スピードの偶像
城島まひる
本文
C1、通称『首都高速都心環状線』は走り屋たちにとって、格好のテクニカルコースである。そのため深夜には走り屋の車が多く見受けられる。初心者にも上級者にも人気のあるコースであるため、初心者を避けようとしてスラロームをした結果、事故を起こす走り屋が多い。そのためか年々走り屋はC1から去っていく傾向にあった。
しかし走り屋たちにC1を去った理由を聞くと、全く見当違いな回答が帰ってくる。なんでも3年前に事故った白いFairlady Z 300ZX(Z32)の幽霊が、夜な夜なC1を周回しているというのだ。
当時のZ32による事故は悲惨で、初心者の走り屋を避けた結果、神田橋の橋台に正面衝突。フロントが潰れ、エンジンブロックは完全に破壊された。
不幸中の幸いか、事故ったZ32のドライバー高橋 徹は重症こそ負ったものの、避けられた初心者の走り屋たちによる迅速な対応により、一命を取りとめた。
走り屋たちにとって崇敬の対象であった高橋 徹が、事故を起こしたという事実は衝撃的なものであり、殆どの走り屋が与太話だと一笑した。
しかし高橋が走り屋の世界を去ることを宣言したことで、走り屋たちは信じたくない現実を直視することとなった。
「俺は永遠に首都高速都心環状線へ入る権利を失った。それは俺自身の失態だ」
廃車となったZ32を前に、高橋の走り屋としてのモチベーションがバラバラと音を立てて崩れていく。
もっと走りたかっただろう。GT-Rと比較され続け、低能のレッテルを貼られるも、少なくとも高橋だけはZ32を一級品だと信じていた。
スピードの中にあるドライバーとチューンドカーの一体感。走り屋しか知り得ないその長くも短い興奮は、やはり一瞬のミスで全て無に帰してしまう。走り屋の世界とはそういうものだ。高橋は自身のZ32に別れを告げ、その場を後にした。
しかしそれから数ヶ月後、奇妙な噂がC1を走る走り屋たちの間で囁かれ始めた。
*
阿呆らしい。本当に阿呆らしい。高橋は新車のFairlady Z VersionST(Z34)に乗って、首都高速都心環状線を走っていた。Z32に乗っていたとき同様、250km/hクラスのスラロームを繰り返し、一般車と走り屋の車を次々追い越していく。
走り屋は卒業した。その筈だった。しかし奇妙な噂が高橋の耳に入ってきたのは、Z32の事故から約1年が経過した時である。
「俺のZ32がC1を走っているだって?」
昔の走り屋仲間から噂を聞いた高橋は、驚きのあまり大声を出した。噂を教えてくれた男は続けてこう言った。
「ナンバープレートもお前が乗っていたものと同じだ。しかも驚くことにな、ドライバーがいないらしい」
阿呆らしい。高橋は急にオカルト臭が加わった噂を一笑に付し、くだらないなと言ってその場を去った。
しかし無意識のうちに高橋は新車であるZ34をC1、二度と入らないと決めた首都高速都心環状線に向けて走らせていた。
本当に阿呆らしいのは自分自身だったらしい。だが、もしその幽霊譚が本当だとしたら……会いたい。もう一度俺のZ32に。その一心で高橋は汐留ランプから、C1に入場した。
*
走り屋の間ではZ32の幽霊の話は有名で、『スピードの虚像』と呼ばれていた。何でも初心者でさえZ32を追う様に走れば、C1を250km/hという高速で走ることが出来たからだ。そのためZ32に会おうと、C1を走る走り屋の車が多くなっていった。
結果、箱根で走っていた者や、横浜、湾岸線など初心者コースを走っていた走り屋まで、首都高速都心環状線に来ることとなった。
普段からC1を走っている走り屋たちは車の多さに苛立ち、途中のランプから降りていった。そんな中、1台だけ250km/hクラスのスローラムを繰り返し、C1を走り抜ける車がいた。高橋のFairlady Z VersionST(Z34)だ。
幽霊のZ32が『スピードの虚像』なら高橋のZ34は『スピードの実像』。もしZ32の幽霊を見た者が、高橋のZ34を見たならそのシンクロの高さに驚いただろう。
*
ふとした直感から高橋はC1エリアから、新環状エリアへZ34を進めた。何かに呼ばれたような気がして、その懐かしい声に半ば無意識に応え、新環状エリアに侵入する。
新環状エリアはC1に比べ、一般車も少なく走り屋の車も少なかった。どうやら皆、C1に出払っているようだった。それでも高橋はリズムを崩さず、250km/hクラスのスローラムを繰り返して進んでいく。
しばらく走っていると背後からハイビームで照らされていることに気づいた高橋は、ドアミラーで後ろを確認する。そこに映っていたのは間違えようのない。ドライバーいない白いZ32、廃車になった筈のZ32が後ろを走っていた!
