哀しみのコムネーゼただひたすら嘆きたり

岡本紗矢子

哀しみのコムネーゼただひたすら嘆きたり

 そのエッセイの冒頭にあった告白の一言は、私を羨望一色に染め上げるには十分なものでした。


――我輩は巨乳である。


 いいなあ。

 とっさに「いいなあ」と思う時点で、私のことはお察しいただきたく思います。

 羨ましいんです、本当に。ああ、いいなあ。いっぺんでいい、私も言ってみたい。

 と、たった一言に酔わされた私。ですが、すぐ先に続く内容に、私は大いなる衝撃を受けました。


――『羨ましい』なんて言葉を聞くこともたくさんあるが、本気でそんなこと思ってないのは巨乳だって知っている。


 ……え? えええー。

 なんてことをおっしゃいます!

 羨ましいは本気じゃない? とんでもない。

 Aカップコムネ人生を歩んできた私は大きな声で言います。「羨ましい!」と。


 そもそもですね、コムネに何があると思いますか。夢? 希望? 羨望? そんなもんありゃしません。羨ましいなんて言葉はお世辞でも聞きません。

 胸の谷間もありません。あるとしたら隙間です。10代も後半になって初めてブラを手にしたものの、前後左右から肉を集めてもカップが埋まらないと知ったときの衝撃は受け止めがたいものでした。どういうことなんでしょうか、古くは土偶にだってお胸がついているのに。現代人の私は進化したんですか退化したんですか。

 20代になりました。成長期を過ぎて縦の成長が終了したかわり、横に立派に成長し、今から振り返っても人生最高の体重を記録しました。ところがなぜか、お胸だけはスリムビューティー。職場の忘年会で、酔っ払ったおっさんに「おおー、これはまたボリュームのある子だな。あれ、ムネだけ見当たらんのはなぜだ?」とあけすけにいわれ、悔し涙にくれたあの日のことは忘れません。

 とまあこんなことが重なって、ムネにはコンプレックスしか抱けなかったのが若き日の私です。ですが世の中にはいい人もいるもので、長くコムネ人生をやるなかでは優しい慰めのお言葉にもたくさん接しました。いわく「動きやすくていいじゃない。肩も凝らないし」、「無理なく腹ばいになれるのってすごいメリットだよ?」、「そんなもん、どうしても必要なときには盛ればいいんだから」――。

 まあそれが慰めになったかどうかはノーコメントですが、しかしなんとかコムネを肯定的に評しようという皆々様の焦りまじりのフォローが、私の胸をほんのりあたためてくれたのは確かです(ここでいう胸とはハートという意味です、念のため)。幸いなことにコムネは授乳の役には立ってくれたので、いつしか「まあいいか」と諦められるようにもなっていきました。

 とはいえ、授乳期間が終わるときには、「これでまたコムネ生活に逆戻りか……」と残念でもありましたけれど。授乳特需によるCカップ生活は、今思えば栄光の日々でした。


 さて、コムネの私の恨み節に、巨乳の皆さまも一言言いたいことはおありかもしれません。羨ましいって言うけど肩が凝るんだってば、太って見えるんだよ、無駄に軽薄に声をかけられて困るんだけど――など、「こっちだって苦労しているんだ」という叫びも、確かに時には聞こえてきます。

 でも、マイナス面にため息をつきつつも、おそらくは自分のお胸を嫌いになれないであろう巨乳さんたち。同様に私を含むコムネさんも、コムネとてそれなりにはいいところがあるのを重々知ってはいます。「ないものねだり」――もしかしたら、私たちは互いにそれをしているだけなのかもしれません。


 それでも、私はコムネとして言いたい。コムネはやはり大きいお胸に勝てないのです。自分のコムネを悪くは思っていなくても、なりにメリットはあると自身に言い聞かせていても、大きいお胸への憧憬を抑えることは決してできない。コムネは巨乳に憧れる、これはもう宿命というものでしょう。

 巨乳の皆さま。もしもこの先ぽろっと「羨ましい」といわれたら、どうぞそれは本気の一言とお受け取りください。我々コムネは、それを口にした瞬間「足るを知る」を実践できない自分を自嘲することになりますが、それでも羨望を口にせずにはいられない、小さな小さな存在なのです。

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