断章・三 灰銀

 それから二年後のニミエ暦九九七年。前年から続いた戦が終わりを迎えた。必死の抵抗も虚しく、首都は陥落。テノチッタ公国は、ガルシアナ帝国の植民地となった。

 そのとき、政権は宗主国の政治方針に合うように一新され、力を持っていた政治家たちは親戚に至るまで、皆、処刑されたらしい。その中には、ホーアンも含まれていたそうだ。

 そこからさらに六年が経った、ニミエ暦一〇〇三年。

 リトマンは八歳になっていた。身体を動かすのが好きなようで、よく祖父のエドリアと近所の男たちと一緒に森に入っては、弓の扱いや、鹿や兎の捌き方を習っていた。

 畑仕事も嫌ではないらしく、仕事がある日は早く起きて、眠い目を擦りながらノマとエドリアに付いて畑仕事を手伝っていた。

 「おばあちゃん、また、あの話、して?」

「はいはい。ちょいと待ちな。今、温かい飲み物をいれてあげるからね」

 あの事件以降、ノマと夫のフェリトは、村の人々の助けを得ながら、リトマンを育てていた。リトマンが五歳になった時、ノマたちは彼に実の両親の話を聞かせた。

 とはいえ、あの事件が起きたのは、リトマンがまだ一歳にも満たない時だったので、彼はその話をおとぎ話か何かだと思っていたのだろう。それが、自分の実の両親のことなのだ、と言われても

「でも、俺の家にはおじいちゃんとおばあちゃんしかいないよ?」

 と言って首をかしげるだけだった。

 だが、彼はその話をとても気に入ったようで、若い夫婦が、息子を守るために権力に抗い、深い雪の中に埋もれてゆく話。幼い彼に、その全てを理解することはできなかったが、切なく哀しい雰囲気が、彼は好きだった。

 ケノン公国がガルシアナ帝国に吸収されてから、雪原の感染者たちの暮らしは、以前に比べ向上した。それぞれの村を繋ぐ道路が整備され、食料などの生活に必要な物資が定期的に支給されるようになった。

 また、娯楽の一種として、ムラル(サウナのようなもの)というものが、各村に設置された。雪原に住む村人たちは、これをとても気に入り、リトマンもフェリトと共に何回か入ったことがある。

木の板で組まれた半球状の小部屋に入ると、むん、とした熱気が体を包み、胸が圧される。

 初めのうちは、リトマンは、息が苦しくなるから、とムラルを嫌がっていたが、村の者がムラルを使っているのを見るうちに、徐々に興味を持ち始めた。また、最近仲良くなったワーンという男が村の者と入ってるのを見て、ムラルに入ってみる気になったのだろう。

 ワーンは、メフテンハーネ地区の感染者集落の見回りを任されている兵士だった。ガルシアナ帝国は、感染者に寛容で、感染者への最低限の生活を保障している。それは、植民地も例外ではなかった。

 ガルシアナ帝国がケノン公国を植民地にしたことで、雪原に住む感染者たちの暮らしは、以前より向上した。

 だが、ガルシアナ帝国がもたらしたものは、恵みだけではなかった。


 「フェリトのとこはミア村に。ヤサハのとこはシリータ村だ。いいな」

 ガルシアナ帝国によって、物資が供給されるようになっても、村同士の交流は衰えなかった。それどころか、供給される物資の種類や数を敢えて偏らせることで村同士での交流を維持しよう、という帝国の配慮により、以前よりも村同士の人や物の移動は活発になっていった。

 安定した食料の供給によって、交流の機会というのも増えていった。テクソン村では、以前までは月に一度だった定期交換市も、今では月に二回となっている。

 「フェリト、今回も、リトマンを連れて行くのかい?」

「ええ。どうせ、止めても無駄でしょうから」

「毎回の事だが、充分に気をつけるんだぞ。膏薬はもう無くなりかけてるし、次の補給には、まだ数日かかる。怪我のないようにな」

「分かってますよ。あの子の馬の扱いはなかなかのものです。そんなに心配しなくても、大丈夫ですよ」

「用心するに越したことはないだろう? さあ、ほら、早く準備をしなさい」

 この季節は、いつもより雪の量が多くなる。吹雪の兆しは見られないが、移動に時間をかけすぎれば、それだけ危険も増す。天気が荒れる前に出発してしまいたかった。

 二日で支度を整えたフェリトたちは、必要な荷物を持って、早朝に村を出発した。

 雪に太陽の光が反射し、雪原全体が白く輝いている。リトマンはフェリトの膝の間に座って目を細めながら、馬に揺られていた。

 暖かい陽の光が頬に優しく降り、冷たい風が耳の後ろを撫でていく。

 膝の間で揺られているリトマンの温もりを感じながら、フェリトはそっと目を閉じた。フェリトには、ちょうどリトマンと同い年のリオナという娘がいた。

 ある日、リオナはどこからか子犬を拾ってきた。丸くてふわふわの見た目から、リオナはその子犬をニャン(ケノン公国の言葉で、丸い、という意味)と名付け、とてもかわいがった。晴れた日には、庭に出て一緒に走り回り、家に戻ると、疲れて暖炉のそばで寝てしまう。そういった、日常の小さな出来事の一つひとつが、当時のフェリトには輝いて見えた。

