いつでも知らない田中のステータスを見ることが出来る異世界転生

春海水亭

私の名前は田中ではありません

***


 雨の夜だった。

 街灯の光は月よりも優しく街を照らし、アスファルトを濡らす雨水は街灯の光を照り返している。

 そのうちに色づいたものが雨よりも強くアスファルトを塗りつぶしていった。

 血液である。

 夜分乂ようわかる 王我きみがの死体から溢れ出していったものである。

 その胸には刃物が刺さっていた。

 降り注ぐ雨が死体を濡らす。刃が街灯の光を照り返す。

 やがて雨は強くなり、王我の血すらも洗い流していった。

 通行人が王我の死体に気づく頃には――既に王我の魂はそこにはなかった。


***


「……あれ?」

 死とは永遠の眠り――誰がそう言い始めたのかはわからないが、それは絶対の真実のはずであろう。

 だが、死んだはずの王我は再び目を覚ました。

 病院にいるというわけではない、棺の中で花に囲まれているというわけでもない、何故かわからないが――学校の教室のような場所に座っている。

 カーテンは締め切られていて、外の景色はわからない。

 席はただ一つだけ、王我が座っているもの以外にはない。

 黒板の隅には日直の二文字と『アクキューレ』という名前だけが書かれている。

 扉はスライド式のものが前方と後方に一つずつ。

 つまりは、王我にわかることは何一つとしてなかった。

 立ち上がり教室から出るべきなのか、それとも何かが起こるのを待つべきか、とりあえず座っているだけではどうにもならない、と王我が判断した時である。

 控えめな音を立てて教室の前方の扉が開いた。


「こ、こんにちはぁ~……」

 入ってきたのは女であった。

 上下を無地のスウェットで包み、黒い髪は野暮ったくボサついている。

 肌は陽光を浴びていなさそうな不健康な白さである、しかし肉付きは良い。

 ひきこもりが部屋からそのまま抜け出してきたようだな、と王我は思った。


「えひひ……はじめまして、死の眷属の……アクキューレです」

「死の眷属?」

「し、死神的なね……え~っと……そう、夜分乂さんの言葉で言うなら、です……」

 目の前の女は自分の知る死神とは程遠いが、ドッキリというにはあまりにも超常的であると同時に、雑すぎる。

 とりあえずは王我は座ったまま、否定をせずに相手の話を聞くことにした。


「えひひ……え~っとですね、異世界転生って知ってます?」

「まぁ、なんとなくは」

「あっ……じゃあはい、良かったです……え~っと、夜分乂さんは死んで……剣と魔法のファンタジー的な異世界の方に転生することになったんですね……それで……え~っと、ただ異世界に行くのもアレなので、能力を持たせることになりまして……えひひ……」

 異世界転生、そして能力。

 詳しいわけではないが、王我も深夜アニメを見たぐらいのことはある。

 まさか、自分に起こるとは――幸運と言うべきか、死んでいるのだから不運と言うべきか。


「それで能力というのは?」

「ステータスオープンって……知ってます?ステータスオープンって叫ぶと、ステータス画面が表示されて……相手の能力がわかる……みたいな感じの……」

「おお、良いじゃないですか」

 ステータス画面が出てくるタイプの作品を見たことはあるが、なんとなくの風評ぐらいは知っている。

 攻撃的な能力ではないが、相手のデータがわかるというのはかなり有用だ。

 モンスターと呼ばれるような存在がいるのかはわからないが、人間との交渉事にはかなり役立つだろう。


「えひひ……良かったです……じゃあ、ステータスオープン……って叫んで見てください」

 王我は咳払いをし――そこから、少しの間があった。

 じっとりとした視線でアクキューレが王我を見ている。


「……どうしました?」

「すいません、ステータスオープンって人生で叫ぶの初めてで、ちょっと恥ずかしいので、後ろ向いてて貰えますか?」

「……あぁ!すみません!すみません!」

 慌てた様子でアクキューレが王我に背を向ける。

 王我は深呼吸をすると、咳払いをし、思いっきり叫んだ。


「ステータスオープン!」

 叫んだ後、王我の顔が多少赤くなる。

 普通の人間は必殺技を叫ぶことに慣れていない。

 気恥ずかしいが、数をこなしている内に慣れるだろう。

 しかし、どうも――何かが表示される気配が見えない。


「ステータスオープン!ステータスオープン!ステータスオープン!」

 二度三度と叫んでも出ない。

 一体これはどういうことだ。


「あの、すいません」

「あっ……出ましたか……ステータス?」

 のっそりと振り返ったアクキューレが王我を見て言った。

「いや、出ないんですけど……」

「えっ……出な……えっ……あひ……その……あっ……え~っと手です!手!手を!はい!」

 何事かを考え込んだ後、アクキューレの言葉が勢いづく。


「手を?」

「手を前に出してください!両手!両手を!」

 王我は言われた通りに両手を前に出す。


「それでステータスオープンを!はい!」

「ステータスオープン!」

 アクキューレの勢いに乗ったように、王我はそのまま『ステータスオープン』を叫ぶ。すると――王我の手のひらと平行に、学校用の学習机ほどの大きさの平べったい何かが出現した。

