2章 拒絶 ー1
『言っておくが、あの程度の
真円よりも僅かに歪な月の下、ク氏の集落への道に、カポカポとのんびり馬を歩かせながらレプの主はのたまった。「あの程度の怪」というのは、最初に遭遇した三体のことだ。曰く、
『先を急いでいたのは、日が暮れてしまえば館の門が閉ざされてしまうからだ。そうなれば、私では開けてくれぬ可能性が高い』
とのことだ。まさか、一族の長の嫡男を閉め出すことなど――と、話半分に聞いていたレプであったが、とっぷりと日の暮れた森を抜け、田畑と村落を横切って辿り着いたク氏の居館は、果たして固く門を閉ざしていた。
館は幅広の濠に囲まれ、葺き石を敷き詰められた土手の上では、柵と高い板塀が二重に敷地を取り囲んでいる。濠にたたえられた豊かな水と、整然とした白い葺き石が、月光を反射し蒼く光っていた。
濠に囲まれた敷地はよほど広いのであろう。ほとりに立ったレプの目には、石を葺かれた土手の上にそそり立つ板塀の、真っ直ぐに目の前を遮る様ばかりが見える。首を巡らせてその端を見遣れば、敷地に出入りするための土橋――濠を渡るための土手の張り出しと、物見櫓を備えた門扉が見えた。つい先ほど、ヒサリ諸共すげなく追い返されてきた場所だ。
「一体どういう理屈がありゃぁ、跡取り息子が閉め出し食らうことになンだ? 今日来ることは先に伝えてあったんだろ?」
正門前を追い払われたヒサリとレプは、ぐるりと対角に回り込んで裏門を目指していた。心底呆れながら訊ねたレプに、馬上のヒサリが素っ気なく頷く。
「ああ。報せは出してあったし、返答もあったと聞いている。――それでもこの対応だ。日暮れまでに辿り着けたとして、歓待など期待はしていなかったが……それでも、門を閉める前であれば、中にくらいは入れてくれただろうな」
さしたる憤りも感慨もなさそうな、達観した様子でヒサリは答えた。
「じゃあなんであんな、ナヨい五行師なんぞ相手に油売ってやがったんでェ」
思わず突っ込んだレプを、ヒサリがキッと睨み下ろす。出発前、馬の傍らで待つレプが一寝入りできそうなほど、ヒサリは「ちょうどク氏を尋ねてきた」という五行師と門前で話し込んでいた。
「うるさい! ロハル様にお声を掛けて頂いて、無碍にするわけには行かなかったんだ!!」
五行師の名はロハルというらしい。ヒサリはあの男に目を掛けて貰っているそうで、こまごまと成人の祝いや「旅」の無事を案じる言葉を贈られれば、いくら急いでいても丁寧に礼を返すしかなかったようだ。
「見ての通り、ク氏の中での私の立場はそう強くない。朝廷の信が厚い五行師の方に気に掛けて頂けるのは、本当に有り難いことなのだ」
五行師は、気の流れを整えて怪を祓う。同じく怪の退治を任務としているク氏とは、共同で魑魅魍魎の討伐に臨むこともあるそうだ。そして今の宮中で、最も貴族や皇族に頼みにされているのも五行師だという。
五行師の扱う気術――五行道は、海の果てにある仙境よりもたらされた、「この世界の真理」を紐解き、操る「正道」の術だとされていた。逆に「鬼道・邪術」とされているのが、言霊の力やレプらの力だ。レプが「五行師」なる人種を毛嫌いしている理由である。
(言霊師が邪術使い扱いされちまってるのも、要するに五行師に朝廷から追い出されちまったからだって、ジイさんも言ってたしな。なのに――)
「なァ、おい。お前、なんでンなに立場悪ィんだよ?」
ヒサリは、レプの暴れる力を言葉で鎮めた。そのことと、ヒサリのク氏における不当な扱いを、繋げて考えずにはいられない。正答を求めて訊ねたレプを、ヒサリはちらりと見下ろす。
「答える気はない」
にべもない。レプの予想が当たっていれば、確かに無暗に触れ回ることではないだろう。だが、ヒサリはレプの
「――それよりも、お前こそ何故、わざわざク氏になど潜り込んだのだ。お前からすれば、虎の巣穴に入るようなものだろう」
期待していた問いを返され、レプは二、三歩前へ出た。馬に跨がるヒサリを振り返る。
「べつにク氏を狙ったワケじゃねーよ! ただ単に、都ン中で暮らしたかったんだ。親兄弟は覚えてもねーし、怪やら疫病やらで育て親も死んじまってな」
後ろ歩きで、正面からヒサリを見上げるレプを、ヒサリは妙な物を見る顔つきで見返す。その目を注意深く見つめたまま、レプは言を継いだ。
「俺にこの、
レプの言葉を聞くヒサリの目が、だんだんと探りを入れるように細まる。青白い月光が照らすその様を、レプもまた慎重に観察した。ヒサリはいよいよ渋さ苦さ極まった顔をして、言葉に迷ったように薄く唇を開く。一旦それをきゅっと閉じ、低く問うた。
