第9話 人生相談と帰路

 その後、美華は簡単に生徒会の仕事を教わっていた。

 美華に任された個人的な仕事を教わる……というか、そもそも会長は美華に雑用をさせる気はなかったようでとくに仕事はなかった。


 なら、なぜ生徒会に入れたのか? なんて、まともな答えが返ってこない質問を僕はしなかった。

 それから、今はというと、


「これが生徒会人生相談っていうやつですか」


「これからは、ここに寄せられた人生相談に答えていくことが生徒会の仕事になっていくよ」


 そこには誰からの相談なのかはわからないように匿名で人生相談が寄せられていた。

 でも、普通はパソコンなんかでやり取りするもんじゃないのか?


 現代で手書きの手紙での人生相談なんて、アナログというか古風なものだ。

 日本人の手紙離れが噓のように、生徒会室の入り口にあるポストに相談手紙が入っていたわけで。


「それで、手紙の内容はなんて書いているんですか?」


「はい、自分で読んでみな」



 会長が僕たちのいる中央の机に、その相談が書かれた手紙を持ってきてくれる。


「……進路相談みたいなものですかね」


「アボカド、それわたしにも読ませて」


「ああ、はい」


 僕はいつの間にか横にきていた斎藤に手紙を渡す。

 今さらではあるが、女の子が男子をアボカドなどという、素っ頓狂なあだなで呼んでいることに、誰一人突っ込まない辺り——現代の若者の適応力は凄まじいものだ。


 まあ、でないと毎年恒例の流行語大賞に、日本語? なのかも分からない言葉が入ってくることはないだろう、と僕は思った。


 タピる! いや、なんだよそれ。新種のポケモンかなにかなのか? ……もうこれも時代遅れなのかもしれない。


「……自分のやりたいことが見つからないのに、進路を決めるなんてどうしたらいいか分からないです。どうしたらいいですか、か」


「そういうことだね。実際、この問題は他人ごとでは済まされないものだね」


 進路相談か。それを他の人に訊くということは、それだけ悩んでいるってことなんだろうな。

 僕も中学から高校に進むときに、この学校を決めたわけだけど、高校生から次に進むこととは色々違ってくる。


 ある人は仕事に就くかもしれないし、大学に進んで学びたいことを学ぶ人もいるだろう。この問題は、この人だけが悩んでいることではないという——会長の指摘はもっともなものだ。


