1章 黄昏時 -4

「おま……え……」

 強張った顔で、ヒサリがレプを凝視する。その身に纏う美々しい旅装束は、ようやく差しはじめた月光と、木々に燃え移った炎の明かりだけでも分かるほど薄汚れ、所々破れていた。多少なり怪の相手をしたのだろう。到底、歯は立たなかった様子だが。

 レプは、ヒサリの煤けた顔を凝視した。そこには、戸惑い、恐れ、敵意、迷い、様々な色が混在している。――見覚えのある表情だ。かつて、流民の集落が怪に襲われた時もそうだった。怪を倒し、周囲の人間を助けたはずの幼いレプに、人々は恐怖と忌避、敵意の視線を向けた。

 角を顕わにしたままヒサリを追いかけた時点で、わかりきっていた成り行きだ。ヒサリの握る曇りひとつ見えない剣が、炎を反射してきらりと光った。ハハッ、とレプは乾いた笑いを漏らす。ヒサリはク氏、怪やを討伐し、都を護る氏族。レプは、彼の「敵」だ。

「……ンだよ。やンのか?」

 言って、構えを取る。ここで踵を返し、一目散に逃げ去る――という選択肢は、今のレプには存在しない。妖しく光る、破魔の刃に目が釘付けになる。あれが、今からレプを切り裂きにかかってくるのだ。どう躱して相手を屠るか。その算段で頭がいっぱいになる。

 ざり、と、力を入れた足の指が土を抉った。轟、と風が唸る。全身が、額に伸びる一対の角が熱い。

 興奮に赤く濁る視界の中央、怒りと苛立ちを露わに、肩を怒らせたヒサリが仁王立ちしている。隙だらけだ。あんな細い体など、きっと簡単にへし折ってしまえる。

(ああ。多分、いい奴だったのになァ)

 ――叛風レプという仮り名を与えた老人は、『言霊師』という人々の生き残りだった。

 彼らは、古い時代のまじない師だ。その力は鬼術に通じ――帝の祀り事で天津大神よりもたらされる、瑞穂の国をさきわう力とは相反した、野蛮で邪道な呪術であると迫害された。老人も流民の集落の端で、力を隠して隠棲していたし、生き残った仲間も知らないと言っていた。

 だから、この力の暴走を止められる者は、誰もいない。レプ自身を含めて、誰も。

 そう、思っていた。

「――ッッ、このっ、!!」

 真正面で、ヒサリが怒鳴った。

 途端、冷水を被ったように頭が冷える。

「……は?」

 一瞬で綺麗さっぱり、体の中を渦巻いていた熱が消えた。呆然と間抜けな声を漏らしたレプに、ずかずかと肩を怒らせたままのヒサリが詰め寄ってくる。

「やる気満々なのは貴様の方だろうが! 勝手に因縁を付けてくるな!!」

 至近距離で、黒い双眸が炎を映し爛々と光る。

 剣も構えず、ク氏の炎も呼ばず、ただ正面から睨み付けてくる相手にレプはたじろいで一歩引いた。

「ああ、いや、悪ィ……」

(あれっ? 何だこりゃ? 一体どういう……)

 混乱しながら、構えを解いて両手を上げる。鼻息も荒く、まだまだ食ってかかりそうなヒサリを、すっかり澄んで開けた視界の中央に収め、レプは何度も目を瞬いた。

「全くだ、私を助けに来たんじゃないのか。襲ってどうする。本末転倒だぞ!」

 さも呆れたと言わんばかりに、大仰に首を傾げてのたまったヒサリが剣を鞘に収める。全く弁明の余地がないため、レプはうぐぅ、と潰れたような呻きを呑み込んだ。

 しかし、奇妙な状況である。

 ヒサリの目に、レプの角が映らなかったはずはない。にもかかわらず、ヒサリはそれを全く無視した振る舞いを見せている。彼の立場を思えば、あり得ないことだ。

「……なんで?」

 頭の中から溢れた疑問が、口からこぼれ落ちた。溜息と共に怒りを収め、視線を周囲に向けていたヒサリが再びレプを見遣る。何を指した疑問なのか察した様子で、あからさまに嫌そうな顔をした。

「お前は、私の奴婢だ。――これ以上のことを、お前に教える義務はない」

 言い捨てるように、ヒサリが踵を返す。馬を呼びながら遠ざかる背中を、レプはぽかんと見送った。


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全く定期更新できなくて、もう全然コンテストには間に合わないんですけれども…!!

そして、多分今後も「忘れた頃に」な不定期であろうと思います…すいません。

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