そして(だから)物書きは死んだ

間川 レイ

第1話

1.

カチャン、というカップとソーサーの触れ合う音で、私はふと我に返った。手元に目を落とせばA4のコピー用紙に印刷された1万字程度の小説の原稿。音の出所は、と見れば彼女がカップをソーサーに置いた姿勢のまま、こちらを窺うように見ていた。どことなく期待するような、あるいは面白がるような、そんな不思議な微笑を浮かべて。


「それで、どうかな。」


そう、先を促すように言う彼女。私は黙って首を振ると、託された原稿の束を、立てかけられたメニューに当たらないよう気を付けつつ、彼女に返す。その結果を彼女は予期していたのだろう、その顔に落胆の色は見て取れない。それでも、彼女はこてんと首をかしげると言った。


「それ、そんなに面白くなかった?」


私は再び黙って首を振る。託された小説のテーマは虐待。虐待を受ける主人公の少女が、どうにかして両親に認められようと努力しつつ、結局その努力は実らず失意のまま自殺するまでを克明に描いた小説だ。面白くなかったか、と言われればそんなことはなかった。よく主人公の心情描写もできているし、虐待の描写も真に迫るものがあった。総じて、面白いといって差し支えないだろう。


「ふうん?」


なのにあなたは没にするんだ。そう言いたげに軽く鼻を鳴らす。


いや、違うな。私は首を振る。別に彼女の性格からして別段抗議したいわけじゃない。単に、そうした不満げな態度をとることで、私をからかっているのだ。あわよくば、私を居た堪れなくさせたいだとか、どうせそんなことを考えているのだろう。


こういう人を喰ったところは、大学の文芸部時代からまるで何も変わってない。変わらないな、なんて苦笑しつつ私は口を開く。


「わかっていると思うけど、暗すぎるのよ。うちでは出せないわ」


そう、これまでもそうだったが、彼女の小説の特徴は、暗い、重い、救いがない。私の所属する青年向けライトノベル部門では到底扱えない代物だ。


何せ、需要がなさすぎる。探せばそういうものが好きという顧客もいるのだろうが、全体の1パーセントいたら御の字だ。だから、私の部署から出すことはできない。したがって、原稿を受け取ることもできない。そう告げた。


「そっか。」


そういうと、軽く肩をすくめるとさっきまでの態度は嘘のようにそそくさと原稿を自分の鞄の中にしまう。やっぱりさっきの不満そうな態度は演技だったらしい。やっぱり、変わってない。そう私はわずかに微笑む。


「今回こそはこれでいけると思ったんだけどなぁ」


そう、どこまで本気かわからない声でうそぶく彼女に、


「あなた、いつもそれ言ってるじゃない」


と軽く返しておく。彼女がうちの編集部に、というより私に原稿を持ち込んでくるのはこれが初めてのことではない。


私が大学卒業後この出版社に入り編集部に配属されて以来、同じく卒業して大学院に進んだはずの彼女はちょくちょくこうして原稿を持ってくるようになっていた。大学時代からの腐れ縁、といえるのかもしれない。私はそう苦笑する。


私は別段、こうして彼女の持ち込みの原稿を読むのは嫌いではなかった。彼女の作風は、一言で言うなら独特だ。読んでいて刺激を受けるところもある。でも、だからこそ私としては釘を刺さざるを得なかった。


「悪いんだけど、あなた、この作風のままなら絶対にうちからは出せないから」


そう、ニッチすぎるし暗すぎるから。せめてよその編集部にもっていくなり、あるいは作風をがらりと変えてみるなりすれば、まだ機会はあるのに。それこそ、昔文芸部で書いていたころの作品みたいに。そう言った。


「それは絶対に嫌」


彼女は、珍しく真顔になるといった。普段の飄々とした笑みも消して。


彼女は言う。私は、あなたがいるからあなたの部署で出してもらいたいの。それにあの頃はただ手癖で書いていただけ。私の書きたいのはあんなのじゃない。二度とそんなこと言わないで。


珍しく頑固な彼女にはあ、とため息を吐きつつ、片手でごめんごめんと拝んでおく。それでも彼女はまだ不機嫌そうな顔をしていたけれど、ここから好きなもの一品奢るから、とメニューを放って寄越せば、「ほんと⁉」と目を輝かせてメニューに飛びついた。