 ただ、だからこそ他人が助言するのはとても難しい問題だとも思う。


 なぜなら、僕たち生徒会の誰もが、まだ高校生から先の世界に出た経験がないのだから。


「それもそうですけど、この人自身がやりたいことが見つかってないと大学も決めることができないですよね。大学といっても途轍もない数の大学があるわけだし」


「それはそうなんだけど、後輩君はやりたいこととかはあるのかい?」


 脈絡もない質問に、少し首を傾げる僕だったけど、とくに間を開けることなく返事を返すことが出来た。


 自分でも驚くほど、淡白な返事だとも思ったけど。


「僕のやりたいことですか。それはとくにはないですね」


 いざ自分にやりたいことなんて聞かれると、思い当たることなんてないな。


 部活で活躍している人は、そのまま大学でも頑張る、なんてことが言えるのかもしれないけど、僕はこれといって得意なことがあるわけではない。


 僕が考えもなく返事を返すと、会長は大げさに嘆息する。


「それはもったいないことだよ。千秋ちゃんはやりたいことある?」


「わたしはありますよ。ただ、あまり言いたくないですけど」


「え、斎藤にやりたいことなんてあるのかよ」


 斎藤がまさかのやりたいことがあるということに驚いてしまっていた。

 斎藤ってなんだか欲があまりないと思っていたけど、こいつにもやりたいことはあるんだな。一般的な部分もあるんだな、安心したよ。


 僕が余計なことに胸をなでおろしていると、不機嫌な顔で斎藤が睨んできた。


「失礼だな。やりたいことがないなんて、そんな人はいないと思うけど」


「そうか? もしそれが正しかったらこんな相談もくることはないと思うけどな」


 少し意地の悪い返しに対して、そんなことないよ、と斎藤は言いながら自分の仕事に戻っていく。


 斎藤は書記として、今年の生徒会での活動内容を紙面にまとめているところだ。

 年内中に先生側に提出しないといけないようで、今の生徒会の中で一番忙しそうにしている。


「それでいうなら、会長こそ来年には受験生なんだしどうなんですか?」


「わたしのやりたいことなんて、ありすぎて困っているくらいだよ」


 斎藤との会話も終わったことで、会長にも困ってもらおうと同じ質問をしたところで、会長は僕が聞いてくることを待ってましたと、含みのある微笑みで僕を見返してくる。


「話し出したらきりがないから、ざっくり言うとね」


 陽が地平線に隠れてしまいそうで、夜空ともいえない幻想的な色合いをした空から冬の寒さが風に乗って生徒会室に吹き込んでくる。大禍時、いや僕にとっては大魔時かな。


 その風に吹かれたカーテンは窓際に立っている会長の顔を僕の視界から遮る。

そして、次の瞬間、吹き込んできた風がカーテンと共に窓の外に飛び出していく。


 そこにあった会長の表情は——まだ見たことのない夢のような世界に憧れる。そんな無垢な少女の表情だった。


「わたしの知らないことを知り続けること」


 その無垢な会長の表情に、僕は見とれていることにも気付かなかった。


「後輩君。人はなにが怖いと思う?」


「人が怖いこと……幽霊とか怪談ですかね」


「そんなことを聞いてるんじゃないよ。それに、後輩君はわたしが言いたいことを知っているのに、そんな意地悪な返事を返すのかな?」


 怖いものを僕は知っている……そんなこと知るはずもないだろ。

 他人がなにが好きで嫌いかなんて本人にしか分かるはずがないじゃないか。


「まあ今日はいいよ。今回は教えてあげる」


 会長は優しい表情で言葉を紡ぐ。


「人はね、知らないことが怖いんだよ」


「それはそうだと思いますよ。でも、それだったら会長は自分のやりたいことは怖いことだっていうことになりますよ」


 物凄く矛盾した話をしていると思うんだけど。

 自分のやりたいことが、自分の恐れていることだなんてことがあるのか?


