第3話 山ご飯を作る
「じゃあ、山ご飯を作ろうかぁ?」
「おうおう、一緒に作ろう。楽しいねぇ」本当に大きな子供がここに居る。
「今日は、炊き込みごはんとみそ仕立てのシチューだよ」
「いいねぇ。お腹が空いてきたよ」父は無邪気に声を上げる。
私達はシートを敷き、コンロや調理器具や食材を出した。食材も調理器具も父が持ってきてくれた。初めてなのに、重いものを持つと言ってきかなかったのだ。
先ずは、炊き込みご飯。こっちは炊き込みご飯のもとを使うので簡単。ただそれだけだと寂しいので、油揚げとキノコと大葉を加える。
父に先ず、油揚げとキノコと大葉を切って貰うことにした。父は嬉々として、まな板とナイフに向かっている。
私は、コッフェル(調理器具)にお米と炊き込みご飯のもとを入れて、水を加えた。父の切ってくれた油揚げとキノコを加えて、コッフェルを火にかけた。お米は昨日研いでいるので簡単だ。後は、炊き上がるのを待つだけだ。
今度は、みそシチューだ。鶏肉は昨日から塩麴につけてあるので、お肉は柔らかくなっている。料理にはこういったひと手間が、大切だ。まぁこれは仕事でも同じであると思う。
中に入れる野菜は、大根とトマトとパプリカだ。今日使うパプリカは、黄色いものだ。黄色のパプリカはビタミンCも豊富で、私は積極的に取るようにしている。
こちらの野菜も父に切って貰うことにした。食べやすいひと口大に切って貰う。
父はもともと食いしん坊で、気が向いたら休日に料理を作ることがある。まぁ男の料理だから、そこら中ひっかき回して、片付けをしないで、料理作りにいそしむ。
どういう訳か、料理の味はそこそこいけるので、母と文句を言いながらも食べている。お陰で、母もたまの休日には料理から解放されて喜んでいる。
しかし母は父の作りっぱなしを絶対に許さない。そんな訳で父は食器洗いから片付けまで渋々やっている。最後まで母は「ありがとう」のお礼を言うのではなく、父の片付けの悪さを念入りに注意する。
例えば、ここに水が残っているとか、あるいはここはこのたわしでこすらなければいけないと言う。そばで聞いている私はどちらでも良いと思うのだが、そこには母の策略を感じずにはいられない。
そうすることで、父への優位を保ち、かつ我慢をしてやらせてやっているとの思惑が透けて見える。時折、そんな女の考えを見て笑ってしまう。
いつの間にか余談が長くなってしまった。話を元に戻そう。
父に野菜を切って貰っている間に、炊き込みご飯も炊けた。後は蒸らせば出来上がり。そして食べる直前に大葉を散らす。
今度は、みそシチューを作る。
先ずは先ほどの野菜をコッフェルに入れ、コンソメと水を入れて煮立てる。お湯が沸騰したら、今度は昨日から塩麴につけておいた鶏肉を入れる。今日は丁度食べきれるように100gだ。
お肉に火が通ったら、今度は味を調える。自宅から持ってきたみそとトマトピューレで味付けをして煮込む。
しばらく煮込んでいたら父が、「いい匂いがしているね!」と喜んでいる。
それから待つこと10分、ようやく完成した。そしてこれらを盛り付ける。
先ずは、ウチから持ってきた生野菜に、ドレッシングを振りかける。ドレッシングはオリーブオイルとビネガーだ。
後は、先ほどの炊き込みご飯とメインディッシュの鶏のみそシチューを食器に取り分ける。今日はチーズとナッツも持ってきた。
「おお、見事だなぁ。こんな何も無い所でこうした料理が食べられるなんて、正直驚いた」
父は子供のように喜んでいる。二人でビール缶を開けた。
「カンパーイ」思わず笑顔がこぼれて、二人で笑ってしまった。
「先ずは、鶏のシチューから。
美味い、鶏も柔らかくて、いい味が出てるよ。サイコー」父はそう言いながら、ビールを流し込んだ。
「そう。良かった、喜んでくれて」
それから父の好きな炊き込みご飯を、頬張った。父は油揚げの入った炊き込みご飯が大好きなのだ。母から聞いて良く知っている。
「美味い。こっちも美味いなあ。これならいつでもお嫁に行ける」
「その通り。そうだろう」と私は得意になって答えた。
「山へ来たのは、本当にしばらくぶりだなあ。こんなに美味い飯が食えるとは思っていなかった。こんなに天気が良くて、自然の豊かな山で食べる飯は、本当にサイコーだ」「いっぺんでファンになった」
父は本当に喜んでくれている。
「また山に来たいなあ。いいかマリ?」「いいよ、また来ようよ」私は喜ぶ父に返事をした。いつまでこうして楽しい時間を過ごすことが出来るのだろうか?
許されるならば、そんなことは考えないで、楽しい時間をずっと共有していたいと思う。
いつか私が結婚をして、子供が出来、家族も増えるだろう。父や母達と同じように自分達の生きがいや幸せを感じながら、人生を過ごしていくことが出来るのだろうか?
父だとて、いつまでも若くはない。これからの人生をどう過ごしていくのだろうか?そんな幸せな時間を大切にしたいと思えば思うほど、切なくなる。
「お腹いっぱいになった」と父が満足そうに声を上げた。
「どうだった?」「いやあ、本当においしかったよ。炊き込みご飯もサイコーだった」
お茶を飲みながら、父が答えた。
「コーヒーを淹れるね」私は父にそう言うとコーヒーを入れる用意をした。以前はインスタントで済ましていたのだが、ある時丁寧に淹れて貰ったコーヒーを飲んで、とても幸せな気持ちになってから、コーヒーにはこだわるようになっていた。
後日、仏教の本を読むと、やはり客人が訪ねて来た時に、焚き木を拾い集め、湯を沸かし、丁寧に、丁寧にお茶を淹れると書いてあった。恐らくそういった心遣いが茶の湯の心につながるのだろうと思う。
茶を立てる方も幸せになるし、茶を振る舞われる方も幸せになるのではないだろうか?そういった心が茶の湯の心だろうと思っている。
心の充実感というものは、そうした精神活動によって、初めて満たされるのではなかろうかと思っている。
「ハイ、どうぞ」と言って父にコーヒーを渡す。「いい香りだなぁ」父は満足そうに鼻をくゆらす。
ひと口、口に含むと「なかなかのもんだなぁ」とほめてくれた。
「でしょう」私は、笑いながら得意そうに答えた。
「うーん。香りも良いけど、この甘みと苦みのバランスがとても良い。コクもあるし言うことなしだ。幸せな気分にしてくれる」
「ハハハ」ちょっとほめ過ぎだけど、ほめられて悪い気はしない。
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