二人の道

稲荷ずー

雪道の果てで

断章・一 雪原の温もり

 ニミエ暦九九五年、フォーク大陸の北に位置するテノチッタ公国の辺境の地、メフテンハーネ地区にあるテクソン村にとある老夫婦が住んでいた。ほぼ一年を通して雪に覆われたこの地では、人々は僅かな穀物を作り、それらを他の村の物と交換しながら、裕福とは言えないが人らしい生活を送っていた。

 いつものように夫が家の畑の様子を見に行く途中、彼は若い男に声をかけられた。その男は酷く焦った様子で、早口に言った。

「助けてくれ! 妻が産気づいたようで、動けないんだ!」

 老夫はすぐに若い男と共に、彼の妻という人の元へと駆けつけた。そこには確かに、苦しげに呻くお腹の大きい女性がいた。異変に気づいたらしい近くの住民が彼らを家に入れ、世話をした。

 ここは小さな村だ。このことはすぐに村中に知れ渡った。そしてその日の夜、村の元医者の懸命な努力ののち、大きな産声が村中に響き渡った。赤子の出産というこの出来事は、この寂れて何もない村を僅かだが活気づけた。

その後、赤子の名は、その髪の色にちなんで「リトム(テノチッタ公国の言葉で、希望、という意味)」と「アーン(テノチッタ公国の言葉で、燃えるような、という意味)」を組み合わせ、リトマン、と名付けられた。

 もちろん人が増えれば、生きるのに必要な食料の量も増える。それは村人たちの負担を増やし、餓えと寒さに凍え死ぬ確率を上げることを意味するが、そこの村人たちは、若い夫婦とその赤子を受け入れた。

 夫、グラリトス=カートンの助けを聞いた老夫は、彼らを家に招き入れ、生活を共にした。妻のメルナは、家で赤子の面倒を見ながら編み物を編み、夫たちは朝早くから畑の手入れをして、昼頃には林で仕留めた兎やら鹿やらを持って家に帰ってくる。夜には、明日の仕事のために、農具やら狩りのための道具の手入れをして、眠りにつく。

 そうした暮らしを続けて半年ほど経った時、事件が起きた。テクソン村では、他の村との物々交換は各家ごとに交代制で行われる。西側の村から帰ってきた男が口にしたことは、村の人々を激しく動揺させた。

「てえへんだ! おい、村長むらおさを呼べ!」

「何があった」

「三日前、カック村に政府の人がやってきて言ったんだとよ。『ここに若い男女は来なかったか』って!」

「おい、それって」

 騒ぎを聞きつけた人々が、周りに集まってきた。もちろん、その中にはリトマンたちもいた。カートンとメルナは、それを聞いて青ざめた。

「おい、あんたら、政府に追われてるっちゃ、一体どういうことだ」

 男がそう言うと、村人たちの視線が、若い夫婦に向けられた。すると、カートンが観念したように、言葉を詰まらせながら答えた。

「分かった、正直に話しましょう。俺たちは元々、政府に仕える軍人だったんです。……それも、右派党首・ホーアンの私兵でした」

 右派、という言葉を聞いた瞬間、村人たちの表情が険しくなった。

「みなさんも知っている通り、この村は〈腐蝕ガラン〉の感染者たちが都市を追われ行きつく場所です。私たちも同じ感染者というのは、あなたたちもよく分かっているでしょう」

 この地を蝕む奇病〈腐蝕〉。いつ、どこで、どのようにして発生したのかも分からないまま、気づけば世界各地に広がっていた、不治の病。感染した人間はやがて体が腐り落ち、死に至る。その凄惨な最期を目の当たりにした人々は、自らが〈腐蝕〉に感染することを恐れ、感染者の迫害を始めた。

 そして、都市を追われた感染者たちが集まってできたのが、この村なのである。

 メルナが続きを話し始めた。

「私たちがこの村に来る二週間前、私たちはガルシアナ帝国との国境付近で起きた襲撃事件を鎮圧するため、カリーアナット区に遠征に行っていました。

 あそこは、何故か〈腐蝕〉の感染者が多発する地域なので、ガルシアナ帝国は戦力拡大のためにそこを狙ったのでしょう」

「ちょっと待て」

 村人の一人がメルナの言葉を遮った。

「なぜ、ホーアンの私兵だったお前らが、わざわざそんなことをしに行くんだ? そんなの、政府の兵士どもがすることだろ」

 カートンが顔を曇らせて答えた。

「さあ。それは、俺たちにも分かりません。間諜の疑いをかけられたのかもしれないし、俺たちがいることで、何かしらの不利益を被る可能性があったのかもしれない。何にせよ、何かしらの理由で俺らを消す必要があったのでしょう。

 ですが、俺たちは生き残った」

「ただ、そこで私たちは〈腐蝕〉に感染した。感染が判明したのは、それから四日後でした」

「臣下を処刑した、という事が民衆に知られれば、ホーアンの名誉に傷がつくかもしれない。彼は、自分が築き上げた地盤が揺らぐことを恐れていました。

 彼は、これを利用して、感染者隔離をより強調させようとしたのでしょう。私たちを感染者として追放することで、面子めんつを潰すことなく、臣下であっても感染者であれば追放は免れないと見せつけ、民衆の感染者への差別意識をより一層強めた」

「そして、雪原を彷徨い、ようやくこの村に行き着いたのです」

 若い夫婦の口から語られる壮絶な物語を、村人は唖然とした表情で聞いていた。中には、怒りに身体を震わせている者までいた。

「そしてホーアンは、私たちを確実に消すために、討手に私たちを追わせている……」

 思い沈黙ののち、村長が口を開いた。

「なんと……。それが本当だとするなら、君たちはこれからどうするつもりなんだね」

 若い夫婦は、互いの顔を見て、それから村長の目を見て答えた。

「村を出ていきます。討手がこの村に来る前に。ただ、もし、できるのなら、リトマンはこの村に置いていきます」

「ふむ……」

 しばらく考える素振りをしたあと、村長は隣町にでかけに行っていた男に言った。

「ホンノ、お前が行っていたのは、カック村だったな?」

「ああ」

「今のこの時期は、雪が深くなる。それに、むこうさんは雪原の歩き方もろくに分からんだろうて、まだひと月程は安心だろう。

 お前さんらが良いのなら、まだ少しここにいたほうがいい。雪原は広く、残酷だ。生きる術を知らなければ、その身を雪の中へと沈めてしまう」

「だけど……」

 反論しようとした村人の言葉を遮り、言葉を繋いだ。

「彼らが生き残るには、そうするしかない。これは、彼らの問題でも、この村の問題でもない。この雪原全体の問題なんだ。

 それに、彼らはまだ若い。雪がおさまるまでは、私が責任をもって、彼らを守る」

 この還暦に近い男は、一度決めたことは、何があってもそれを貫き通す。村人も彼を慕い、それを理解しているからこそ、彼の言葉に反対することはしなかった。

 彼が言った通り、それからニ週間雪が降り続いた。その後晴れた日に外に出てみると、雪は腰の辺りまで積もっていた。二日かけて村中の雪をかきだし、再び畑仕事に戻る。

 そうして一ヶ月が経ち、ついに、その時がおとずれた。

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