第2話 攻撃

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 どうやら俺の下半身不随は、筋力の衰えに加えて、事故の恐怖による心因的なものの可能性が高いらしく、少ししたら歩けるようになるだろうと言われた。

 ひとまずよかった。

 歩けないことを申告したとき、絶望的な表情を浮かべて泣きだしそうになっていた両親は、それからこれまでの人生で一度もないくらい俺を甘やかした。

「なにか食べたいものある? 何でも買ってくるから言って」

「うーん、そうだなぁ……」

「果物とかなら食べやすいのかな。高いメロンとか買ってこようか?」

「うん。あ、でもそんなに高いやつじゃなくていいよ」

 薄々気が付いていたが、俺の親は相当いい人たちだった。

 しかし、下半身が動かないという大きな後遺症以外は特に目立った後遺症もなくわりとぴんぴんしていたため、遠路はるばるやってきて一週間以上付き添ってくれていた彼らはいったん実家へ戻った。

 二人とも会社を休んでずっと傍にいてくれていたらしい。

 病室に一人取り残された俺は、寂しさを紛らわすためにテレビをつけた。

 連日報道されている怪獣のニュースを流し見して、なんとなくの情報を集める。

 出現からもう四日ほど経つらしいが、今のところ怪獣は映画のように暴れることもなく大人しくしているそうだ。

 ただし、いつどんな動きを見せるかわからないため主要国家のトップが何度も会合を行っているらしい。

 きっと各国に色々な思惑があり、俺なんかでは想像もつかないような議論が交わされているのだと思うが、一般人のところまで情報が降りてくるはずもなく、ただ怪獣がそこにいる、という事実以上の話はなかった。

「非日常に身を投じるのって、意外と難しいんだな」

 怪獣が現れたら、宇宙人が、テロリストが攻めてきたら、俺たちは特別になれる。

 十年ほど前、中学生の頃に幾度となくそんな妄想をしていたことを思い出す。

「ま、現実はこんなもんか」

 現実の俺は、出現の瞬間に立ち会えないばかりか、興味のない映画を観る感覚でいる。

 両親も普通に仕事に行った。

 これ、結構異常じゃない?

 そんなことを考えていると、コンコンと病室の扉がノックされた。

 面会は遮断されていないものの、俺のことを見舞いに来てくれる人なんて誰かいたっけな。そもそもこういうのって事前に連絡とかあるものじゃないのかな。と思いながら「はーい」と返事をする。

 遠慮がちに開かれる扉の向こうには、出ていったはずの彼女、冬香が佇んでいた。

「あ、ああ、よう」

 ギリギリのところで笑顔を浮かべ、右手をゆっくりとあげる。

 上半身は少しずつ動くようになってきていた。

 すると冬香はへなへなと入り口のところに座り込んだ。

「えっと、どうしたんよ。どっか調子悪いの?」

「ばか……」

 俯いた冬香は肩を震わせた。

「ほんと、ばか」

 ……泣いてる?

 俺はとりあえず、スライド式の扉を閉めてベッドの方へ来るように言った。

 病室で女を泣かせる男の図、最悪すぎる。

「まあほら、座って。何もおもてなしできないけど」

 意外にも冬香はすんなりと立ち上がり、ベッドの傍にある椅子に腰かけた。

 無言の時間とともに、赤く充血した瞳と視線が合う。

 やっぱり泣いていたみたいだ。どうしてこの子は泣いているんだろう。

 もしかして、俺が意識を取り戻したことがそんなに嬉しかったのかな。

 と一瞬思ったが、よくよく考えたら冬香は俺に見切りをつけて家を出ていったわけで。

 だったら俺が死のうが喚こうがどうでもいいだろう。という考えが頭を支配した。

「……よかった。もう死んだと思ったんだからね」

「運よく生き延びたよ。まあこれも日頃の行いってやつかな」

「日頃の行いがよかったらそもそも轢かれないんじゃないかな……」

「いやいや。事故は誰にでも起き得るんだって。よく言うだろヒヤリハットって。統計的に三百回ヒヤリとする経験があれば一件ハッとするような経験が混じるって」

「違うよね。三百回のヒヤリ、ハッとするような経験があれば一件の重大な事故が起きる、だよね。三百回もヒヤリとしているのに一回しかハッとしないのはもうちょっとしっかり生きたほうがいいと思うわ」