そして目の動きから察するに何とかして高いものを奢らせてやろうとしているのが見て取れる。それが、彼女なりの「お返し」ということらしい。


相変わらず妙なところで子供っぽい。やっぱり彼女は変わらない。私たちが学生としてはしゃいでいたあの頃のままだ。それが何となく眩しくて。ふと疑問に思った。


そう言えば、彼女が今の作風に落ち着いたのはいつのころだっけと。いや、そもそも彼女はなんで小説を書いているのだろう。思えば、大学入学以来の付き合いのわりに、そこについてあまり深く聞いたことがなかった。なぜだろう。だから私は聞いた。


「何であなたは小説なんか書いてるの?」


と。だけど彼女は「んー?」と言いながら、まるで私の視線から逃れるようにメニューを盾にするように持ち上げる。こいつ、しらばっくれる気だな。ちょっぴりイラッとした私は、メニューを上から抑え込むと、覗きこむようにしながら言った。


「で、なんであなたは小説なんか書いてるの?」


一音、一音分かりやすく区切るように繰り返す。私が本気で聞いているということを察したらしい。彼女は諦めたようにため息をつくと、やや不貞腐れたような声で言った。


「前も言わなかったっけ?読者の胸に傷跡を残すような小説を書きたいからだよ」


そう、それは聞いた。それは確か私たちが知り合って間もないころ。何かのきっかけでなぜ小説を書くのかという話になった時に、彼女の口からきいた覚えがある。その時はそんなものかと思っていた。


だけど、不思議に思うのだ。なぜ彼女は読者の胸に傷跡を残すことにこだわるのだろうと。世界に自分のいた痕跡を残したいならまだわかる。実際、この世界に自分のいた痕跡を残したいからという理由で物を書く人はいるのだから。


でも、彼女は違う。彼女は、傷跡を刻み込みたがっていた。今まで、その二つは同じことだと思っていた。だがそれが違うとしたら?だから私は彼女に聞くのだ。なぜ、あなたは傷跡を残すことにこだわるの?と。


あは。彼女は小さく笑った。困ったな、とでもいうように頭をかく彼女。何かを迷うように目をさまよわせている。


「どうしても言わなきゃダメ?」


「無理にとは言わないけど。」


そういうと、はあ、と小さくため息を吐くとぱたりとメニューを閉じる。それでもなおも言うか言うまいか悩んでいたようだけど、やがて彼女はぽつりと言った。


「……多分、私はこの世界が嫌いだから。」


「この世界が嫌い?」


思わずおうむ返しに返す。意外、というほどでもなかった。だって彼女は、時々ひどく暗い、沈んだ顔をしていたから。でも、それがどう、読者の胸に傷跡を残すことにつながるのだろう。


そんな私の疑問に気付いたのだろう。彼女は大きく頷くと、同じ言葉を繰り返した。


「そう、この世界が嫌い。」


彼女は続ける。


「誰も彼もが、同じような顔をして歩いているこの世界が嫌い。皆が皆、『当たり前』という言葉に縛られているこの世界が嫌い。そして何より、みんな当たり前に幸せですって顔をして生きているこの世界が大嫌い。」


それは、まるで呪詛だった。この世界を呪う、呪詛。思わずゴクリと喉が鳴る。それを気取られぬように私は尋ねる。


「どうして?」


確か、彼女の実家は地方で大きな病院を営んでいると前に聞いたことがある。彼女はそこのご息女であると。そして中高は私立の中高一貫校に通い、有名私立大に行き、今は大学院にまで通っている。世間一般的に言って、酷く恵まれた生活。


そんな恵まれた生活を送ってきた彼女に、いったいどうしてそこまで世界を憎む理由があるのだろう。私には、不思議でならなかった。


「その目だよ。」


彼女はコーヒーをくるくると回していたティースプーンを私に突きつけるといった。


「私はその目が気に入らない。」


彼女は、かき混ぜていたコーヒーをひと口飲むと続ける。


「確かに、私は恵まれてるよ。実家は裕福で、食べるものにも、着るものにも困ったことがない。冬は暖房であったかく過ごせて、夏は冷房で快適に過ごせる。勉強したいと思えば好きなだけ勉強できて、家の手伝いとかもしなくてよくて、ほかの同年代の子たちが働いていても、私は大学院で好きなだけ勉強できる。」


