三千世界の余白に、三衣氏はラーメンへの愛を綴る
三衣 千月
三千世界の余白に、三衣氏はラーメンへの愛を綴る
――
季節は秋である。いつの秋のことだったかは定かではないが、三衣氏に関する手記のその多くは秋から冬にかけてのものが多い。
これは、筆者が怠惰を働いたわけでは決して無く、暖かい季節は特筆すべきことが無いからに他ならない。
冬から春、そして夏にかけて、三衣氏は真面目に仕事をする。氏は「真面目に働く俺の勇姿を御覧じろ!」と声高に叫ぶが、真面目に働く社会人のドキュメンタリーめいた物を記した所で誰が得をするのであろうか。
三衣氏は阿呆でなければならないのだ。これは世の真理であり、ゆえに対偶もまた真である。阿呆で無いのならば、それは三衣氏ではないのだ。
氏が真面目に働く時、氏の阿呆の血は鳴りを潜める。そうやって抑圧された阿呆の血が、例年夏の終わりから秋にかけてざわざわと沸き立ち、氏が無理無茶無謀を押し通す原動力となる。ふと思い立って遠くにまで出かけてみたり、無計画に旅に出たりするのである。
そうやって阿呆を堪能しつつ、氏はお気に入りの小説の一文を呟くのだ。「これも、阿呆の血のしからしむる所だ」と。
○ ○ ○
三衣氏は文机に向かって真剣に考え事をしていた。暇潰しに何をしようか、と悩んでいたのである。氏は暇な時によく独り遊びをする。暇で無くとも、気分転換にと遊び出す。
開け放った部屋の窓から秋の格調高い風が吹き込んでくるが、氏はどこからどうみても格調高さとは無縁の人間である。色気より食気を地で行く氏のことであるので、風に乗って運ばれてきた焼き芋の香りに腹を鳴らす方がよほどらしいのである。
そんな氏の脳内に、弘法も筆の誤り、という諺が不意に浮かび、氏はよく弘法大師をミキサーにかけて遊んでいたことを思いだした。氏は文を扱う人間であり、文とは人の中から生まれてくるものである。文に対して真摯に向き合う事こそ、文士たるものの務めであると氏は述べているが、単純に言葉を組み合わせて遊んでいるだけなので性質がわるい。
弘法大師は思いのほか汎用性が高く、なかなか良い素材であると氏は述べている。昔から困った時の弘法頼りとでも言わんばかりにネタに困った時は弘法大師をミキサーにかけては妄想を繰り返していた。
聡明な読者諸賢にとっては先刻御承知の事ではあるが、簡単に弘法についての説明を差し挟む事にする。
弘法とは、真言宗の開祖である空海と同一人物である。唐に渡って教えを持ち帰った、それはそれは偉い方である。書道の大家でもあったとされる大師であるので、上に記したようなことわざが作られたのにはそういった背景もあるのではないかと氏は勝手に考えている。
もちろん、そんな事を幼少の三衣坊やが知るはずも無く、ただ「何となく有名なお坊さん」くらいの認識であったようだ。今でも三衣氏の認識は「有名なお坊さん」程度にとどまっている。弘法に対して失礼極まりない男である。
氏の『弘法覚書帳』には、幼い頃より綴られた駄文の数々がある。
そのいくつかを以下に記す。氏がどれほど無益なことに血道をあげていたかを窺い知ることができるはずである。
○
・弘法を叩いて渡る
ある橋で大師が説法をしていた所、酔った通行人が大師の右頬を叩いて橋を渡った。大師が何も言わなかったので、他の見物人達もそれが大陸流儀の教えなのだと勘違いして次々に大師の頬を叩いて橋を渡った。
大師はその度に、うずくまるように深く礼をしたと言う。しかし痛みでうずくまっていただけだと言う人もある。
○
・火のない所に弘法は立たぬ
冬場、寒さの苦手な大師は焚き火のある所でしか説法を行わなかった。教えを乞う間は火を絶やさずにいなければならず、火番なる役職も出来るほどであった。