「興味などの好奇心と怖いなどの恐怖心は表裏一体なんだよ。人は自分の知らないことに興味を持つ。だけど、一緒に知らないからこそ恐怖心も抱くものなんだよ」


 グラウンド整備をしている野球部を見下ろしながら、会長はゆっくりと呼吸をする。そして、さらに意味の分からないことを話し出す。


「ペンギンを知ってる?」


「はい? ペンギン?」


「そう。ペンギンは氷山の一角から海に初めて飛び降りるときに、海に飛び降りたい。だけど、海の中が分からないから飛び降りずに、後ろのペンギンに先頭を譲るんだよ」


 生徒会室には、僕だけではないはずなのに……会長の視線は僕を捉え続ける。


「でも、一匹のペンギンが恐怖心より好奇心が勝って海に飛び込む。すると、他のペンギンたちは躊躇することなく飛び込んでいくんだ。なんでだと思う?」


 信号が赤から青になったようなものなんだろうか。僕はペンギンではないから分からないけど。


「海が安全なものだと分かったからですかね?」


「そうなんだよ。でも、それはただ分かっていることに過ぎなくて最初に飛び込んだペンギンと残りのペンギンとでは同じのようで、全く同じではないんだ」


 そこまで話すと、会長は季節外れに開いていた窓を閉める。


「わたしは自分で、知らない世界を知りたいんだよ」


 その顔は雲一つない空のように澄んだ表情をしていた。


「今回の相談にはわたしが返事を書いておくから、次は後輩君が返事をしてあげるんだよ」


「それはいいですけど、会長ほど僕の返事は驚きに満ちていないと思いますけどね」


 自虐的に、そして、そんな面倒なことはご遠慮します、という願いを込めて僕は会長を見遣る。が、そんな僕の儚い願いが叶うことはなかった。


「それでいいんだよ。後輩君の言葉で返事をしてあげれば」


 それじゃ今日は解散、と会長の一言で本日の生徒会活動は終了した。会長はいつも通り教室の鍵を返しにいき、司さんも帰っていった。


 僕と美華、そして斎藤も帰ることになった。


「……あの、斎藤さん」


「なに? あ、あと千秋でいいよ」


 遠慮気味に声を掛けた美華にたいして、至って落ち着いた声で斎藤が返事を返した。


 女子ふたりと一緒に下校なんて、男子にとっては最高なんだろうけど……板挟みで物凄く肩身が狭いんだよな。


 僕を挟んでの会話に、ついため息が漏れてしまった。


「あ、うん。千秋ちゃん、なんで冬馬のことがアボカドなの?」


 美華の質問に隣にいる僕も、つい肩を落としてしまう。美華がそこに疑問を持ってくれて安心したよ。


 その呼び方が全く一般的ではないはずなのに、会長と司さんの適応力といったら完璧なスルー。


 聞かれたら斎藤は左斜め上を眺めながら、なにか考えている素振りを見せる。

 どうせ、勝手に捏造した経緯を話し出すんだろうな。さらにややこしい事はごめんだ。


「それについては、知らなくていいよ。人が呼吸をする理由を聞くぐらいどうでもいいことだから」


「……そうなんだ」


 と、さらなる面倒ごとは、それを上回るほど理解を越えた回答によって防がれてしまった。斎藤にとって、アボカドとはそこまで常識的なものだったのか⁉


 美華は納得したとは言い難い顔をしているけど、それ以上追求することはなかった。そっと心の中で胸を撫で下ろしていると、斎藤が不満そうに頬を膨らませている。


「どうせ、ろくでもないことを言うつもりだったんだろ」


「あら、わかった」


「あら、じゃないわ。そんないかにもな顔してるくせに」


 多少、美華に気を遣ってあげたのだろうけど、それがさらに斎藤のイメージをあらぬ方向にもっていっている気がするんだが。


 僕に言われて、てへ! みたいな普段では絶対しない顔をする斎藤。

 そんな顔はふざけてされるものではないな。うっかり許してしまうからな。


「それじゃわたしからもいいかな。なんで美華くんはアボカドの家に住んでいるの?」


「あ……それは」


 斎藤がなぜその質問をしてきたのかは分かる。僕だって、友達の家に他の人が住むことになったなんてイベントが起きたら聞きたくなると思うから。


 だけど、それを僕が話すことはできない。それに、僕だって知らないことなんだから。


 美華の語ってくれた過去が頭をよぎる。過去という空白の記憶が。


 過去を忘れてしまった少女が親戚の家に住むことになった。


 それだけで、ことがどれだけ深刻なのかは、僕でも流石に分かる。


 だからこそ、美華自身には出来る限りそのことを考えて欲しくはない。僕が答えるのを、斎藤は求めていないだろうけど、僕は答えずにはいられなかった。


「美華の両親が仕事の都合で海外に行くことになったらしくて。それで、親戚の家に住むことになったんだよ」


「あ、そうなんだ。それは大変だね。困ったことがあったら言ってね」


「……ありがとう」


 僕が話しを済ませると、美華は安堵した表情で俯く。ただ、返事の歯切れが悪いのは斎藤に本当の事を黙ったからだろうか。


 でも、そんなことを気にするやつではない。斎藤とは少しは付き合いが長いし、あいつが他人に優しいことぐらい知っている。

 斎藤なりに、美華を助けてあげようと思っているんだろう。


「あ、それなら一つアドバイスしてあげるね」


 そろそろ斎藤との別れ道が近づいてきた頃、斎藤が美華の耳元で囁いた。その声は僕にまで聞こえる声で。


 というより、わざと聞こえる声量で。


「アボカド、夜は狼になるから、身の危険を感じたら遠慮なくわたしを呼んでね」


「え、冬馬が……」


 さっと美華との距離が開いた気がするけど、落ち込んでいる場合ではない。

そんな斎藤の思い通りになってたまるか!


「斎藤、余計な事を言うな。そんな自分から首を絞めるようなことをするか!」


 そして、美華もそいつのことは信じるんじゃない。心が痛むから、そんな疑いの眼差しを向けないでくれ。


 ……この会話、文にしたら物凄いな。……アボカドが狼なんて、どんなファンタジー世界だよ。


 斎藤は僕の呆れた顔を見たら、笑いながら手を軽く振って自分の家の方に歩いて行った。


「千秋ちゃん、少し変なところがあるけど、いい人そうだね」


「そうだな。あの変な部分さえなかったら完璧なんだけどな。僕をアボカドと呼ぶ時点で周りからは変人扱いされているけどな」


「それに——」


 そのとき、千秋の声を遮るようになにか音がした。それは、かなり近くから聞こえてきたような。


 美華が急に黙り込んだこともあって、僕は美華の顔を覗く。


「……今のって美華の腹がなったのか?」


「……」


 美華は恥ずかしそうに、顔を真っ赤にして俯いて黙っている。いや、お腹がなるなんて人だし普通な生理現象だと思うんだけど。


 そんなことを考えても、流石に我慢できずに、少し失笑してしまった。


「……最低」


「わるい。いや、そんなつもりはなかったんだけど。美華が余りにも顔を赤くしてるからさ」


「ふんっ」


 美華はあからさまに顔を背けてしまった。


「そんなに怒るなよ。悪かったよ」


 流石に、人前で、それも男子の目の前で腹がなるなんて恥ずかしかったか。僕も気付いていないフリぐらいするべきだった。


 そんな反省会をしていると、美華が走り出して、くるりと僕に振り向く。


「ほら、早く帰るよ! アボカド」


「はいはい」


 そんな笑顔で言われたら、なにも言えないな。

 美華に急かされて、僕も少し小走りをした。

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僕と、僕だけの不思議な世界 颯爽 風 @Soo

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