第3話 咆哮

**


「酷い話だよね」

 今日も病室に来てくれた冬香が、テレビを見て言った。

 怪獣への総攻撃を決定する。

 その判断の裏に、どんな壮絶な物語があったのだろう。

 国の重役でも何でもない俺には予想もできない、重厚で感動的なストーリーがあったのなら、いつか映画で見せてほしいものだ。

「酷い話って、なにが?」

「この怪獣さ、何も悪いことしてないんだよ」

 冬香の言う通り、今のところ怪獣はなににもどこにも危害を加えていなかった。

そのせいか、この怪獣を攻撃するのは反対だ、という声をあげている人たちも一定数存在しているくらいだ。

 物を食べている様子すらない。

「まあな。でも、いずれ何かをするかもしれないだろ」

「別にあたしにそこまで強い主張はないんだけど、いずれ何かをするかも、って言う理由で殺すのって、なんだかなあって感じじゃない?」

「それもそうだ」

「ま、相手は人間じゃなくて言葉の通じない怪獣だからそれでいいかなとも思うけどね」

 俺は頷いた。

 

 怪獣への攻撃は、全世界に中継されるようだった。

 怪獣の上陸している島は無人島のようだったが、その近くの島に住む人にとっては人生が揺らぐような出来事だっただろう。

 ただ、俺たちからすれば文字通り対岸の火事で、正直エンタメのような感覚で中継を待機していた。

 中継がはじまるのは今日の午後五時。俺の病室は六時まで面会許可がされているので、冬香は家に帰らず一緒に見ることになった。

 あれから冬香と、あの日の喧嘩のことは一度も話していない。

 まるで喧嘩なんてなかったかのように、俺たちは普通に会話をしている。

 確かにあの日、ただ冬香は家を出ていっただけで、別れ話の類が進行したわけではなかった。だから今こうして一緒にいることも、何ら不思議ではない。

 むしろ下手に掘り返して、また確執を生んでしまう方がよくないように思えた。

 触らぬ神に祟りなし。

 気には障らず神には触らず。人間関係を円滑に進めるためにはかなり重要なことだと思っている。

「秋人くん、なんか果物食べる?」

「あ、剥いてくれる? じゃあ食べたい」

「……うん。じゃあメロンと桃どっちにする?」

「うーん、どっちもいいなあ。冬香はどっち食べたい?」

「…………じゃ、どっちも剥くね」

 そこで俺は、冬香の表情が陰っていることに気が付いた。

 そうだ。これだ。

「ごめん、冬香」

「ううん。別にいい」

 この俺の、結局自分では何も決めないところに冬香は憤りを覚えたんだった。

 自分で決めない。自分の足で歩かない。

 その結果がいまの俺なのに、また同じことを繰り返していた。

「……」

 でも、生き方ってそう簡単に変えられるものじゃないだろう。

「ほら、剥き終わったから食べよ?」

「ありがとう」

 お礼を言って、爪楊枝の突き刺さったメロンを食べた。

 甘い。

 口いっぱいにほんのり青臭い甘みが広がる。

「そろそろ五時だね」

「だな」

 テレビをつけた。

 もうすぐ怪獣への攻撃が始まる。

 攻撃を加えたら、もしかするととんでもない反撃をされるかもしれない。

 そうなれば、世界が焼け野原になる可能性も否めない。

 まあでも、きっとそんなことにはならないのだろう。

 どこから来たかもわからない怪獣は、現代世界の科学兵器によって海の底へ沈められるのだ。

 秒針が動く。

あの日俺は、世界が終わる夜を、夢想した。

それが現実になるかもしれない。そんな瞬間に俺はただ、病室のベッドに寝転がってテレビで中継を見ていた。


 そして、轟音が響いた。

 最初に発射されたのは三発ほどの巨大なミサイル。それらは怪獣の顔へと着弾した週間、光と煙をまき散らしながら弾けた。

 攻撃を受けた怪獣は、ゆっくりとミサイルが射出された方向へと目線を向ける。

 その顔面は悲惨なものになっていた。頬の肉は抉られ、潰れた左目からは涙のような赤い液体がこぼれ出ていた。

「怪獣の血も、赤いんだ」

 横で冬香が小さく漏らした。

 俺はそこよりも、たった三発の現代兵器がかなりのダメージを与えていることに驚いた。