大師の説法は始まると非常に長く、焚き火に集中していた火番の人間は説法が終わると疲れから倒れ込むように寝てしまうものが多くいた。
このことから、火番の後は休む。転じて、長時間の勤務後の休みを非番と呼ぶようになったのである。
○
・弘法からぼたもち
甘味類に目がなかった大師は常にぼたもちを所有しており、飢えたものがあれば「私の餅をお食べ」と懐から取り出してこれを与えたと言う。
寺にはお抱えの餅職人もおり「大師! 新しい餅よ!」と餅を届けていたことが弟子によって明らかにされている。
○
このように好き勝手に述べ立て、「どれそれと組み合わせてもある程度の意味を無理やり付けられる辺り、やはり弘法は良い素材である。これぞまさに、弘法筆を選ばずであるな」と氏は上手い事言ったつもりになる。
氏の阿呆ぶりは留まるところを知らない。
そして、三衣氏は非礼をはたらいたことを少しだけ悔いた。誰にや、いわんや弘法大師にである。これだけ好き勝手に大師のあれこれを捏造したのであるから、大師に、果ては真言宗の教徒に恨まれるやも知れぬ。
氏は肝の小さい男であるので、恨まれてはたまらんと真言宗発祥の地である和歌山の高野山へ謝罪に赴くことにした。そろそろ紅葉が見頃になってくる時期であるので、謝罪ではなくそちらが目的だったのではないかと周りに囁かれているが、氏はこれを否定している。
折りよく友人にドライブに行こうと誘われていたので、渡りに船とばかりに氏は高野山の観光プランを推しに推した。高野山は平地よりも紅葉が一足早いのでそろそろ見頃であろうという事や、奈良から行くのであれば京奈和自動車道が高野口まで繋がっているので渋滞ともほぼ無縁であることなど、観光に役立つ知識をあれこれ述べたのである。やはり謝罪に行くなどと言う動機は嘘であった。氏は嘘吐きである。
○ ○ ○
ある日曜の午前9時、三衣氏は
・高野山で観光がてら紅葉を見る。
・和歌山ラーメンを食べる。
この2つだけを決めて、後は野となり山となるだろうと気軽に景色や会話を楽しみながら進んでいった。ちなみに、生駒氏の車のナビは古く、当時よりも数年前に完成した高速道路、京奈和道は表示されていなかった。ずっと何もない所を突っ切る生駒氏の運転に、ついにナビが困惑してその職務を放棄してしまったことは已むを得ないことである。にこやかに生駒氏は言った。
「橿原から南は行ったことないから、みっ君ヨロシク」
「俺のデータもそんなに新しくはないんやけどもな」
ちなみに、みっ君とは三衣氏のことである。
京奈和道とは文字通り、京都、奈良、和歌山をつなぐ道路のことである。だがまだ全線開通には至っておらず、ところどころ工事中である。故に、開通区間以外は一般道を走ることとなる。その当時は橿原で道路が一旦終わっていたので、五条北から始まる和歌山方面への京奈和道までは三衣氏のナビだけが頼りとされていた。
とはいえ、ほとんど一本道である。さして迷うこともなく車は高野山への入り口である橋本市へと到着し、高野山に向けて山道を運転していく前に少し休んだほうが良いと、三衣氏は運転手である生駒氏を気遣った。コンビニで休憩を取り、いざ出発という時になって、生駒氏が提案を持ち出す。
「みっ君。先に和歌山にラーメン食いにいかんか?」
確かに時刻は午前11時と昼前であったので、食べて戻ってくるだけの余裕はあると三衣氏も考えた。橋本市から和歌山市街までの距離はおおよそ50キロである。数時間程度で戻って来られるだろうと概算し、二人は和歌山市中心部へと向かった。
○ ○ ○
