1章 黄昏時 -2

 額の両端、髪の生え際の辺りに、一対の熱が集まる。

 足元からつむじ風が逆巻き、周囲の梢をざわめかせた。

 粗末な短衣の裾が翻る。裸足の親指が、ざり、と土を抉った。

 怪どもの声音が、嘲笑から警戒に変わる。威嚇するように歯茎を見せ、それぞれが棍棒――と呼ぶにはあまりに粗野な、薄汚れた棒きれを構える。

「来い、ウスノロども――!!」

 低く重心を落として、足に力を溜めた。極限まで収束した一対の熱が、額を突き破るように天へ抜ける。

 心も体も浮き上がるような開放感と高揚感に、レプの口が笑みの形を作った。

 地を蹴る。

 身体は羽根のように軽い。中空から馬頭の怪を狙う。向かって振り上げられた棍棒を蹴飛ばし、馬頭の怪の懐に着地した。

「遅ッせェ、なァ……!」

 繰り出す拳と同時の声は、闘争への欲にまみれて嬉々と響いた。

 拳を握る。相手の鳩尾へ、至近距離から突き込む。

 ぱつん、と馬頭の怪が破裂した。その後ろから、狗頭の怪がレプに襲いかかる。破裂し、文字通り霧消する馬頭の手からこぼれた棍棒を拾い、それで狗の頭を真横から殴り飛ばす。こちらも文字通り、へしゃげた頭が、首から千切れて飛んでいく。

 最後の一体は、と首を巡らせたレプの視界の端に、頭頂に角を生やした後ろ頭が遠ざかるのが見えた。

「逃げてンじゃ、ねー……よ!!」

 言いながら、棍棒を肩に担いで狙いを定め、つのあたまの怪めがけて投擲した。投げ槍のように鋭く空を裂いた棍棒が、角頭の怪の背中に深々と突き刺さる。

 四肢の末端から崩れるように最後の怪が消え、怪を刺し貫いていた棍棒が土の上に落ちた。

「終わりかよ」

 チッ、と舌打ちしてレプは呟く。まだまだ、全く暴れ足りない。腹の中で、凶暴なつむじ風が逆巻いている。四肢を振り回したくて、その手で、足で、何かを壊したくて仕方がない。

「クソっ!」

 足元の地面を蹴って悪態を吐いた。レプの踵に抉られた土塊が宙を舞う。

 ――力を解放すれば、必ずこうなる。

 分かっているからこそ、ヒサリを先に逃がしたのだ。近くに動く者があれば、見境なく襲いかねない。そして何より――。

 レプは、握っていた拳を開いて、そっと額へ寄せた。その指先に、つるりとした感覚が触れる。同時に、敏感な場所を撫でる時の、震えるような感覚が額から下りてくる。そこに現れていた、レプの指先が撫でたものは、「角」だった。

 レプの額には、一対の角が生えている。それは「鬼族」――帝に、天津大神あまつおおかみにまつろわぬ者の証。帝のさきわう瑞穂の国に住処を持たぬ、魑魅魍魎の証だ。ク氏であるヒサリからすれば、討伐の対象である。

 とはいえ、レプに故郷や同族はなく、ク氏や朝廷を憎んでいるわけでもない。ただ人に紛れ、そこそこ平穏に暮らしてゆければよいと思っていた。よって、この力と姿を誰かにひけらかすつもりはない。

「どうすっかなァ……」

 とりあえず、興奮を静めて角を収めてからでなければ、ヒサリとは合流できない。ある呼吸を整え、気持ちを落ち着けてから行こう。そう、思案していた時だった。

 どぉん!

 重い爆発音と共に、朱い光が宵空を照らす。振り仰げば、進行方向に火柱が上がり、天を焦がしていた。

「なっ……!?」

 あちらにはヒサリがいる。ヒサリは、五行師から受け取った怪除けの護符を持っていたはずだ。

「あのヘボ五行師! 役立たずじゃねーか!!」

 いかにも都風に取り澄ました風情だった、華美な装いの優男が脳裏に浮かぶ。それを思い切り罵って、レプは地を蹴った。



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