう? 完璧の定義によるんじゃないかしら。日常生活を送る上では差し支えないと思うけれど。いや、よく考えたら微妙ね。言葉のすれ違いや誤解なんてしょっちゅうあるし。もしかして言語って未完成なのかしら」
「良いね、君のそう言った思慮深さにはね、あたしも一目置いているのだよ。多くの人間は言葉を信用し、言葉によってコミュニケーションができていると思い込んでいる。『これで伝えた』『確かに伝わった』とね。実際のところ言葉の本質を捉えられる者などこの世にはいないし、いるなら立証して論文を書けば賞を獲れる。
『愛』を真に理解できるか? 恋人たちは愛を語り、『愛しているよ』と言い合い、愛を知り真理に到達した気でいる。本当にそうなのか。愛とはなんだ? 彼らの愛は本物か? 永遠ならば愛か? 終わらせるのが愛か? 至上の幸福を得たか? その人が最高のパートナーか? 交わったあとに謎めいた空虚さを感じないのか?
優子、君に愛していると言う男性、もしくは女性もあり得るが、その者が現れたときにはね、彼彼女の言う愛が海より深いものか、口先だけの薄汚いものか、真剣に吟味したまえよ」
「そんなの見抜ける自信ないんだけど」
「ならばよし。根拠なき自信は最も破滅的恋愛を招きやすからね。いっときも真実の愛を知っただなんて思ってはいけないよ」
「それはそれで悲しいわね」
「全ての対人関係は悲劇であり喜劇だ。ところで音楽に話を戻そう。音楽のなんたる表現自在性よ。喜び悲しみ怒り哀しみ憐れみ妬み憂い、その他の同じ根をもつ強い感情、何をとっても、音楽で表現できぬものはない。少なくとも、言語よりは圧倒的に表現可能であろうよ。
優子、かの有名なベートーヴェンの『交響曲第5番』、日本では運命の通称で有名だがね、冒頭でジャジャジャジャーンというだろう。運命の扉を叩く音らしいね。これをどういったオノマトペで表そうと、あるいは小説的に『叩き壊さんばかりに運命の扉を叩いた』などと表現しようとも、曲を聴いたとき以上のインパクトを与えるのはほぼ不可能だろう。
あたしの考察、と言うよりは思案に近いが、人類最古の芸術は音楽であったと考えるよ。それに、人類滅亡のとき最後まで残る芸術は、これまた音楽だろうよ。
かといって、あたしは別に言語否定論者ではない。言語が音楽の域を超えて展開される日が来るのかねえ」
「どうかしら。深い知識があるわけじゃないけど、言語も時代や国や人に合わせて変わってきているからね。いつか最適化されるかも?」
思うに、あんなさんの好奇心と、鋭い感性、何もかもを包括しようとするような膨大な頭脳は、一度に2人の女性を再現することはできなかったのだろう。あんなさんは、普段はぶっきらぼうで背の高い美人の、早口で意地悪な大学教授だ。音楽の話題になると、純粋な、好きなことに溺れる少女になる。特に、コンサートを見入っているときなんて、クリスマスプレゼント開封前の子どものように目を輝かせていた。
「ようし、決めたよ優子。あたしは将来、音楽で論文を書く」
「すごい……、気がするけど、全く想像できないよ」
「できないだろうよ。世界で最初に生み出されるものとは常にそうだ。ポケベルの時代にスマホを想像できたか? 飛行機のない時代に、人が乗り空を飛ぶ機械を作ろうなどと考えるか? 先人の偉大さはそこにある。ひいては人類の希望性だ」
そこまで言うと、あんなさんはくしゃみをした。肩をぶるっと震わせもした。
「さ、寒いなあ優子。何時なんだろう」
腕時計を見ると、
「深夜1時だわ」
「じゃあ会場を出てから四時間以上も語りあっていたわけか」
「どうやら同じところをぐるぐる回って、家を何度も通り過ぎたみたいね」
「愚か者。早く言いたまえ。あたしは地理に疎いゆえ、道案内の全てを君に委ねていると言うのに。この先目的地と言われれば崖から足を踏み出す所存なのだぞ」
「ごめん、あんなさんの話が面白くて、時間を忘れちゃってたみたい。ふふ」
あんなさんは困ったように照れるように、目をぐるりと一周させたあと、
「ならば許す。君の笑顔に負けたのではない。謝罪と許しによって人間の精神は放たれるからだ」
翌朝、案の定と言うべきか、あんなさんは風邪で頬を真っ赤にして、寝込んでしまった。部屋に入ると、ベッドにうずくまっているあんなさんが、とつぜん大声を出した。
「ジャジャジャジャーン」
「びっくりした。どうしたの急に」
「運命だよ。昨日の夜ふかしの時点で、あたしの運命の扉は叩かれたのだ。風邪をひくという運命が」
「言語ってなんて浅はかなのかしら」
「うぐぅー」
私は暖かいコーヒーをいれ、ベッドに寝込んでいるあんなさんの元へ持っていった。のっそり起き上がったあんなさんは、コーヒーを何口か啜った。
「あたしに皮肉を言えるとは、優子も良い女になったな」
終わり
言語の限界性と運命論から来たる風邪 〜思ふところ〜 文園そら @fumizonosora
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