三衣氏と友生駒氏は和歌山ラーメンを食すにあたり、どこへ行こうかとある程度店を調べてあった。せっかくなので食べ歩こうと複数の候補を用意しており、二人はさっそく一件目へと向かった。しかし、定休日であった。どうしてちゃんと調べておかなかったのかと三衣氏が問責し、「まさか日曜定休やとは思っとらんかった」と生駒氏は答えた。
二件目は臨時休業であった。「みっ君、お前もやないか」と生駒氏は三衣氏を責めたが、氏は「や、これは俺のせいではない」と非を認めなかった。
三件目は駐車場無しと前情報を得ていたので、近くのコインパーキングに車を止めて歩いて向かった。それなのに、店の裏手に数台ほどが停められる駐車場があり、店の壁にも手書きの『駐車場コチラ』の案内看板が張られていた。無駄遣いの上に無駄に歩かされたことに対して生駒氏がまたも氏を責めた。
「みっ君、なんか俺に恨みでもある?」
「情報は生き物。そんなこともあるわい」
「また悪びれもせんと……」
「まあまあ、美味い中華そば食って機嫌なおそう」
この実質一件目である三件目、名を「まるやま中華そば」と言った。店は昔ながらの昭和の雰囲気が漂う佇まいであり、地元の人がよく訪れる店なのだそうだ。この日は数組の客が入っていたが、いずれも地元の方であったように思う、と氏は回想している。
両氏は腹が減っていたこともあり、出てきた中華そばを一気呵成にすすり上げた。
「あ、寿司取って」
「はいよ。タマゴいるか?」
「食べる食べる。さんきゅ」
二人がすっかり食べ終わるのに十分とかかっていなかった。スープまで残さずに空である。もっとこう、醤油の効いたスープを味わうであるなり、チャーシューやカマボコの味を楽しむなりあるのではないかと思うが、お構いなしに食べきったのである。
三衣氏は、自分はグルメ通ではないのだから、食べて一言「うまい」と思えればそれで良いではないかと語っている。そしてここの中華そばはうまかったと言う。
店を出て四件目へ向かおうかと話していると、生駒氏が「和歌山ラーメンってあんなに醤油っぽかったっけ?」と口にした。三衣氏はラーメンが好きである。故に、ある程度の予備知識や歴史はしっかりと頭に入っているのだ。
――和歌山ラーメンとは、そもそもこの地方の中華そばの総称であり、その味は2つに大別される。「とんこつメインのとんこつ醤油」スープと、「醤油メインの醤油とんこつ」スープである。そしてサイドメニューに押寿司(地域では早寿司と呼ばれる)とゆでタマゴがあるのが特徴であり、サイドメニューは脇に置いてあるものを取って食べるのである。会計時に食べた分だけ申告して料金を払うスタイルの店が多い。また、メニューは通じて「中華そば」と書かれており、ラーメンと呼称されるのを快く思わない者もあるらしいので、注意が必要である。
これらを三衣氏は一気に語り上げた。
「そして、まるやまは醤油メインの店。想像してたんはとんこつメインのスープやろ?」
「そうそう。みっ君、どっか知ってる?」
「次に行こう言うてた所がまさにそうやわ。知識は力なり。尊敬してくれ」
氏は良い顔で親指を立てた。
「臨時休業やったり、駐車場詐欺されたりしたけどな」
「それはしゃあない。諦めてくれい」
三衣氏との外出でハプニングに見舞われないことは無い。必ず、一つや二つの想定外が付いて回るものである。もしも氏と出かけたにもかかわらず順当に計画を達成できたならば、その人はよほどの天運、豪運の持ち主である。
次の店へと向かう前に、生駒氏が職場の同僚へ土産を買うと言うので、和歌山駅前の近鉄百貨店へと向かった。生駒氏は物を食べると眠たくなる人のようで、注意力を失い曲がるべき交差点を直進したり、青の信号で止まってみたりと非常に迷惑な運転をしていた。