 しかし、そんな幸せな日々は、突然崩れ去った。

 ある夏の日、フェリトたちは旅行先のノアグリッチという街で、感染者たちが起こした暴動に巻き込まれた。暴動は政府軍により鎮圧されたが、街は壊滅状態に陥った。けが人や死人も多く出た。その中に、フェリトも含まれていた。

 怪我をしただけなら不幸中の幸いと言えただろうが、フェリトはその傷が原因で〈腐蝕ガラン〉に感染した。正確な感染経路は分からないが、恐らく、傷口から感染者の汗や血などが侵入してしまったのだろう。

一般的に、〈腐蝕〉は人から人への空気感染はしないとされているが、体液などを通じて感染してしまう場合があるらしい。

 感染後、フェリトは隔離生活を強いられた。最終的には都市を追い出され、やがてこの雪原に行き着いた。今となっては、家族が生きているのかすらも分からない。

 リトマンを見ていると、昔を思い出す。白い歯を見せて笑う娘の笑顔。妻と過ごしたかけがえのない日々……。リトマンを育てることで、過去の埋め合わせをしているような気になっていた。

「リトマン、寒くないかい?」

「うん。大丈夫」

「ミア村までは数日かかる。疲れたら言うんだぞ」

「うん」

 馬に乗ってしばらくすると、木々が見えてきた。いつも狩りに行くときと同じ森なのだが、道が違うので新鮮に感じる。

 森に入ってしばらくすると、フェリトはあることに気づいた。

「あそこの木についてる跡が見えるか」

「うん。白いのがきらきらしてる」

「そうだ。この時期、動物たちは毛が生え変わるから、ちくちくして痒いんだろうな。こうやって、木に体を擦りつけるんだ」

「そんなこと教えられなくても、雪に残った足跡を見れば、なんの動物が何をしてたかなんて簡単に分かるよ?」

 リトマンは不思議そうな顔をして、祖父を見上げた。祖父の顔は、どこか虚ろで、焦点の合っていない目をしていた。

「まあ、そうだな」

 祖父は言葉を濁し、ふいと向こうを向いてしまった。

 最近、祖父はこういうことが増えた。畑仕事をするときも狩りに行くときも、必ずリトマンを連れていき、色々なことを教えるようになった。なぜこんなことをするのか、と尋ねても、曖昧に話題をそらしてしまう。

 祖母に理由を聞いてみると、

「きっと、お前の将来を心配しているんだよ。私達が生きれる場所は、もうここだけじゃないんだ」

 と返ってきた。

 まだ幼いリトマンには、その言葉の意味が分からなかった。自分が生まれ育ったのは、この雪原だ。ここが自分の故郷であり、ここで一生を過ごすのだ、と、そう思っていた。

 その日食べる分の食料は、その日のうちに確保しつつ、ミア村に着いたのは三日後だった。

 ミア村に着いたリトマンとフェリトは、村の中央にある広場に人が集まっているのに気がついた。集まっている人たちは皆、焦った様子で何やら口早に話している。

 フェリトは、近くにいた人に、何があったのか、と声をかけた。

「お前、テクソン村から来たのか。じゃあ、あの噂は聞いてねぇのか?」

「噂? それはどんな」

「旧政府の制服を着たやつらが、アリオア村に火を放ったんだとよ」

「火を? 何のために」

「さあな。ただ、本当にやばい状況なんだよ。

 実はな、外の見回りに出ていた新政府の奴が俺らに教えてくれた話だと、その旧政府の奴らがこの辺りで目撃されたそうなんだ。

 次の標的がどこかは分からねぇが、だからこそ、何かと対策しないといけねえ。お前さんも気をつけろよ」

 それを聞いて、フェリトは青ざめた。今回の交換市の場所にテクソン村はない上に、ワーンたち巡視隊が見回りに来るのは数日後だ。テクソン村の人たちは、このことを知らないだろう……。

「早く、行かないと……」

 フェリトは踵を返し、馬に飛び乗った。

「お前は来るな! ここにいろ!」

 早足に近づいてきたリトマンを一喝し、馬を走らせた。リトマンが、今にも泣きだしそうな声で自分を呼ぶ声が後ろから聞こえてきたが、それに構う余裕などなかった。

 ひたすら馬を走らせた。村に近づくにつれ、頭を針で刺されるような不快な匂いが強くなっていく。

 村に着いたフェリトは、凄まじい惨状を目にした。

 家の屋根は焼け落ち、焦げた肉の匂いがツンと鼻を刺す。家があったであろう場所も、黒く焼け焦げ見る影もなくなっている。

「ノマ……、ノマはどこだ!」

 フェリトは、妻の名を叫びながら、瓦礫の山を掻き分けた。だが、見つかったのは、彼女が大切に持っていた銀の指輪だけだった。

 指輪を胸の前で握りしめ、丸めた背中は微かに震えていた。悲しみと、怒りが混じった嗚咽が、細く、低く、雪原に響き、雪に消されていく……。


 薄く積もった雪を踏みしめながら近づいて来る足音が、呻き声を掻き消していった。

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二人の道 稲荷ずー @inari_zooo

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