「でもさ」


彼女は続ける。どんよりとした、濁った眼をして。


「それは世間がそう思っているだけなんだよね。私が、どうやって生きてきたか知らないくせに」


そう口の端で小さく笑う彼女。そんな彼女を見るのは初めてのことで。それと、同時に感じるのはちょっとした怒り。そんな恵まれた立場にいながら、まだ足りないというなんて。なんて我儘なんだろうと思って。思わず口を挟む。


「でも、あなたが恵まれてることは本当のことじゃない。」


「そうだね。」


彼女は深々とうなずく。


「確かに私は恵まれているよ。この上ないほどに。私が凄く贅沢なことを言ってることだってわかってる。」


「だったら……!」


思わず声を荒らげそうになる私に、軽く手を挙げて制する彼女。


「でもさ、あなたは私がどんな人生を歩んできたのかを知らない。そうでしょ?」


その言葉に思わず口をつぐむ。その様子を見た彼女は小さく微笑むと、唐突に言った。


「あなたはさ、親に褒めてもらったことはある?」


「そりゃあ、あるけど……」


とっさの質問に少しどもりりつつ応える。彼女が何を言いたいのかがよくわからなくて。


「じゃあ、頭を撫でてもらったことは?抱きしめてもらったことは?親に一緒に遊んでもらったことはある?」


「あるよ、当たり前じゃん。」


そんな矢継ぎ早な彼女の質問。やっぱり彼女が何を言いたいのかよくわからない。私は少しムッとしながら返す。


「無いよ、私は。」


そう吐き捨てるように言う彼女。そんな彼女は笑っているような、泣いているような奇妙な表情をして言った。


「ねえ、あなたは知らないでしょ。」


そう、今にも泣きだしそうな顔をして言う彼女。その目は何処までも黒々と澱んでいる。


「頭をつかんで何度も柱の角にたたきつけられるととっても痛いの。鳩尾を蹴り上げられると、ほんとに息ができなくなって苦しい。馬乗りになって何十発も殴られていると、段々頭がぼーっとしてきて次第に痛みもあんまり感じなくなるの。なんと言うか、魂だけが抜けだして、どこか遠くで自分が殴られているのを眺めているような気分になるの。」


「そんな気分、あなたは知らないでしょ。」


私は思わず頷く。


「そうだよね。」


と泣きそうな顔で彼女は頷くと、続ける。


「あなたは知らない。髪の毛をつかんで引きずり回される痛みだって知らないし、いつ何時両親の機嫌を損ねて殴られるかわからない怖さも知らない。機嫌を損ね、着のみ着ままで外に追い出されたときの外の寒さだって知らないし、家族みんなでご飯を食べるとき、自分の料理だけ用意されていない心細さだって知らない。」


「どうせ、両親に気違いとか、屑と罵られたこともないんでしょう?」


私は無言で頷く。そうだよね、と頷く彼女。


「私はあるよ。一家の恥ともいわれたし、家名に泥を塗りやがってと何十発も殴られたこともある。やめてって言っても、許してって言ってもやめてくれない。誰かに助けを求めても、『あの人たちがそんなことをするとは信じられない。』『君の被害妄想なのでは。』『家族なんだから話し合ってみなよ。』そんなことを言われて全部なかったことにされた。そんな私の気持ちがわかる?」


私は黙って首を振る。彼女は諦めたような、どことなく儚い笑顔で微笑むといった。相も変わらず、一部の光の無い目をしながら。


「そう、あなたにはわからない。だってそんな経験がないんだから。」


彼女はやや俯くといった。


「私は辛かったよ。何度も死のうって思った。いつから死にたかったのかなんてもう覚えていない。でもいつだって死にたかった。寝てる間に私の心臓が止まればいいのにって本気で思ったし、朝起きては私がまだ生きていることに絶望して泣いた。なんで私はまだ生きてんのって本気で思った。」


「親を本気で殺そうって思ったこともあるんだよ。」


そう、どことなく皮肉気に微笑む彼女。目の奥にはドロドロとした、真っ黒な熱情。まるで全てを焼きつくそうとするような、静かな、でも確かな憎悪がそこにはあって。そんな目を見ていられなくて、思わず目をそむける。


「でも、できなかった。親だからってのもあるけれど、何より、ちゃんと殺せる自信がなかったから。もし仕損じれば親は絶対に私を殺す。それも可能な限りむごたらしい方法で。それは嫌だったの。」


