第5話 二ホンカモシカ

 今日のパーティリーダーとしては、残念ながらそろそろお開きを宣言しなければならない。


「じゃあ、そろそろ帰ろうか?」


「そうだなあ、今日はありがとう。とても楽しかったよ」私もとても楽しかった。

「じゃあ、帰る準備をしよう」私は、食器やコンロを片付けて、リュックに詰めた。もちろんゴミも全て持ち帰りだ。


 我々は、帰りの道を出発した。今日は、そのまま尾根筋を通って、もう一つのピーク鯨山(くじらさん)を通って、下りていく。


 多分帰りは、1時間のコースである。来た時のように、父が先頭を歩いていく。


 私はほっこりした気持ちのまま、どうしたものかと思いながら、後を歩いて行く。お母さんの気持ちが、今日初めてわかったような気がした。なぜか嬉しいような、恥ずかしいような、どうして良いかわからないような、変な気分だ。


 母はこのことを言っていたのだ。父は子供過ぎて困ると言っていた。確かにその通り。こちらが恥ずかしくなる。


 登山道の両脇に樹木が立つ尾根筋を二人で歩いていた。

「わおお!」父が突然、素っ頓狂な声を上げた。


 なんだ?と前を覗き込むと、そこにはあの凛々しいニホンカモシカの立派な姿があった。角の立派な牡鹿である。


 父はびっくりして驚いている。


「ええ、マジか?初めて見た」


 しばらく対峙していた鹿は、そのうちするすると尾根の登山道を垂直に降りていき、直ぐに見えなくなった。


 夢のような、幻のような時間であった。


 父はとても興奮している。私もびっくりしたが、そこまでの興奮はない。


「今日は決心が固まった。今までふわふわしていたものが、さっきのニホンカモシカを見て、確信に変わったよ!」


「そうだろうマリ」「えっ?」私は答えられない。


 この辺りの思考回路は全く理解出来ないが、この独りよがりの確信は、良い方向に向かうに違いないと思う。


 今日の山ご飯だって、コンビニで買ったおにぎりでも良いかと思ったのだけれど、先ほどの話のキラキラ光る想い出にしたいと思い、山ご飯クッキングに変えたのだ。


 多分私も父も、今日のことを想い出す時は、一緒に料理をしたことや今日の料理を、映像のように想い出すに違いないと思っている。


後1時間も経てば、下に着くだろう。


今日の夕食の時の父の興奮して話す姿が、思い浮かんで来る。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

山ガール日記 / 定年退職の近い父と山へ行く。 Ochi Koji @vietnam

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