山ガール日記 / 定年退職の近い父と山へ行く。

Ochi Koji

第1話 父と秩父の山へ行く

 今日は秩父の山に父と登ることになり、私が車を運転している。


「マリの車に乗って、こうして出かけるようになるとは、少々びっくりしているよ」

「そうお。毎日私も車に乗っているのだけど」私は大宮のオフィスに毎日車で通っている。


 今国道を西に向かって走っている。今日は6月の晴れ間の土曜日だ。


「いくつになった?」

「27だよ」

「そうか。早いものだなあ」


そう言えば、工場勤めの父をこうして車に乗せたことは無いように思う。父も車で工場に通っている。中堅メーカーの工場技術者として歩んで来たが、後三ヶ月で定年退職を迎えることになっている。


「お父さん、会社を定年になったらどうするつもりなの?」

「さあて、どうしようかなぁ?今お母さんとも相談しているところだ」

「自分としてはまだまだ働きたいし、やりたいこともあるのだけどなぁ。

ただ自分も今の若い人みたいに色々と転職やチャレンジをして来てないので、ちょっと心配だなあ」

「ウン、良くわかるよ。堅実にやって来たからねぇ」


 私は、会社を辞めないで自分達を育ててくれ、大学にも行かせて貰った父のことに感謝をしていた。働いていれば、色々と辛いことや苦労もあっただろうと思う。


「退職したら、時々山に行こうよ。連れてってあげるから!」

「そうだなぁ。運動にもなるし、気分転換にもなるし、時々山に行くか」

父は笑いながら答えた。


 ふと、父が眼を細めながら聞いてきた。

「そう言えば、幼稚園の頃にマリが英語を習いたいから塾に行かせくれって言って来たのを想い出した。覚えているか?」

「覚えているよ」


 父が唐突に何を言い出すのかと思い、私はびっくりした。そう言えばそんな事があった。

 その事は私もよく覚えている。その頃は英語を自由に扱う女性に漠然と憧れていた。実際、今でもITの会社に入って、台湾の会社と、時々英語でTV会議をしている。


「出来は良くないけど、英語は何とかなっているみたいよ」

 正直私の英語は酷いものだが、台湾のお客様も第二外国語で、お互いに母国語では無いので、話す速度も速くなくて聞き取りやすい。

 時々英語で会議をしていることを話してあげた。


「そうか、それはすごいなぁ」と父は驚いている。


「中学、高校では苦労をかけたなぁ」

「そんなことないよ。楽しかったよ」


 実際は、想像以上に大変ではあった。父の転勤によって、秋田に4年間、広島に4年間暮らした。


 もともと人見知りの性格なので、新しい学校に慣れるのは、正直本当に大変だった。でもどちらも吹奏楽部に入り、結構頑張って、楽しくやろうと努力をしていた。そのおかげか、今でも吹奏楽部の仲間とは、付合いがある。


「マリが吹奏楽部にいたので、お父さんも吹奏楽が好きになったよ」

 母と一緒によく聞きに来てくれたのだ。最初は、マーチは曲の区別がわからないとか言っていたが、好きな曲が出来ると俄然わかるようになったらしい。


「広島では県大会から、中国大会まで聞きに行くことが出来て、とても楽しかったよ」

「ウン、私も楽しかった。青春だったよね」


 父は、高校入試で、私に苦労を掛けたとずっと謝ってくれていた。中学高校と転勤が無ければ、入試はもっと有利だったかも知れないが、私も一生懸命頑張ったし悔いは無かった。


 大学入試で、急に父と同じ理系に行きたいと言った時はとても父を驚かせた。希望には届かなかったが、何とか工学部に入り、先生にも恵まれて、楽しい学生生活を送ることが出来た。


「仕事はどうなの?」父が珍しく聞いて来た。

「ITとかチップの事とか、勉強することが一杯あるよ」

「まあ、最先端だからな。競争も激しいし大変だよね。頑張って」

「ウン。ウチの社内はオタクが多いよね。でも、みんなも優しいから、仕事は楽しいよ」「ただ、やっぱり中身は難しい」

「そうなんだ。お父さんの会社とは、随分違うねぇ」父の会社は成熟産業だから、安定していてそんな競争も少ない。


 車は、郊外の田舎道に入って来た。秩父の山もそう遠くはない。

 そう言えば、私が仕事で失敗をして、相談したことをふと想い出した。


「以前仕事でミスをして相談したよね。覚えている?」

「覚えているよ。お父さんから見たら、マリの失敗なんて可愛いものだったよ。確かその時、お父さんの失敗を話したように思う。入社4年の頃かなあ、都心の有名ホテルの建材を二百セットダメにした」


私もよく覚えている。

「そう。お父さんが最初にその電話を受けた時は、頭の中が真っ白になったよ」父は、ゆっくりと話した。


「その時、お父さんもおじいちゃんに相談したとか言っていたよね。確か、おじいちゃんも自分の失敗のことを話してくれたんだよね」

「そう。昔お爺ちゃんは、今のNTTに勤めていて、愛媛の電報の担当だったんだ。その頃の電報は、とても重要な仕事だったんだよ。今のメールのようなものだね。愛媛の鮮魚会社が、その頃仕事に電報を使っていて、その電文をおじいちゃんが間違って翻訳したんだ」


「その電文は、『ウオウナヤメ』というのだったのだけど、おじいちゃんは『ウオウナツメ』と訳したんだ」

 鮮魚会社は、その「魚を至急積め」の電文を受けて、当日魚を満載した船を大阪の市場に送ったのだ。しかし実際には、市場は休みで、「魚を送る船を中止しろ」の意味だったらしい。


「船一杯の魚をダメにしただろうから、損害はものすごい金額だったらしい。おじいちゃんは上司と菓子折りを持って、謝りに行ったと聞いたよ」


「お父さんも、凄い話に驚いた」

「当時のNTT社内での、こういった損害の補償は、実際に掛かった電報費用を無償にするという規定だったらしい。そんな訳で鮮魚会社とはかなり揉めたらしいよ」


 父がこの電文は後から調べると、ヤとツが入れ替わっただけであるが、意味は全く逆になる。そしてモールス信号のトンツーでは、1文字しか変わっていなかったと教えてくれた。本当に信じられないような恐ろしい事件である。耳が頼りの電報だったらしい。さらに文字数も少ないから、暗号のようだと思った。


「おじいちゃん、大変だったよね。私もあの話を聞いてから少し元気になった。仕事をやっていれば、必ずそういったことは起るよね」

「そうだなぁ。何もしなければ失敗はないかも知れ無いけど、それは前進しないということだよ」父はそう話をした。


 そのおじいちゃんも今は亡くなってしまった。その時のおじいちゃんのことを思うと胸が痛む。


 車窓には秩父の山並みが見えてきた。登り口までは、もう少しだ。

「人間は、どうしてこういうことばかり覚えているのだろうね?」私は父に聞いてみた。


「そうだね。こうした象徴的な事だけを鮮明に覚えているね。マリの入学式のこととか、吹奏楽の演奏している映像とかを忘れない。逆に抽象的なことはあまり覚えていない。頭で理解しているっていう感じかなぁ」


「マリとの想い出も、いつまでも大事にしていきたいよね。マリも大切な人との時間は、そのようにした方がいいと思う」


 父の言っていることは良くわかった。小説も同じで、大きな話の流れだけではつまらない。キラキラと光る細部があってこそ、初めて小説は生きたものになり、引き込まれる。


 多分、人生も同じなのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る