 それがステータス画面と呼ばれるものか。

 様々な文字の浮かぶ画面が宙に浮いている。


「うぉっ!出た!」

「あ……!出ましたね!そうなんですよ!え~っと!あれ!ステータス画面は……夜分乂さんの手と平行に出現するんです!はい!」

 そう言われて、王我は自身の膝の上を見る。

 複数枚のステータス画面が己の膝の上に乗っている。


「複数枚出るんですか?」

「い、一枚出たら一時間出っぱなしです……」

 まぁ、良いか。ホログラムのようなものだろう。

 そう思って、王我はステータス画面に手を伸ばす。硬く、冷たく、滑らかな――感触がある。

 瞬間、王我の頬を冷たい汗が伝った。

 このステータス画面――触ることが出来る。

 王我は己の膝の上のステータス画面を撫でる。やはり触れてしまう。

 つまり――ちょっと距離を間違えれば、自分の出したステータス画面で切腹することになっていた。

 王我はステータス画面に触れることのないように慎重に立ち上がった。

 まぁ、良い――とりあえず、ステータス画面を確認しよう。


 名前:邪悪なる魂 田中

 攻撃力:800 守備力:2000

 出現場所:テオビスの村

 特徴:恐ろしい魔力を操る、恐ろしい田中だ!気をつけろ!


 王我は目を擦り、再びステータス画面を確認する。

 自分の名前は当然、田中ではない。


「あの、すいません……」

「な、なんですか……?」

「貴方は邪悪なる魂 田中ですか?」

「いえ……私はアクキューレですけど……?」

 王我は自身の腹を切りかけたステータス画面に目を落とす。


 名前:邪悪なる魂 田中

 攻撃力:800 守備力:2000

 出現場所:テオビスの村

 特徴:恐ろしい魔力を操る田中の魂だ!気をつけろ!


「誰だよ田中って!!!」

「えっ、なに!?なんですか!?」

 突然、怒号を上げた王我にアクキューレが怯えたように後ずさる。


「いや、ステータス画面に田中が出てんだけど!」

「そんなこと言われ……あぁっ!」

 おずおずと踏み出て、ステータス画面に目をやったアクキューレが目を見開く。

 どうやら、自分だけが田中のステータス画面を見ているわけではないらしい。


「よ、夜分乂さんは……田中さん……だったということに」

「ならないんだよなぁ!」

「えーっと……すいません、もう一度……ステータス画面を出して頂いても……」

「ステータスオープン!」


 名前:邪悪なる魂 田中

 攻撃力:800 守備力:2000

 出現場所:テオビスの村

 特徴:恐ろしい魔力を操る田中の魂だ!気をつけろ!


 再び表示される田中のステータス。

 何度見ても、この場にいない田中であった。


「……コホン」

 アクキューレが静かに咳払いをし、ダラダラと汗を垂れ流しながら呟く。


「チ、チートずるっこの代償がこちらなんですね……」

「チートじゃなくて仕様だろ!!誰なんだよ田中って!」

「えーっと……そんなこと言われても……」

「まず田中の魂ってなんだよ!そして魔力を操るなよ田中が!魔力を操る奴ならもうちょっとファンタジーっぽい名前してろよ!あと情報がざっくばらんすぎるんだよ!気をつけろって言われてもどうすりゃいいんだよ!」

「恐ろしい魔力に……」

「魔力なんて概念は現代日本人からすれば全てが恐ろしいんだよ!」

「あ……でも……攻撃力は低めですよ……」

「攻撃力と守備力の概念どういう感じで算出されてんだよ!!そもそも基準値がわからねぇんだよ!俺の攻撃力2とかかもしれねーんだぞ!」

「す……すいません~」

 アクキューレが深々と頭を下げる。


「なんか……コードのミスで……変数のところを田中にしてしまったみたいで……」

「変数を田中に!?」

「もう……なんか、一生……夜分乂さんのステータス画面には……一人の田中が付き纏うみたいな……」

「俺、一生田中の情報を見ていくのか!?直らないのかよ!!」

「し、仕様なので……」

「ミスって言ったばかりのその口で仕様って言うか!?」

「いや、でも……ごめんなさい……直すのって……面倒くさいので……」

「面倒くさい!?」

「上司にミスを報告したりするの……本当に面倒くさいんです……そもそも人と会話をするのが厭なんで……ごめんなさい……本当にごめんなさい……」

「その面倒臭さを乗り越えて、俺を田中から解き放ってくれよ!」

「すみません……もう本当に正直……ミスをした私のほうが落ち込んでいるっていうか……わざわざミスに気づかないでほしいっていうか……何で気づいちゃうんですか!?」

「逆ギレをするには分が悪すぎるからな!?」

 王我はひたすら激情のままに叫び続ける。

 このままだと知らん田中のステータス画面を見ることが出来るだけの能力で異世界に追いやられてしまう。

 それはもうほとんど、遠回しの死刑宣告ではないか。

 自分の人生すらおぼつかないと言うのに、知らん田中の人生までは背負えない。


「じゃあ別の能力なり、転生先を能力を使わなくても生きていけるような世界に変更するなり、そんな補填は無いんですか!?」

「別の能力と言っても……もう……しゃがみ弱キックの発生を……ボタン押してから一秒後にする能力しか残ってませんし……」

「た、たまにぶっ刺さるけどいりませんよ!!」

「残った異世界も、暗黒冥炎獣デスヘルケルベロスが街中を平然とうろついている世界しかないので……」

「……田中のステータス画面を開ける能力で、剣と魔法のファンタジー異世界に行くのが一番マシなのかよ……」


 かくして、知らない田中のステータス画面を開ける能力だけを持たされて、夜分乂ようわかる 王我きみがは異世界へと転生することになったのであった。

 王我の行くすえは誰も知らない。

 だが、田中さんのことだけはよくわかるのであった。

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