 もう現実はフィクションより強いのかもしれない。ファンタジーでおなじみの剣と魔法の世界にも、戦車を一台持ち込んだらそれで終わるのかも。

 その考えを補強するかのように、怪獣への攻撃がどんどん続いていく。

数機の戦闘機が旋回しながら弾幕を張った。

そのあたりで怪獣は、自分が殺されかけていることに気が付いたのだろう。

「ォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 大地をつんざくような咆哮が轟いた。

 怒りと、悲しみが混じったような叫び声。

 この怪獣に感情があるかどうかは知らないから、これはあくまで受け取り手、俺の感想だ。

 弾幕の後ろから、もう一発最初と同じような大きさのミサイルが発射された。

 怪獣はそれをちらりと見て、巨体に似合わない俊敏な前ステップで躱そうとする。

 しかし発射されたミサイルは当然ただまっすぐ飛ぶだけの代物ではなく、進路を変えて対象へと着弾する。

 誘導弾。

 そのミサイルの仕組みを俺はよく知らなかったが、きっと自動か手動で対象を追尾するようになっているのだろう。

「そりゃまあ、自動か手動のどっちかではあるだろうね……」

 横から冬香が突っ込んできたが、その声はどこか上の空だった。

 それもそのはず、俺たちは画面の中にくぎ付けになっていたから。

 怪獣は口からビームなどを出さず、ただ短い手を振って弾幕を振り払い、戦闘機の方へ進んでいく。

「……」

 もしかして、この怪獣は本当に何の反撃手段も持っていないんじゃないだろうか。

 俺は今さらながらに、そう思った。

 怪獣の目は潰れ、顔は爛れ、体中から出血している。張っている弾幕も効果的のようで、足取りもだんだんと重くなっているように見えた。

 それでも怪獣は、一歩ずつ前へと進んでいく。

「なんで」

 気が付けば俺は、こぶしを握り締めていた。

「なんでこの怪獣は、進めるんだよ」

 人間側の攻撃はすべて有効打として突き刺さり、怪獣側の反撃の手段は無様に腕を振り回すことだけ。

 たった数分の攻防だけで、勝ち目がないことがわかり切ってしまった。

 それでも怪獣は、歩を進めている。

 それは愚かな野生生物の無意味な抵抗ではなく、何かしらの意志を持った強い歩みに見えた。

「絶対勝てないし、進んでも無駄なのになんで」

「理由なんてたぶんないよ」

「……」

「きっと怪獣は、ただそうしたいから進んでいるんじゃないかな」

「そうしたいから? どういうことだよ」

「いや知らないよ。あたし怪獣じゃないし。でもたぶん、進みたい、進まなきゃだめだと思っているから、進んでいるだけだよ」

「……」

「まあ、秋人くんにはわからない感覚かもしれないね」

「え、なんでだよ」

「だって君、何かをしたいっていう気持ちないじゃ……」

 そこまで言って、冬香はしまった、という顔をした。

 思い出すのは事故の日の夜。冬香が出ていった夜の喧嘩。

 何もやりたいことがない自分を是として、全て冬香に押し付けていた自分。

 二人の間に沈黙が流れた。

 俺は冬香の顔を直視できず、目を伏せた。

 三十秒ほどが経って、テレビからひときわ大きい叫び声が聞こえてきた。

「うわっ」

 その叫び声は、断末魔。

 突然現れた大怪獣の、最後の咆哮だった。

「……すごいあっさりだったね」

「そうだな。もうちょっと反撃のビームとかがあるのかもって思ってたけど」

「あはは、怪獣映画の見過ぎだよ」

 そう言って冬香はちらりと時計を見た。

「ああ、もう帰らなきゃ。じゃあ、ちゃんとご飯も食べて早く退院してね」

 彼女は鞄をまとめて、そそくさと出ていった。俺はなんとか手を振って、締まる扉をぼうっと見る。

 耳の奥で、さっきの怪獣の咆哮が鳴っていた。

 無駄だとわかっていても、自分が前に進みたいと思っているから抵抗をする怪獣。

 ただそうしたいから、そうする。

「……」

 結局怪獣は、どうやって出現したのかも、何者だったのかも全くわからないまま死んでしまった。

 それでも今日のテレビ中継を見て、俺は少しだけ、自分に足りない何かを埋められる気がした。

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