「死にたがりのくせに、殺されるのは嫌だなんて笑っちゃうよね。」


そう寂しげに笑う彼女に、私は何も言うことができない。


「勿論、親に感謝していることもあるんだ。」


そう言いながら彼女はカップをかき混ぜる。空になったカップを、からからと。そこには何も無いのに。何かをかき混ぜるように、からからと。


「いい学校に行かせてくれた。いい大学に行かせてくれた。教育にお金を惜しまなかった。家事だって、機嫌が良かったらしてくれた。そのことには本当に感謝してるんだ。」


「でもね」


そういう彼女の目には、ただ虚無だけがあった。涙だけがハラハラと流れる。そんな彼女はどこか困ったような、微笑んでいるような、そんな不思議な表情を浮かべて泣いていた。ハラハラ、ハラハラと。静かに涙を流して。


「私は本当に毎日がつらかった。いつか両親に殺されるんだって怯えていたことだってある。なのに世間一般から見た私は『すごく恵まれた子』。だってそれが世間から見た『当たり前』なのだから。」


「『裕福な家に生まれたんだ、きっとお前は幸せ者に違いない。』そんな世間の『当たり前』が私をゆっくりと絞め殺しに来る。幸せかどうかなんて、本人しかわからないのにね。」


そう言って笑う彼女を、私は見ることができなかった。


「だから私は思ったんだ。ああ、この人たちは『当たり前』に縛られているんだって。『当たり前』の裏側で何が起きているかなんて知ろうともしないんだって。」


「だから私は決心したの。だったら私が、この世界がどれぐらい残酷か証明して見せるって。少しでも多くの人に、『当たり前』の裏ではこんなことが起きているんだよ、世界に『当たり前』なんてないんだよってことを教えてあげようと思ったの。」


そう、ドブのように澱んた目で無邪気に笑う彼女。


私は思わず重いため息を吐いた。私は内心ゆるゆると首を振る。歪んでる。彼女はそう、歪んでいた。完膚なきまでに、完全に。


マトモじゃない。内心私は呟く。最初から「こう」だったのかはわからない。だが今の彼女が、どう見てもマトモではないことだけは確かだった。


「だから、あなたはそんな暗くて救いのない小説を書くんだね。読者の胸を抉るために。」


そう、私は呟く。でも、まるでそれは、復讐では無いか。彼女を「恵まれた者」とみなし、手を差し伸べなかった世界への復讐。そんな気持ちで、小説を書いていたなんて。何て、哀れなんだろう。そう思ってしまった。


「半分正解かな。」


そう、ヘドロのように澱んた目でニコニコ笑う彼女は言う。


「勿論、読者の記憶に残りたいって気持ちもあるの。でも、ただ記憶に残るだけじゃダメ。決して、私の小説のことを忘れられないように、何をしてても私の小説を思い出せるようにしたい。確かに私という人間がいたという証を、世界にはこんな人間がいたんだってことを、読者の胸に刻み込みたいの。」


「多分、私は忘れられたくないの。だから暗い物語を書く。抉るような物語を書く。それが私の小説を書く理由だよ。」


そう、ブラックホールのように暗く濁った目をして言う彼女。


ああ、やっぱり彼女は異常だ。それは、自己満足以外の何物でもない。彼女は他者を見ているようで他者を見ていない。本質的に彼女の世界には彼女しかいない。すべてが彼女の中で完結してしまっているのだ。そう、彼女の世界は閉じている。すっかり歪に、歪み切った形で。


物書きというものは多かれ少なかれ、歪みを背負って生きている。いや、物書きだけではなく、創作者全般に言えるものなのかもしれない。何せ、創作というものは非常にエネルギーを消費するものだから。そもそも普通の人間というものは、創作なんて志さない。


だが、それにしたって彼女は歪みすぎている。今ならはっきり言える。彼女は異常だ。自己存在の証明以外を目的としないものが創作だって?いうなればそれはむしろ―そこまで私は考え、私は首を振る。これ以上は野暮というものだ。


