あの日の怪獣のように
姫路 りしゅう
第1話 事故
**
世界が終わる夜を、夢想する。
その世界での俺は、どんなに状況が悪くても決して諦めず、果敢に何かと戦っていた。
そして最後、世界と一緒に命を散らすのだ。
現実の俺とはまるで正反対。
俺は少しだけ空しくなって、鼻の根の部分を摘むと涙が滲んできた。
彼女が、出ていった。
言葉にすればただそれだけのことだった。でもそれは、簡単に受け入れられない話だ。
見上げると触れられそうなほど綺麗な星空が広がっている。
指の先にはくちょう座を見つけた。その、お世辞にも白鳥とは言い難い十字架のてっぺんに、ひときわ輝く一等星を見つける。
耳鳴りがした。
まだ彼女の叫び声が耳に残っていた。「何か言ったらどうなの?」という甲高い叫び声。
それでもなお何も言わない俺を見て、彼女は出ていったんだ。
ハッ、と乾いた笑いが口から漏れる。
例えば一度だけ過去に戻れたとして、俺はあそこで何か言えるだろうか。
「……いや、何も言えないなぁ」
過去に戻ってやり直せるような気概のある人間は、そもそもそんなところで躓かない。
十年前に戻れるなら、全く別の選択肢をとれるかもしれないが、たかだか数時間戻ったところで、何を変えられるというだろう。
その場だけはうまく回避できたとしても、どうせそのすぐ後に来る似たような展開は回避できない。
性根が終わっているから。
発言や振る舞いよりももっと根本的なところで、俺は冬香の理想に答えられるような存在ではないから。
冬香はきっと、決断力があって自分をぐいぐい引っ張っていってくれるタイプを求めている。
それなのに俺は、優柔不断で自分じゃ何も決められない。肝心なところでフリーズしてしまうタイプだった。
今日の喧嘩も、きっかけ自体は思い出せないくらい小さなことだった。
きちんとお互いの言い分を主張して、納得できる落としどころを見つけることができれば終わるような内容のはずだったんだ。
ただ一点だけ、お互いの言い分を主張する、というところが俺には荷が重すぎた。
伝えたいほどの意見なんてない。
それは日頃のデートでもそうで。
俺の方から誘ったことも、食べたいご飯や行きたい場所を指定したこともほとんどなかったように思う。
つまり、毎回冬香の意見がすんなり通っていたということで、俺はそれでいいと思っていたし、自分の意見を通せる冬香は何の不満も抱えていないと思っていた。
冬香は毎回、自分の食べたいものを食べられていたんだから。
「それがどれだけ辛いことだったか、秋人くんには想像もできないんだね」
ああ、全くもって想像できていなかったさ。
俺はむしろ、食べたい食べ物がすっと出てくる冬香に憧れを抱いていた。
「あのね。この際だから言うんだけど、俺は冬香と違ってほしいものがないからって顔するのやめてくれないかな」
冬香の声が脳裏にフラッシュバックする。
車道を走るバイクが大きな音を鳴らして横を通り過ぎた。
「あたしだって別に食べたいものも、欲しいものも、やりたいこともあるわけじゃない。でも、君と一緒に何かをしたいから、一生懸命それを探していたんだよ。それなのに、あたしはこんなに頑張っているのに! 何も考えずに乗っかってくるだけのその態度、本当に無理」
もうかれこれ、一時間くらいは歩いただろうか。
冬香が出ていってから数時間、俺は放心状態でベッドに座っていた。
我に返ってからすぐに連絡はしてみたものの、返信は帰ってこず。
俺はいてもたってもいられなくなって、部屋着のまま外に出て宛もなく歩いていた。
時々無性に走りたくなって、時々無性に叫びたくなって。
それでもこんな夜更けに二十を越えたいい男が叫びながら走るのはまずいだろうと、ぐっと我慢して。
ほんの少しだけ、気持ちに整理がついた。
「……帰るか」
上を向いて数秒間立ち止まる。
息を大きく吐いて、一歩踏み出した瞬間。
体に強い衝撃を感じた。
その直前か直後に、耳をつんざくようなブレーキ音が飛び込んでくる。
大きな車。
世界が回る。一瞬呼吸が止まり、全身から酸素が抜けていく。景色から色が消えていく。
ああ、俺はいま、車に轢かれてしまったんだ。
全身がドクドクと脈打っているような感覚と共に、ふわり、と俺の体は宙に舞い。
こんな深夜に人が歩いているとは思わないよな。なんて暢気なことを考えながら。
俺はゆっくりと、灰色の世界に溺れていった。
遠くで世界が鳴っていた。
病室のベッドの上で目を覚ました俺は、安堵の表情を見せた両親から自分が一週間ほど眠っていたことを聞かされた。
俺を心配してくれていた両親にとって一週間というのは恐ろしく長い期間だったと思うが、俺からしたら一瞬の出来事だったので、その現実を飲み込むのにかかった時間の方が体感では長い。
ただ一週間というのは、世界を一変させてしまうには十分すぎる時間ようで、俺が眠っている間に、歴史を揺るがす大事件が起こっていた。
「眠っている間のドラマとかアニメ、しっかり消化しなきゃな」
なんて呟いたら両親が「あのね、秋人が眠っている間に結構な大事件が起きてね。っていうか、まだ続いてて」と不安そうな表情で言った。
そのまま、看護師に許可をとって病室のテレビに電源を入れる。
「えっと、なに? 俺が寝てる間に戦争でも始まった?」
「……」
不謹慎なジョークのつもりだったのに、母親はクスリとも笑わずため息をついた。
「ちょっと近い」
「どういうことさ?」
「……怪獣が出てきたの」
「は?」
テレビが付く。
そこで目にした画面には、昔の特撮映画に出てくるような大怪獣の姿が中継されていた。
唖然とした俺は言葉を失う。
映画でもみせられているのか? とすら思ったが、どのチャンネルでもどのニュースサイトでも、軒並み怪獣について取り上げられていた。
全長はおよそ百五十メートル。ふたつの足と大きな尻尾で体を支える疑似的な二足歩行で、黒く、ゴツゴツした岩のような肌には体毛や鱗が全くない。
ティラノサウルスのような顔には、鋭いキバと獰猛な瞳が爛々と輝いていた。
それは、どう見ても怪獣としか呼べない生き物だった。
太平洋のとある島に突如として上陸したその生き物は、テレビ中継の中で少しだけ悲しそうな声色で吠える。
それを世界各国の軍の兵器がそれを取り囲んでいた。
きっともうすぐ破られるであろう膠着状態。
目を覚ますと、世界が一変していた。
「そんな馬鹿な……」
驚きながら上半身をゆっくり起こす。一週間全く動いていなかったからであろう、少しだけ痛みが走った。
そこで俺は初めて気が付いた。
下半身の感覚がない。
まさか、と思い恐る恐る目をやると、下半身が切断されているということはなく、普通に存在していたので少しだけ安堵した。
それでも、動かせないことには変わりなかった。
「あの……足の感覚が、ないんだけど」
事故の影響で俺は、歩くことができなくなっていた。
怪獣の出現と、自分の体。
衝撃的なことが多すぎてパンクした俺は、再び気絶するように眠りに落ちた。
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