断章・二 視界を覆う吹雪

 物事は、表裏一体だ。

 幸せの裏には不幸があり、平穏の裏には無秩序がある。

 そして、それらは波のように交互に訪れる。長い平穏の後には、平和にどっぷり浸かった無能な為政者により、国は混沌の時代を迎える。幸せというのも、永く続く訳では無い。幸せがあるからこそ、不幸がある。

 だが、この世は不条理だ。高みに登れば下が見えなくなり、ちょっとしたことで脚をすくわれ地に落ちてしまう。かと思えば、地に落ちてしまうとそこから這い上がるのは容易なことではない。

 悪いことは、続けざまに起きるものだ。


 ニミエ暦九九五年の暮れ、テクソン村に三人の男が訪れた。彼らは皆、役人風の服装に、金と赤の刺繍が施された外套がいとうを羽織り、口元を布で覆い隠していた。

「この村の責任者は誰だ」

「はい。わたくしでございます」

 村長の男が前へ歩み出て答えた。

「貴様、名前は」

「カルコッサでございます」

 カルコッサ、という名を聞いて、役人が僅かに眉をひそめたようなきがした。

「数ヶ月の間に、ここに若い男女は訪れなかったか」

「見ていませぬ」

 村長は、何のことを言っているのか分からない、といった顔で答えた。

「本当か? 私たちはここに辿り着くまでに、四つの村を訪れ、どの村の奴らも、そのような者は見ていないと答えた。

 もし匿っている者がいるのなら、正直に名乗り出ろ。少しは罰を軽くしてやろう」

 話を聞いていた村人たちの間に無言の動揺が広がっていくのを、カルコッサは背で感じていた。カルコッサの言葉によって、あの家族を匿うと決めたが、やはり、傷つけられたくない、という思いも強いのだろう。

