第11話 俺の飼い主になってくれないかな

 フェイと柚香は小さな公園のベンチに腰掛けていた。

 栖鳳会横浜支部での戦闘の後、柚香とフェイは二人で逃げ出した。支部にいた構成員は残らず倒した後なので、誰も二人を引き留める者はいない。


 警察が到着する前に、逃げ出せたのは僥倖だった。

 今頃パトカーがビルの周りを取り囲んでいるだろう。遠くにサイレンが聞こえる。

 それとは対照的に、夜の公園は静かだった。

 街灯も遠く薄暗い。


「……」

「……」


 柚香もフェイも黙っていた。

 ベンチの端と端に座っている二人の間を、冷たい風が吹き抜けた。


「アリガトね──助けに来てくれて」


 ポツリと呟くように柚香が口を開いた。


「正直言って、もうダメだと思った」

「世話になった礼だ。受けた恩は返すさ」

「……何でそんな言い方すんの?」


 やや怒ったように、柚香が言う。


「なんかもうこれで貸し借りなしだって、一方的に言われてる気がするんだけど」

「事実そうだろ」

「それであたしが納得すると思う?」


 フェイがベンチから腰を上げようとすると、柚香はフェイの左腕を握った。

 壊れた左腕だ。無理に振りほどく事は出来ない。

 意を決してフェイは口を開く。


「柚香とは一緒にいられない──俺は君と一緒にいるべきじゃない」


 フェイは壊れた腕を右手でさする。


「俺はサイボーグだ。君の大嫌いな、暴れ者で人殺しのサイボーグ」


 フェイの身体は九割方が機械に置き換わっている。四肢だけでなく、体幹部や臓器に至るまでが機械化されている。

 身体に流れているのは、血ではなくオイルと潤滑剤。

 張り巡らされているのは、血管と神経ではなくパイプと配線。 

 生身の部分は首から上しかない。


「少しは藤木から聞いたんだろう。俺の過去は」

「香港マフィアの殺し屋だっけ」


 頷くフェイ。

 娼婦の子供として生まれたフェイは、頼れるものが何もなかった。生まれてすぐに壊死した右腕に、サイバネティクスを施したのが始まり。

 機械になった腕を活かして、マフィアから一殺いくらの仕事を請け負うようになった。 


「それしか出来なかったんだ俺は。だから言われるがままに、人を殺してきた」


 荒事を請け負っていくうちに怪我も増えたが、その度に身体を機械に変えていった。そして今の状態になる頃には、フェイは名うての殺し屋になっていた。

 殺した人間の数は三桁を超えているだろう。

 いつしか他人はフェイをこう呼ぶようになった。

 血に飢えた獣──緋狼≪フェイラン≫と。


「昔言われた事がある。所詮お前は血に飢えた狼、人と馴れるなど無理な事だった──て」


 フェイは己の右手を見やる。

 人工皮膚に覆われた綺麗な手。

 この手は一体何人の血を吸ってきたのだろうか。


「だから俺は、君と一緒にはいられない」

「は? 何それ」


 フェイの言葉を、柚香は一蹴した。 


「フェイの言ってること、全然分からないんだけど」

「いやだから、俺には柚香と一緒にいる資格なんて──」

「それが、そもそも意味分かんない。誰かと一緒にいるのに資格なんていんの? 資格取得ビジネスに毒され過ぎじゃん」


 フェイは呆気に取られた。

 何だか暴論のような気がしたが、不思議な説得力がある。


「だけど俺は人殺しだ、何人も殺してる」

「それが何?」


 と柚香は取り合わない。


「ていうか、それで言ったらあたしも人殺しだよ」

「え」

「だって、あたしを助けるためにフェイは戦ってくれたんでしょ。なら、あたしがアイツらを殺させたようなモンじゃん」


 それは軽い口調だったけれど、重い覚悟の言葉でもあった。

 奪った命の重さを、半分背負うと柚香は言っている。


「ねぇ、あの夜言ったよね。フェイのこと何も知らないって━━今なら言えるよ、そんな事ないって。全部を知ってる訳じゃないけど、フェイがサイボーグだって事も、殺し屋だった事も、普段は結構抜けてるとこも、あたしに向ける笑顔が優しい事もみんな知ってる」

「……」

「今はもっとフェイの事を知りたいって思ってるよ」

「でも柚香はサイボーグ嫌いだろ」

「今でもサイボーグは嫌い━━でもフェイは好き」

「……」

「だから聞かせて欲しいの。資格とかそういうんじゃなくて、フェイがどうしたいと思ってるのか。素直な気持ちを」

「俺が……どうしたいか……」

「一番大切なのって、結局それでしょ」


 そう言われたら、肩の荷が降りた気がした。

 いつからだろう。

 知らず知らずのうちに、余計な物を背負い込んで、自分を雁字搦めにしていた。

 自分の気持ちや意志を、蔑ろにしていた。


 想ってもいいのだ、誰かの事を。


 そう思ったら、するすると言葉が出てきた。余計なことは何も考えない。

 素直な気持ちが口をついて溢れ出す。


「俺は今までずっと誰かの下について、人殺しの道具や用心の為の番犬として生きてきた。だから今でも誰かの下で生きていく事に抵抗がある」


 それを聞いた柚香の顔が曇るより先に、


「でも──」


 とフェイは言葉を紡ぐ。


「初めてだ。自分から誰かの下に居たいと思ったのは」

「フェイ……」


 見上げる柚香にフェイは微笑み返すと、柚香の前に片膝をついた。

 目線を合わせフェイは言う。


「お嬢さん──俺の飼い主になってくれないかな」

「勿論。首輪付けて、もう二度と逃がさないから」


 柚香はフェイの首に手を回すと、強く抱きしめた。

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緋《フェイ》──訳アリ少女が拾った男は、最強の狼 十二田 明日 @twelve4423

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