「……それを、私にべらべらと話してどうするつもりだ」
本来であれば、鬼族に生まれた赤子の真名を知る者は、出産に立ち会う
そして得た真名を小さな木簡へ書き付けて赤子の首に下げて御守とするのだが、木簡に書き付けられる『真名』は文字というよりも複雑な記号、ないし文様なのだ。その真名の読み方は、生まれた子が成人する時――ちょうど、今のヒサリと同じ年頃に、巫長から本人にだけ耳打ちされる。
しかしレプの場合、それよりも遙かに幼い間に村が滅びてしまった。
一体何があって、己が天涯孤独の身の上となったのか、レプは具体的な成り行きをほとんど覚えていない。理解できぬほど幼い頃に起きたことであったし、レプに仮り名を与えた老爺に言わせれば「あまりに衝撃的で辛い出来事は、覚えていても生きてゆくのに邪魔だから忘れるもの」なのだそうだ。
結局レプに残されているのは、レプの真名を記した小さな木簡だけである。これを読める者は、鬼族の巫長か、あるいは力を持った言霊師であろう。そう、老爺は言い残した。本当ならば、老爺がレプの真名を読めれば一番良かったはずだ。
だが、怪に襲われて力を暴発させた幼いレプに「叛風」という仮り名を授けた際、無理をした老爺は言霊師としての力を大きく損なった。そのため、老爺がレプの真名を読むことはできなかったのだ。老爺はレプを連れて流民の集落を離れ、山中でレプを育てたが、昨年流行病であっけなく死んだ。その遺言は、「まだどこかに残っているはずの、鬼族の里を探して迎え入れてもらえ」というものだった。その里の巫長に木簡を見せて真名を読んで貰えば、レプはその里の一員となれるだろう、と。
しかし、どこにあるのか分からぬ鬼族の里を探すのは、レプにしてみれば面倒なのだ。
レプと言霊師の老爺が暮らしていたのは、都より少し離れた山中である。幼少時のレプが身を寄せていた流民の集落は都の近く――都の市へと物乞いに行ける場所だったので、レプの知る世界は、都とその周辺の山中でほぼ完結していた。山中での狩猟採集生活は老爺から教わっており、一人で旅をするのも不可能ではないだろう。しかし、どの方角へ行き、どんな場所を尋ねれば行き当たるのかさっぱり見当もつかない。
老爺が亡くなったのは去年の初雪が降る頃、北風が運んできた邪気に、胸を蝕まれてのことだった。もし旅に出るとしても、年が明け、春を迎えてからの方がよい。むしろ都の周辺ならば、老爺のような言霊師が、他にも隠棲しているのではないか――そんな期待も込みで、物乞いに混じって都をウロついていたら、「お前ならば良い扱いで買って貰えるぞ」と奴婢売りに声を掛けられ連れて行かれた先が、ク氏の屋敷だったのである。
「――何を考えているんだ、お前。一度でも奴婢として売られてしまえば、一生縄に繋がれて使い潰されても、なぶり殺されても不思議はないんだぞ」
角のある姿を見られたときよりも、はるかに不気味な物を見る目を向けられた。
「いや、なんか俺頑丈だし? 頭とか目とか珍しいから、大事にしてもらえるぞ~って言われてさ」
まさか売られる先がク氏だなどとは流石に思っていなかったため、最悪の場合、鬼術を使って逃亡すればよいと思っていた――のは、一応伏せておくことにする。もっともらしい理由も、捻り出せば出てくるだろうが、要するにこの冬は大変寒くひもじく、声を掛けてきた奴婢売りの羽振りと人当たりは大変良かったのだ。
「容姿を珍しがられては、大抵ロクな目には遭わない。全く、タダの馬鹿ではないか!」
聞いて損をした、といった風情で、ヒサリが馬の腹を軽く蹴った。パカパカと馬が速度を上げる。馬の前を遮る形で後ろ歩きをしていたレプは、撥ねられそうになり慌てて脇へよけた。
「おっとと! まあテキトーに生きてンのは認めるけどよ! で! だから!! 言霊師!」
レプの横をすり抜けて、軽やかに進み始めた馬の尻を追う。
「知らん!!」
振り向きもしない背中が怒鳴り返してきた。
「裏門の方は、運が良ければ人はいない。いても表よりは話がしやすいはずだ。冷えるから急ぐぞ!」
言い捨てて、馬に乗る背が更に速度を上げて遠ざかる。
館の周辺には、冬のままの乾いた水田の間に、民家や植木の影がまばらに見えている。まだ年が明けてひと月と少し、今年の豊穣を祈る春祭りを終えたばかりだ。ク氏の都屋敷の門前には、白木蓮の大木が真っ白い花を満開に咲かせていた。
「確かにまあ、野宿はしたくねーよな」
せめて、夜露を避ける軒と、敷いて寝る
風の名前 歌峰由子 @althlod
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