「すみませんが、本当にそのような者を見てはおりませぬ。見ての通り、この村にはもう、若い者など残っていないのです」

「……貴様の名は聞いたことがある。エドリア=カルコッサ。先代の右腕として感染者を擁護する政策を進めていたな」

 カルコッサが、触れられたくない古傷に触られたような、苦悶の表情を浮かべた。

「だが、時代は変わったのだ。先代は負け、感染者は都市を追われた。この国に、感染者の居場所などない」

 カルコッサから、無言の怒気が湧いて、すぐに消えた。うつむいたその目はどこか虚ろで、精気が感じられなかった。

「爪を剥がされようが、鼻を削がれようが、見ていないものは語れない」

「貴様……!」

「この老いぼれを殺そうとも、お前さんらの望むものは手に入りはしないよ。それとも、お前さんら役人は、人の手足を引きちぎり、村を火の海にするのが趣味な連中なのかい」

 役人は少し驚いたような表情をしたが、それはすぐに嘲りの色へと変わった。

「ふっ、こんな場所でこんな惨めな暮らしをして、それでも貴様らは、自分を俺らと同じ"人"だと思ってるのか」

「なんとでも言え。お前らが言う人間が、私たちを都市から追い出したように、ここは私たち感染者の土地だ。お前ら人間はここに来るべきではない。さっさと立ち去れ」

 役人たちは目線だけ合わせると、またカルコッサに向き直って言った。

「今回はこのまま帰ってやる。だが、次はないからな。

 カルコッサ、我らの裏切り者。俺らに歯向かったこと、後悔させてやる」

 ぎらぎらと光る目を、カルコッサは真っ向から受け止めた。

 彼らが踵を返して村を去ろうとしたとき、風に乗って、微かに赤子の泣き声が聞こえてきた。

 振り返った役人たちの目は異様に輝き、カルコッサは深い絶望の色を浮かべ、彼らの顔をただ見つめていた。



「よしよし、大丈夫だから。頼むから泣かないでおくれ」

 リトマンを腕の中であやしながら、老婦は焦りを抑えきれず、苛立たしげに言った。

外の見張りをしていた老夫が慌てた様子で家に戻ると、なるべく声を抑えて言った。

「おい、役人に気づかれたぞ! 今こっちに向かってきてる! お前さんたち、早くどこかに隠れるんだ!」

「それは……できません」

 メルナが躊躇ためらい気味に答えた。

「私たちがここに留まっていれば、また役人たちがここに来るでしょう。それに……」

 リトマンをちらりと見て、また口を開く。

「それに、もう隠しているのは無理ですよ」

「だとしても」

「大丈夫です。私たち、そんな簡単には死にませんから」

 老夫婦は困惑したように互いの顔を見合わせた。この若い夫婦の目には、何かを決意したかのような強く獰猛な光が浮かんでいた。

「ノマさん、俺たちは裏口からここを出て行きます。役人たちが来たら、俺たちがここにいた事を全て話してしまってください」

「でも……」

「大丈夫。脅されてここに匿っていた、と言えば罰は免れるでしょう」

 そう言いながら、彼らは獣脂を塗り込んだ羽織を纏い、逃走の準備をした。手早く準備を済ませると、リトマンの手を取り、祈るようにささやいた。

「リトマン。君をここに置いていくことを、俺たちが離れ離れになることを、許してくれ。

 どこにいても、何をしてても、いつもお前のことを想っている。」

 カートンが離れると、メルナが老婆の前に立ち、その手に油紙で包まれた小さなものを握らせた。

「ノマさん、リトマンに物心がついたら、これを渡してあげてください」

「……ああ。分かった」

 メルナは微笑むと、すっと立ち上がりカートンと共に、裏口の戸を開けた。それと同時に、外が騒がしくなり、表戸を叩く音が家に響いき、表戸が激しく開かれた。

「いたぞ! 裏口にまわれ!」

 大柄な役人の怒声が響いた。老いた二人は、若い二人を振り返り、逃げて、と叫ぼうとした。が、今まさに裏口から出ていく二人の顔を見て、踏みとどまった。

 半年、彼らと過ごし、彼らの事は随分と理解しているつもりだった。が、それは、本当の彼らの姿のほんの一部でしかなかったのだろう。

振り返った時に見えた若者の顔は、眉間に皺が寄り鋭い眼光をしていた。ほんの先程まで見せていた、優しい親の顔とは全く異なる、"悪人"としての顔を見て、彼らの邪魔をしてはいけない、と思ったのだ。

「ドムとハックはあいつらを全速力で追え!

 おい!」

 大柄な男が、老人たちの前に立ちはだかる。老人たちの顔に、影が落ちた。

「おい、お前ら。あいつらを匿っていたな」

 ノマは焦りと恐怖でしどろもどろしていると、横から老いた夫の嗄れているが、力強い声が聞こえた。

「違う。俺たちは、あいつらに脅されていただけだ。あいつらは、自分の子を捨てて逃げやがった……。今すぐあいつらを捕まえてくれ……! でないと、この怒りが収まらん!」

 妻は、弾かれたように顔を上げ、夫を見た。皺だらけのその顔には、複雑な感情が入り混じった暗い表情が浮かんでいたが、目だけは力強く輝いていた。

「あいつらは殺されなければいけない罪人だ。そのガキがあいつらのものであるなら、そいつも殺しておく必要がある」

「ま、待って下さい!」

 妻が男にすがりつくようにして叫んだ。

「たしかに……、たしかにあいつらは悪人です。ですが、この子には何の罪もありません!」

「なんだと?」

 その時、大男の後ろから、静かな声が聞こえてきた。表戸の方を見てみると、息を切らしたカルコッサが立っていた。

「……匿っていたいた事は、認めよう。それ相応の罰は受ける覚悟はできてる。その子を殺すというのなら、私を殺せ。それが、この村の長である、私の責任だ」

 男は困惑した表情を浮かべ、少し背の曲がった老人をじっと見つめていた。


 その日の夜はひどい吹雪だった。結局、テクソン村は罰を免れ、リトマンも無事だった。だが、村の者は皆、なかなか寝付けず、いつもより厳しい寒さと恐怖に見を震わせ、長い夜を過ごした。

 二ヶ月後、再び役人が馬を率いて村を訪れた。この前と同じ大柄の男ではなく、すらりと背が高い細身の男だった。役人はカルコッサと一つ二つ会話を交わすと、馬と荷馬車を置いて帰っていった。

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