第4話

 冬が明け、春が訪れた頃、俺は中学生になった。

 別に進学したからといって、なにが変わるわけでもないと思っていたが、少しだけ変化があった。


 俺が入学した中学に、勅使河原の姿があったのだ。

 これにはさすがに驚かざるを得なかった。間違いなく、彼女の親による差金だろう。

 元々父に媚を売りたいという魂胆は見え透いたものだったが、ここまでするのかという呆れもあったのもまた事実。

 さらには同じクラスにまでなったのは、一体なんの因果だろうか。


 それも三回。春を迎えるごとに、勅使河原とは教室で顔を見合わせたことは、もはや偶然とは言い難いとは思うものの、湧いた疑念を親に問いただすことはしなかった。

 聞いてもどうせ父は答えはしないだろう。例え返事が帰ってきたとしても、こちらの予想が当たっていたという、分かりきったすり合わせが終わるだけ。


 結局は無意味なのだ。俺達は子供で、親の思惑には逆らえない。

 なら、勝手にすればいい。俺も俺で、勝手にやらせてもらうとしよう。

 そもそもの話、そんなことをしたところで、俺たちの関係は変わるものではないのだから。




「お邪魔します」


 その日、いつものように俺の部屋に訪れた勅使河原は、いつものように頭を下げてきた。

 小学生の頃から続く、一種の恒例行事だ。相変わず俺と勅使河原は許嫁のままであり、週に二度ほど彼女は俺の家に訪れる。


「ああ」


 俺は頷くと、彼女を部屋の中へと招き入れる。勅使河原も慣れた様子で踏み入れて、中央のソファーへと腰を下ろした。それを見届け、俺は自分の机へと向かう。

 これも昔から、ずっと繰り返してきたことだった。


 俺の場合は読書か勉強の二択。勅使河原も読書をするか、学校の宿題をしていることが多かったと記憶している。

 娯楽の少ない俺の部屋では、それくらいしかできなかったのだと思う。

 それに関しては正直申し訳なく思っているが、なにも言うつもりはなかった。

 できないことを告げたところで、なんの慰めにもなりはしないからだ。


 俺たちの始まりが、そうだったのだから。

 それでも文句の一つでもあれば受け止めるつもりだったが、彼女の口から俺を批難する言葉は聞いたことがなかった。

 それは勅使河原が俺に対し諦めの感情を抱いているからなのか、言ってもどうにもないならない現状に悲観し、達観してしまっているからなのかは、俺にはわからない。


 聞くつもりなかった。俺が踏み込んだら、彼女はきっと困るだろうことは、わかっていた。


 その代わりと言ってはなんだが、できるだけ彼女からの質問には答えるようにはしていた。

 好きな食べ物、なんの本を読むのかなどを尋ねてきた時には、なるべく誠実に答えていたと記憶している。

 ……もっとも、その回答が彼女の満足いくものであったかは、また別の問題であるのだが。


 俺という人間は、人付き合いが上手くない。

 元々感情が希薄なせいもあってか、他人に対する興味もまた薄く、返事も自然と端的なものになっていることに気付いたのは、勅使河原と会話するようになってしばらくの時が経ってのことだった。

 彼女の質問が日に日に少なくなっていることに思い当たったことがきっかけだったが、時すでに遅しというか、それからすぐに勅使河原が質問をしてくることはなくなった。

 今では時たま、学校の課題やわからない問題について聞いてくるくらいである。

 それもやはり言葉少なにしか返せておらず、改善の兆しも特にない。



 勅使河原は学校では人気者だった。

 休み時間は常に生徒たちに囲まれており、そこに男女の隔たりはない。

 皆が皆、彼女の関心を引きたがり、多くの人間に好かれていることを、横目で見ながら察していた。

 そしてそのことを、彼女自身喜ばしく思っていたことも、また。



 何故なら、彼らと話すとき、勅使河原は笑っていたのだから。

 俺の前では笑ったことのない彼女は、俺以外の皆の前で、笑っていた。


 本当に楽しそうに、笑っていたのだ。

 その笑顔を見て、俺は確信をさらに深めた。


 俺はやはり、彼女を幸せにできる人間ではない。

 俺という人間は、人を笑わせる術を知らないからだ。

 嬉しいだとか楽しみなどの感情が、自身の内側からこみ上げてきたことなど一度もなかった。いつもつまらない日々を送ってきた。

 そんな俺に向けられてきた感情は、肉親からの憎悪と嫉妬。そして他者からの期待のみ。

 思えば俺は、人から正しく好意的に見られたことなど、なかったのだと思う。


 そんな俺という人間は、彼女からすれば、ひどくつまらない男に違いなかった。

 周りのことをつまらないと思っていた人間が、一番つまらない存在だったことに、今更ながら気付く。

 むしろ欠陥品のように、彼女の瞳には映っていたのかもしれない。


「――――」


 だが、それで良かった。

 俺は勅使河原との関係を深めるつもりはないのだから。

 彼女が呆れているというのなら、それはむしろ好都合。

 俺と勅使河原の心は、交わることもなければ、混じることもない。

 決して近くはなく、むしろ離れていくことを望んでいた。



 だが、何故だろう。

 何故こんなことを思ってしまうかは、わからないが。


 彼女を笑わせることもできない自分という存在が、何故かどうしようもなく虚しかった。

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