1章 黄昏時 -3

 ――刻一刻と闇に沈み行く峠道を走る。

 向かう先は間違いようがない。赤々と炎が燃えて、黒煙を空へ立ち上らせている。

 このまま向かえば、ヒサリの角のある姿を見られるかもしれない。その懸念はちらりと頭の片隅をよぎったが、そのヒサリを見殺しにしたくない気持ちと、何よりも破壊への衝動――先に待ち受ける騒乱への期待が懸念を上回った。

 堪えきれず頬が緩む。角へと、熱が集まる。

 角は、レプが暴れれば暴れるほど熱を持つ。比例して、体内の熱も、暴力への衝動も肥大化する。そこそこの場所で立ち止まり、気持ちを静めなければ暴走の危険があった。

(――いや、まだイケる。それに、四の五の言ってる場合じゃ無ェ。とんでもねえ大物が暴れてやがるに違ェねぇんだ……!)

 ク氏は剣を持ち、炎を操る。魑魅魍魎を刃で切り裂き、浄化の火で灼き尽くすのだ。火の手が上がっているということは、ヒサリが交戦しているのだろう。ク氏の炎に抵抗できるほどの大物がこの先にいるということだ。

(俺が、ブッ潰してやる!!)

 背の高い木立の向こうに、炎に包まれながら蠢く巨体が見えた。レプは大きく跳躍し、太い木の枝へ跳び乗る。着地した枝を更に蹴って、暴れる怪を見下ろせる場所を目指す。炎を纏って暴れる怪に木々がなぎ倒されて、怪の周囲は宵闇に赤々と浮かび上がる広場になっていた。

 蹴られた枝が大きくしなり、レプの後を追うように梢の鳴る音が響き渡る。

 音に気付いた、巨体の怪がレプを振り仰いだ。ずんぐりとしたその身の丈は、ク氏邸宅の軒も越そうかというほど高い。大岩のようなゴツゴツとした禿頭の下から、ぎょろりと血走った大きな一ツ目がレプを睨んだ。その身に纏う薄汚れた毛皮と、毛むくじゃらの四肢は炎に包まれているが、気にした様子もない。

「ッはは……!」

 強い。今までレプが、見たこともないような化け物だ。

 喜悦と共に、怪の真上へ目がけて飛び降りる。踵が狙うのは――巨大な一ツ目だ。

 炎に包まれた怪の右腕が、虻を追い払うように空を薙いだ。真横から襲ってきた平手を、立てた腕で受ける。レプを中心に逆巻く風と、平手を覆う炎がぶつかって火の粉を散らした。

 平手に張り飛ばされたレプは、広場から弾き出されたところで、傍らを掠めた大木の幹に指を掛ける。立てた爪が幹を抉り、真横に四本の溝を彫り込んだ。それで勢いを殺し、地面に着地する。

 一ツ目は、のろまな地響きを立ててレプの方へやってくる。

 レプは低く構えて、下半身に力を溜め込んだ。

「その太鼓腹、ぶち破ってやる」

 レプはうっとりと呟いた。破壊欲と興奮に乾く唇を舌で湿らせる。足元に、小さく強烈なつむじ風が生まれてレプの体を軽くした。

 軽く爪先で地面を蹴る。たちまち、レプの体は強弓に射られた矢の如く、巨体目がけて鋭く飛翔した。一瞬で目の前に迫る肥えた腹を狙い、拳を握る。

 ――叛風レプと、彼にを授けたのは、幼い頃に流民の集落で出会った老人だった。

 これは仮の名だ。レプの真名まなを知る者は、レプ自身を含めて誰もいない。よってレプは、己の力を完璧に御する方法を知らない。知る術を持たない。だが、仮の名を得てレプは、風という形で己の力を操れるようになった。

 炎と毛皮に覆われた腹へ、拳を繰り出す。

「ッ、らァァァァァァァ!!」

 吼える。どんっ、と分厚く弾力性に富んだ手応えが、拳から全身に突き抜ける。衝撃に耐えて、拳へ更に力を込めた。

 ずぶり。毛皮の衣を突き破って、レプの右腕が怪の腹へ沈む。怪の耳障りな悲鳴が宵闇を引き裂いた。怪からレプの衣へ炎が燃え移り、肌をジリジリと焦がす。

「死、ねェェェ!!」

 更に体の芯から力を引っ張り出す。額の角が熱く疼いた。

 蝿の止まりそうな鈍重さで、怪の右手がレプを狙う。引き毟られる前に決着を付けねばならない。

 怪の腹に潜り込んだ右腕に、力を集める。怪のはらわたの只中で、つむじ風が起こる様を思い描く。腕に、熱が集まった。

 ばつん。

 巨大な怪の、上半分が破裂した。飛び散るはずの臓物は、宙で塵となって消える。

 傾いで倒れながら、下半身も砂のように崩れ消滅する。その上に着地したレプは、チッと舌打ちして右腕を振った。何の感触も残っていない。怪というモノは「陰の気」の凝りに過ぎないため、形が崩れればそのまま消滅してしまう。なんとも歯ごたえのない相手だ。

 怪が木々をなぎ倒して作った広場の真ん中で、レプは辺りを見回した。他に獲物はいないのか。まだ、暴れ足りない。

 レプに燃え移った炎はほとんど、怪が破裂した時の衝撃で吹き消されている。裾に燻る僅かなそれを叩き消し、そういえば、この炎の主がいたはずだと思い出した。

(そうだ、ヒサリ……あいつはどこだ?)

 ク氏の炎が通用せず、尻尾を巻いて逃げ出したのか。――いっそ、それならばいい。角に疼く熱と、破壊への欲で煮えたぎる頭の片隅で思った。今、目の前に現れられれば、きっとレプは己を鎮め切れない。

 そむく風。

 そう名付けられた通りに、レプの力は、レプ自身にすらまつろわない。彼の魂すらも、逆巻くつむじ風に巻き込んで暴れ回る。

 ヒサリは、主としては見所のある少年だったが、ここは顔を合わせず立ち去る方がよいだろう。実に短い付き合いであった。

 では、どこへ向かおうか。レプに仮の名を授け、レプが暴走すればその名を呼んで鎮めてくれていた老人は、もうこの世にいない。病で老人を失ったのをきっかけに、レプは都へと出て商人に拾われ、ク氏に買われた。帰る場所はない。

 思案するレプの背後で、鳥が枝を蹴って羽ばたく音が響いた。

 咄嗟にそちらを振り返る。

 振り返った正面。いまだ倒木を燃やす炎に照らされて、見たくなかった顔が――剣を片手に立つ、ヒサリの姿があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る