第17話 完結 「二人の」





* * * * *





 ――――さて、あれから俺は漫画を読み漁った。

 読んで見て思ったのは、流行している漫画というのには、流行するだけの理由があるのだということだった。

 ストーリー、テーマ、絵、センス……何にしても、高い水準でこなせているか、どれかずば抜けていなければそもそも売れないということだ。



「まあ、当たり前だよな……」



 そんなことすら、俺はわかっていなかった。

 そもそも何をもって優れていると判断するのか、それすら知らなかった。


 未だに言語化はできないが、今まで言われてきた『漫画になっていない』だの『ネームの意図が理解できていない』だのということが、何を伝えたかったのかはもう理解した。


 無知の知というわけではないが、今まで足りていなかったのが嫌というほど分かった俺は、真帆が作りなおしたネームからペン入れを行った。




 ――――そして今日は、なんと新人賞の結果発表当日だ。



「……だってのに、面倒臭い用事が入りやがって」



 俺は口の中で、もごもごと呟きながらずらっと並べられたフレームの中でも一際目立つ場所に飾られた額の前に立つ。


 そして担任の先生に写真を撮られる。今日は偶然にも、日本画のコンテストで大賞を貰い、その展示会だった。



「いやぁ、凄いねー。大賞取っちゃうなんて」



 通路の奥から、真帆が俺に声を掛けてくる。

 ……『私も行きたい!』と言っていたが、本当に来るとは。



「……求めていないことほど、簡単に手に入るものだよな」



 やりたいことの見つかった今となっては、もはや日本画の評価に興味はない。

 だがまあ、気負いがない分のびのびと描けたという感覚は自分の中にもある。それが評価されたのだろう。複雑な気分だ。



「んー、結糸くん。漫画の方の結果、見た?」



 真帆は頑張って無表情を作ろうとしながら俺に話を振る。

 それがなにを堪えているのかはわからないが、とりあえず首を振って返事をすると、真帆はスッと俺にスマートフォン画面を差し出した。



「えーっと……あ」



 その画面の中に、俺たちの作品名が表示されていた。


 賞は佳作。


 あれから話もネームも絵も全てを見直し――一度だけでなく、何度も何度も何十枚何百枚も描き直し、その結果として賞に投稿する頃には締め切りのギリギリまで追い込まれていた。

 その結果は佳作。その画面を提示している真帆の顔を見ると、彼女は少し恥ずかし気にはにかんでいる。



「あは、まあ、大賞取った結糸くんには肩透かしかもしれないけれど……」



 ……なるほど、そういう感情か。



「いや、嬉しい。嬉しいよ」



 俺は素直に、言葉を吐く。

 あまりこんな感情を他人と共有することなんてなかったから、どんな言葉を紡げばいいのかはわからない。だから単純な言葉を短く綴ることしかできないが、それでも真帆には伝わったのか、彼女は目を丸くした後に、頬を紅潮させながら微笑んだ。



「えへ。あの編集者さん、栗田さんからも連絡あったよ。おめでとうって」


「え、そんなのあったのか?」



 俺の困惑に、真帆は肩を竦めながら苦笑いをしている。



「栗田さん、結糸君に電話しても出ないって言ってたよ?」


「……あー」



 基本的に、知らない番号の電話は完全に無視してしまう俺は、そういえば今朝スマホに謎の不在着信があって、何の感情もなくスワイプで消したことを思い出した。



「あは、それでね……今度三人でご飯に行かないかって誘われたんだ。授賞式の打ち合わせもあるし、次の漫画の企画あれば聞くよ、ってね」



 その言葉を聞き、俺は胸がざわっとした。いい意味で。

 栗田という、ベッコベコにプライドをへこませてきた存在が、次の企画を待っている、という情報は、心臓が妙な稼働を誘発させた。


 その話を詳しく聞こうと口を開いた瞬間、視界の端にこちらの方へ向かってきている担任の姿が入り込んできてしまった。



「林原! お父さんがお見えになったぞ!」



 そして、その担任のさらに後ろに、友禅の姿があった。



「……」


「……よお、結糸」



 ……別に、どういう感情があるわけでもない。

 しかし、こんなオフィシャルな場で、互いの異なるペルソナを知っている同士の人間がどう接すればいいのか、俺には経験がない。つい黙り込んでしまう。

 その様子に気付いているのかいないのか、担任は俺の前にいる真帆を一瞥すると、てをしっしと払うようにしながら苦い顔を浮かべた。



「橘の方は後にしろ!」



 恐らく担任は、俺という商品をこの場で、友禅と共に売り出したいのだろう。

 今までは大きな賞を取ることができなかったために機会がなかったが、これが有名税の新たな側面か、と溜息が出そうになる。

 俺は真帆の方をちらと見ると、彼女は眉尻を下げて立ち去ろうと足を動かし始めていた。



「ああ、先生。いいです」



 俺と真帆は、ふっと聞こえてきたその声に、同時にその発生源を見やる。

 それは友禅で、俺はテレビの中で見るような人当たりの良い表情を浮かべながら、担任をなだめるように語りかけている。



「こっちも、こいつより先に挨拶すべき人がいますから」



 おや、少しばかりいつもの友禅が見えた。

 そう言うと担任は妙にへこへこしながら、踵を返した友禅について歩き出した。

 少し遠くなった友禅の背中を眺める俺は、息を吸い込む。



「ありがとう、父さん」



 いつもの三倍ばかり、声を張ってみる。


 絵を眺めている人々、担任、真帆、そして友禅が……一斉に俺を振り向く。

 ふと、真帆が教室にやってきた時のことを思い出す。


 なぜか、今は平気だった。


 友禅の表情は、遠くて見えない。そのまま歩き去っていった。

 俺は真帆を振り返り真正面から彼女を見据える。



「橘……真帆」



 フルネームを口にする。下の名前を実際に口にするのは、気恥しい。それが伝わっているのか、真帆も少し顔をもぞもぞと動かしている。



「はい」



 それでも彼女は、前のめりにならんばかりに俺に向き合っている。

 いざそんな彼女を見ると、口が少し重くなる。それでも、息を吸う。



「……なんか、ペンネーム考えないか? 二人の」



 賞には二人とも本名で出してしまったが、今後も本名というのはどうだろうか。なにせ、俺の名がこういった賞で出てしまったのだ。それを利用するというのも手だが、それは漫画に対して失礼な気がする。


 ……という論理を組み立てながら言葉を発するが、体が熱い。

 顔も赤くなっている気がする。

 真帆は俺の遠回しな言葉を聞いて、徐々に顔がほころんでいく。



「えへ、へへへ……うん!」



 真帆は、ちょっと気持ちの悪い笑い方をした。


 俺も多分、ちょっと気持ち悪い表情をしている。


 隣にある額縁に飾られた美麗な人物画の前で、俺たちは気持ち悪い。


 これから漫画の話や、授賞式がどうのって話をすることになるんだろう。

 次に友禅と共に写真を撮ったり、インタビューを受けたりするんだろう。

 栗田に会ったら、多分次の作品でも散々言われることになるんだろう。




 でも、最近は内頬を嚙むことがなくなった。







『ナンバーナイン』

The END.




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ナンバーナイン 白鳥鶉 @uzura1108

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