「確かに事故に合う前、ヒヤリとした経験がそろそろ二百九十回くらいだなあって思ってたんだよ」

「統計ってすごいね」

 冬香の目はまだ充血していたが、俺たちは楽しく会話して笑った。

思っていたより普通に喋れている。

 まるであの夜なんてなかったかのように。

「で、元気そうだけど特に後遺症とかはないの」

「ないかな。しいて言えば下半身の調子が悪い」

「ちょっ……」

 突然冬香が顔をしかめて手を顔の前で交差させた。

「秋人くんの下半身事情は聞いてないから」

「酷いな、後遺症はないのって聞いたのそっちだろ」

「あれ、もしかして深刻な話なの?」

「まあな。心因的なものっぽいけど、全く動かせない」

 そう言うと冬香は少しだけ首を傾げて恐る恐る聞いてきた。

「あたし、あんまり男の人のそう言うのわからないんだけど、自由自在に動かせるものなの?」

「ん? いや、何言って……」

 なんで俺の足が動かないことに、男女の話が関わってくるんだろうと思ったところで、俺は笑えるすれ違いに気が付いた。

 ああ、確かに、下半身って言うと語弊を招くか。

 いや、招くか? 下半身って腰より下全域を指す単語のハズだろ。

「あのな、冬香。下半身って言うのは冬香の考える部位のことじゃなくて文字通り体の下半分のことなんだ……」

「……え」

 冬香の目がきょろきょろと動く。そして少しの間の後。

「めちゃくちゃ重大な後遺症じゃないの!」

 病室にそんな叫び声が響いた。


 その時、また病室の扉がコンコンとノックされた。

「ほら、冬香がうるさいから怒られちゃうよ」

「……ごめんなさい」

 素直に謝った冬香はとぼとぼとした足取りで扉を開けた。するとそこには、見知らぬおじさんが立っていた。

「あ、すいません、うるさかったですか」

 ゆっくりと頭を下げると、おじさんは俺のすぐ近くまで来て、突然膝をついた。

「ちょ、ちょっと、なんですか? 汚れますよ」

「申し訳ありませんでした」

 彼は膝立ちの姿勢のまま上半身を下げ、両手を地面につけた。

 それは土下座と呼ばれる姿勢だった。

「……」

 一瞬遅れて状況を飲み込む。

 そうか、この人が俺を轢いた人なんだ。

 俺はいままで交通事故の加害者になったことがないのでよく知らなかったが、どうやら加害者はすぐに牢屋に入るというわけではないらしい。

 この年にして恥ずかしいんだけど、実は執行猶予とか懲役とかあの辺のシステムをよく理解していなかったりする。

 おじさんはちゃんと警察に連絡して、弁護士を通して俺の両親と話もしていたようで、あとはお金をどう清算するか、というところだけだった。

 ただ、その前にどうしても俺に謝りたかったらしい。

「顔をあげてください」

 正直、事故の詳細はよく覚えていなかった。

 俺が道路に飛び出したのか、この人が歩道に出て来たのか。

 だからこうして命がある以上、必要以上に賠償金を要求するつもりはなかった。

もちろん医療費は頂けるなら頂きたいが。

それは目覚めた後両親にしっかり伝えているし、彼らも理解してくれた。

「……でも」

 おじさんの目は酷く虚ろで、頬も痩せこけていた。

 きっとこの一週間、ろくに眠れていなかったのだろう。

 実は俺が無事目を覚まして一番安堵したのはこの人なのかもしれない。

「本当に大丈夫です。生きていたんだし。あんまり当時の記憶はないんですけど、むしろ自分の方も夜中にふらふら出歩いていたことは事実なので。こっちこそすいません」

 俺が謝ると、おじさんは大慌てで両手を振った。

「謝らないでください。本当にご迷惑をおかけしました。お金のほうも、できるだけ出しますので」

 気弱そうに謝るおじさんを見ていると、なんとなく親近感を覚えた。

 なんだか似た者同士の空気を感じたのだ。

 まあ、俺みたいなのと一緒にされておじさんは嫌だと思うけど。

 何往復か謝罪のやり取りがあったのち、こっそりと、冬香が俺に耳打ちをした。

「この人、毎日病室に来ていたんだよ」

「うっそ……」

 びっくりした。

 いくら轢いたからと言って、いつ目覚めるかわからない俺の見舞いに毎日来るだなんて、と感動に浸って。

 あれ?

 どうして冬香は、この人が毎日見舞いに来ていたことを知っているんだ?

「知らない、ばか!」


 そんな俺たちのくだらないやり取りを、俺を轢いたおじさんは恨みがましい目で見ていたような気がした。


 それから三日後、全世界をあげて怪獣へ攻撃をすることが決まった。

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