恐怖と同時に一種の高揚感が高橋を支配する。Z32は生きていた!そう叫びたい衝動に駆られる。
そしてさらなる衝動と換気が高橋を駆り立てる。Z32が前に出たのだ。推定300km/hクラスのスラロームを繰り返し、高橋のZ34の前に出る。離されまいと高橋のそれに続くが、300km/hという未知の高速域に怖気づく。
しかし250km/hクラスのスラロームを繰り返すという常軌を逸した走りをしておきながら、何を今更と自分の冷静な思考を一笑に付した。そして遠くなっていくZ32のラインを辿るように、Z34を走らせていく。Z32とZ34による300km/hクラスのスラロームは続き、新環状エリアをルーレットの如く回り続ける。
3周したあたりで、高橋は自分のペースで300km/hのスラロームを繰り出せるようになっていることに気づいた。そのままZ32のラインから外れ、自分のリズムでスラロームを刻んでいく。
それを待っていたかのようにZ32はC1へ続く道へ入ってい
く。高橋もZ34を同じ道へ向かわせる。走り屋にとっての大舞台C1、首都高速都心環状線へ入場する。
*
C1に入り高橋は懸念が消えていたことに安堵する。Z32の幽霊目当ての走り屋たちが、消えていたからだ。きっと多過ぎる交通量にうんざりして帰ったに違いない。
新環状エリアから首都高速都心環状線へ、スピードを落とさず走り続ける。300km/hという超高速域での車との一体感は、今まで250km/hという高速域で走ってきた高橋にはあまりにも未知で、しかしどこか慣れ親しんだ興奮があった。
そして神田橋の橋台を300km/hでフロント側を滑らせる様に走り通過する。このとき自分が運転するZ34だけでなく、目の前を走るZ32との確かな繋がり、一体感を感じ遠に燃え尽きた筈の走り屋としての情熱が再燃する。
何処かに行くためでも、荷物や人を運ぶためでもない、ただ走るためだけに生まれてきたチューンドカーを、もっともっとと早く走らせる。それが走り屋、高橋 徹の信じるところだ。
しかし悲しいかな。走り屋しか知り得ないその長くも短い興奮は、やはり一瞬のミスで全て無に帰してしまう。そう、Z32が廃車となったあの時と同じように……
高橋は初めての超高速域の長時間の運転ということもあり、一つ走り屋として忘れていけないことを見落としていた。それはチューンドカーの重心のズレ。即ちエンジン同様、その重さによって車を安定させているウェイトたるガソリンの残量だ。
C1エリアから新環状エリア、そしてまたC1エリアを250km/h~300km/hのスピードで走り続けていれば、それに比例して燃料であるガソリンも減っていく。つまりそれは高橋の運転するZ34の重心が、段々とズレていくことを意味する。無論ドライバーがそれを意識していれば問題ない。しかし今の高橋にそんな余裕など無かった。
──────燃料約50kgを消費。それは僅か2%の差。しかしその差が操縦性を大きく帰る。
C1の難所の一つ、汐留ランプS字カーブ。高橋はカーブに差し掛かる際のZ32のライン取りに違和感を覚えた。敢えてリアを滑らせ、減速する様に走り抜ける。
Z32の減速を促す様な走りに疑問を抱きながらも、S字カーブに侵入する。そして自身の過ちに気づく。燃料の消費による重心のズレ。FR駆動方式だったZ34はフロント側に重心が掛かり、高橋の操縦を無視して前輪を滑らしていく。カーブの壁の方へと!!
300km/hから減速してS字カーブに侵入したとはいえ、200km/h以上はある。その車が壁に衝突すればただでは済まない。高橋は己とZ34の死を察し、チューンドカーへ謝罪の言葉を口にする。そして壁に衝突。フロントが潰れ車体が歪んでいく中、高橋は確かに聞いた。Z32のターボ。低い回転から伸びの良いトルクを出すその駆動音。車にとってのその声は、確かに元オーナーであった高橋 徹に届いていた。
*
次の朝、C1の汐留ランプでの単独事故は大々的に報道された。世間の走り屋に対する嫌悪を代弁するかの様に、走り屋を遠回しに批判した。
しかし言われずとも殆どの走り屋が、高橋の事故の日を境にC1から去っていった。言わば走り屋のトップドライバーであった高橋の死は、それ程までに大きく走り屋たちの心に影を落とした。
しかし数少ないC1に残った走り屋たち。S30Z、ポルシェ911ターボ、モンスターマシーンを乗りこなす男二人は見たという。
あの廃車になり再びC1に姿を現した幽霊チューンドカーZ32、その運転席に座り操縦する高橋の姿を。Z32と高橋 徹。二人は遂に『スピードの偶像』になったのだ。偶像礼拝、スピードに魅入られた者にしか見えない存在として。
了
スピードの偶像 城島まひる @ubb1756
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