ふわり

久下なつめ

LOLITA LEMPICKA

1か月前、4年半付き合った彼氏に振られた。

高校時代の先輩で長いこと片思いした末に付き合えた人だった。

別れ話の1週間前にも一人暮らしの彼の家に遊びに行って、一緒にご飯を作って食べたし、次の日には映画も見に行った。4年付き合ったけど、それでも会うたびにかわいいと言ってくれていたし、最後の夜も私が好きだったあの低い声で大好きだと囁いてくれたのに。


「ごめん。元カノが忘れられない。」

いまさら言うな!!!

何言ってんだ。それが第一声。

「元カノが夢に出てきてさ、やっぱりまだ好きなのかもって。」

馬鹿なの?夢に見て気になるとか中学生かよ。

たしかにあるあるだけど!夢に出てきた俳優をちょっとの間推しちゃうなんて経験私にもある。

けどさ、1週間もしたら割と何とも思わなくなるよ。

「こんな気持ちのまま、付き合い続けるのは申し訳ない。」

なんで私の気持ちを勝手に推し量るの。申し訳ないってなんだ。

でも、とめられなかった。そんなこと言われても結局は大好きな彼のことだったから。

わかってしまった。彼が無理というなら無理なんだと。要は諦めてしまったのだ。

4年付き合ってこんな結末か。なんとなくそろそろ結婚かなと思っていたのに。


1週間後、元カノと復縁したことをInstagramで知った。

別れる前から準備はできていたのかな。

そういえばちょっと前に同窓会に行くって言ってたな。

こういうの気づいちゃうんだよ。気づきたくないのに。

みじめだな。


失恋したってお腹はすくし、泣きすぎて死ぬなんてこともなかった。なんなら涙なんて出なかった。心ごと固まってしまったような、そんな感じで。自分でも不思議だった。

日々の仕事をこなして、同僚と談笑さえできた。

「意外とこんなもんなのかな。」

元カレとの思い出がありすぎる自宅に一人でいるのはまだ辛いから、できるだけ遠回りをして駅前の大通りをゆっくり歩いて帰る。

ふと右に伸びる細い路地の向こうにオレンジ色の暖かい光がみえた。

吸い寄せられるように近づくと【 香屋 ふわり 】の小さな看板が出ている。

「初めて見るお店…」

看板の隣に木枠の小さな窓がある。先ほどの光はここから漏れていたようだ。

「光に吸い寄せられるって、虫みたい」

あれ以来、心はささくれ立ち振られ女の自虐は止まらない。


そんな時、お店の扉が開いて小柄なおばあちゃんが出てきた。

「ありがとう。本当に。これでもう寂しくないわ。」

「お力になれて私も嬉しいです。」

おばあちゃんに続いて、お店の人らしき男の人も。

ふわふわした金髪にピアス。

物腰の柔らかさと、人懐こそうな笑顔。


「それで、お姉さんは?お客さん?」

おばあちゃんはいつの間にかいなくなっており、目の前にはさっきの男の人。

ガン見していたのがばれた。

「あ~、うん、いや~そうかも?」

「なにそれ。中へどうぞ」

煮え切らない返事だったにもかかわらず、笑って中へ促してくれる男の人。

このくらいの優しさでも荒れた心には効く。

ふらふらと招かれるまま入ったお店の中にはきれいなガラス瓶がいたる所に飾ってあった。

「きれい…」

「ありがとうございます。アンティークガラスの香水瓶です。」

「高そうですね…。でも私今日はそんなに持ち合わせなくて…。」

給料日前で散財はできない。

「まあ、そうですね。でもガラス瓶を販売してる店じゃないですから。単なる僕の趣味です。」

「そういえば香屋って看板にありましたけど、香水屋さん?」

「ご名答。」

大きなカウンターテーブルをはさんでお兄さんは軽く拍手する。

「香水っていっても、うちのは練香水なんです。お客様のお話を聞いて調香します。イメージに合わせて。」

「すごいですね。完全オーダーメイドってわけですね。」

「そういうことです。ちなみになぜかうちに来店される方は悩みを抱えていらっしゃる方が多い。お姉さんもですが?」


彼にのせられて話してしまった。

「あまりにもあっけなかったんです。最後の最後まで物分かりのいい女でいたかったのかな。」

お兄さんはカウンターの中でヘラのようなものを動かしながら黙って聞いてくれいた。

それがまた話しやすかった。幸いにも他のお客さんが来る気配はない。

「大事に思ってくれる人を失った彼は、きっといつか後悔しますね。」

ぽつりとお兄さんがつぶやく。

あぁ、沁みるな。そんなことを言われたら。

私にも落ち度があったんだと思っていた。飽きられた。一緒にいても楽しくなかったのだろうか。彼に何か我慢をさせてしまっていたのかも。だからきっとあんな夢を見たんだと。どこかで自分を責めていた。

彼に刺されたところを、自分でさらに傷つけ抉っていたようだ。しかも無意識に。

「お姉さんは大事に思ってくれない人を失ったにすぎませんよ。さぁ、できました。」


500円くらいの丸くて黄色いケースに入った、白いクリーム。

「すごいですね…いや、お世辞抜きで本当に。驚きました。」

昔使ってた香水の香りに似ていた。

フランスから輸入されたものでリンゴの形の瓶に入っていたその香水は、付き合った当初「香水はあんまり得意じゃないけど、この香りはいいね。」と元カレにも好評なだった。それでも彼があまり得意じゃないならと勝手に控えるようになってしまった。

ずっと使い続けたかったけど、廃盤になってしまい買えなくなったその香水。

こんなところでまた出会うなんて。

「つけてみてもいいですか。」

「どうぞ。」

お兄さんは優しく微笑んでくれた。手首にのせてスーッとのばす。

「あれ?」

ちょっと違う気がする。昔付けていたものとは。

あの香水はお花の中にたまにバニラの香りがふっとよぎる香水だった。

これは少しフルーティーな感じがする。甘すぎない香り。

「記憶から1番最初に消えるのは声だそうです。逆に1番最後まで残るのは香り。」

ああそうか。もう気兼ねなくつけられるのか。

そのうち大好きだったあの声も忘れることができるのか。少し寂しい気もすけれど。

それでも昔の自分の前向きさを取り戻せたような気がする。

何かが吹っ切れた。忘れらたらいいな。


「ありがとうございます。昔を思い出しました。」

「気に入っていただけましたか?」

「はい。昔使っていた香水に似ている香りなんですけど、ちょっと違いました。」

あの頃よりは大人っぽい。いろんな経験を経て、私も少しはレベルアップできたんだろうか。

「次はもっと、後悔しない恋愛をします。」

「いいですね。その調子です。」

ふわっと笑ってくれたお兄さん。なんだか少し胸が鳴った気がした。

お兄さん、ありがとう。

まだ当分引きずるかもしれないけど。それでも新しいきっかけに出会えた。

明日からはほんのちょっとだけ自信をもって、もう一歩踏み出してみることにする。

とりあえず、次の休みに部屋の模様替えをしよう。

そしたら新しい雑貨を買いに行こう。この香水をつけて。

思い出を塗り変えるように。

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ふわり 久下なつめ @hanamigawa

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