でも、もう彼女には会えないな。若干の寂寥感とともにそんなことを思う。彼女の信念を聞いた以上、私のところから出すことは決してできない。


それに彼女と話していると、その思いに共感してしまいそうな自分がいるのも確かなのだ。彼女の話は、決して理解出来ないものなどではなかったから。


狂気は伝染する、なんていう。私はこれでも編集者だ。彼女の狂気に、染まるわけにはいかないから。だから、これでさよならだ。


そう思うだけで胸がきゅっと締め付けられるような思いになる。決して短い付き合いというわけでもない。むしろ長い付き合いといってもいいだろう。いろいろ一緒に遊びに行ったりもした。


でも、私は編集者として生きていく道を選んだのだ。私の道と、彼女の道は交わることはない。だから、私の決断は間違っていない。そのはずなのだ。そう、自分にいい聞かせる。なのに視界は奇妙に滲んで、咄嗟にハンカチで拭う。彼女にばれないように。


会計のため伝票に手を伸ばしかけ、ふと、いつの間にか取り出したメニューをパラパラとまた熱心に見ている彼女の姿が目に入る。


そう言えば、一品奢ってあげる約束だっけ。本当に遠い昔のようにも思える。まるで、「最後の晩餐」みたいじゃない。そう心の中で、小さく呟く。この場合、ユダは彼女を切り捨てようとしている私なのか、歪み切ってしまっていた彼女なのか分からなかった。


彼女はパラパラとメニューをめくっていたけれど、あまりお気に召すものがなかったのかパタン、とメニューを閉じてしまった。そして、「そろそろ出よっか」という彼女。


「もういいの?」


私は思わず尋ねる。


「うん、いいの!」


何時ものように穏やかな微笑みを浮かべた彼女は言う。


「今度会った時のつけにしておくから、よろしくね!」


「そうだね」


そう返す私の言葉が震えていなかったどうか、私には自信が無かった。


そして私たちが会計を終え、店を出ようとドアをくぐった時のこと。私の前を歩いていた彼女がふと、振り返ることなくぽつりと言った。まるで、言い忘れていた事を今、思い出したかのように。


「さっき言った話、全部嘘だから。あれは全部フィクション。」


そう、普段通りの落ち着いた声で。先程までの、暗く、澱んだ彼女が嘘のように。


「あれは全部私の作った物語。私はただ、暗い救いのないお話が好きだから、書いているだけだよ。」


そう言う彼女。そんな彼女が、どんな表情を浮かべているのかは、生憎、私からは分からなかった。


2.

彼女とは駅で別れ、家に戻った後。


彼女が列車に轢かれたという連絡を受けた。


急いで向かった病院の先で見たのは事情聴取に現れた複数の警官たちと、とてもお見せできる状況ではありませんと言って私の前に立ちふさがる医師たちの姿。


彼女は即死だったと後から聞いた。


なんでも、線路に落ちたサラリーマンを救うために自らも線路に飛び込み、サラリーマンの救出には成功するも、自らはホームに上がることができずそのまま轢死したと。


「本当に申し訳ないことをした」と友人に過ぎない私にまで土下座しようとするサラリーマンをなだめつつ、ふと思う。彼女の死は事故死として記録されるだろう。我が身を顧みず、他者を助けようとして不幸にも亡くなった、悲しい事故として。


でも、どうしても私は思ってしまうのだ。彼女の死は事故死なんかじゃなくて、自殺だったんじゃないかって。


まさかね。そう、笑い飛ばそうとして、出来なかった。


「私は読者の胸に傷跡を刻みたいんだよ。」


そう言っていた彼女の顔がふと過ぎる。


これが突拍子もない考え方だってことは分かってる。それでも私は、私だけはそう思ってしまうのだ。


彼女はホームに上がれなかったのではなくて、ホームに上がらなかったのではないかって。


私に、自分の語った『物語』を刻み込むために。


「そして、物書きは死んだ。か…」


私は小さく呟き、首を振る。


だから、物書きは死んだのかもしれない。


全ては私に彼女の語った物語を刻み込むために。彼女という人間がいたということを、少なくとも私が決して忘れられないようにするために。


私は病院を出て空を仰ぐ。空はすっかり暗くなっていた。ポツポツ降って来る雨が煩わしい。


「ああ、くそ」


私はぼやく。今だけは普段吸わない煙草が無性に吸いたくてたまらない。


彼女の無邪気な笑顔が、脳裏にこびりついて離れなかった。

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そして(だから)物書きは死んだ 間川 レイ @tsuyomasu0418

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