「あれ!? 今のトコ右か!?」
「さっきから言うてたやないか! 次の交差点でターンしてくれ」
「あかんあかん、車が多いから無理や怖い怖い怖い」
「目的地に向かわずにどこ行くつもりや?」
「どこまでも!!」
乗っていた三衣氏は寿命が三年は縮んだという。
からがらたどり着いた百貨店で土産を買い、このまま運転されてはかなわんと三衣氏は喫茶店での休憩を提案した。生駒氏はカフェラテを、三衣氏は名物グリーンソフトを注文した。成人紳士が注文するようなものでは無いかも知れないが、前に並んだ客がグリーンソフトを頼むのを見て、うまそうだと思ったのだ。氏は影響を受けやすいのである。
しばし休憩し、次の店に向かおうかという時には時刻はすでに夕刻であった。これはマズイのではないかと三衣氏は言った。生駒氏も、確かにマズイなと言った。言った後で、二人とも「まあ、ええか」と呟いた。悩んでも時間は戻らぬ。
――世の中において、悩みは大きく二つに分ける事ができる。一つはどうでもよい事、もう一つはどうにもならぬ事である。そして両者はどちらも苦しむだけ損である。努力で解決するならば悩むより努力する方が得策であり、努力しても解決しない事であれば努力するだけ無駄なのだ。
これは三衣氏の好きな小説の一節である。予定以上に費やした時間が戻ってくることはないのだから、とりあえず目の前の事柄を全力で楽しむべきである。つまり、しっかりと美味い中華そばを食べようではないかと氏は言った。
市街地より少しはなれた「
ここの中華そばは生駒氏のイメージに沿うものだったようで、二人とも早寿司をつまみながらスープまでしっかりと飲み干した。三衣氏は途中から胡椒を入れて食べていた。
三衣氏は個人的に醤油メインのスープの方が好みであったという。生駒氏はとんこつメインを推していた。それでいいのである。好みは人それぞれであるのだから、あっちが美味いだのこっちが美味いだの論争するのはあまり益の無いことだ。今回のように連れ立って行くのであれば、それは互いの好みを知る良い機会なのである。
ことさら、ラーメンに於いて万人に共通するうまさと言うものは無いと三衣氏は思っている。創業何年、秘伝云々と言ったものは、目安にこそなれど、味を決定付けるものではない。己にとって美味いかどうか。それがラーメンの真価であると氏は生駒氏の車内で熱く語った。
「そやね。で、次どっち曲がったらええの?」
生駒氏は振り向きもせずに軽く流した。三衣氏の扱いをよく心得ている行動である。
○ ○ ○
国道24号線を東へ走ってきた道を戻り、高野口から山道を走っていこうとする頃にはすでに辺りは薄闇の中であった。
地元で祭りでもやっていたのであろう。玄関先の御神灯や街中に張られた万国旗などをせっせと片付けていく住人の姿が見られた。生駒氏がそれを横目に言う。
「祭りと万国旗って変な組み合わせやな」
「ふむ。町内で運動会でもやってたんちゃうか」
「でも皆はっぴ着て片付けしてるしなぁ」
地域の風習や慣わしなどは様々である。万国旗を飾って祭りをしようが、褌を締めた男衆が魅惑のダンスを踊りながら町内を練り歩こうが不思議ではない。(これは実在する尻振り祭りという九州の祭りである。)
さて、生駒氏は橿原から南へ行ったことが無いと既に述べた。いわゆるシティドライバーなのである。蛇のように曲がりくねった山道を運転した経験など皆無なのである。そんな人間が山道を運転すればどうなるか。
極めて簡単な解が出る。三衣氏が叫ぶのだ。
「死ぬ!死ぬからほんまに!」
「生きろ!」
「似てないモノマネうぜぇ!! アシタカのつもりかソレ!」
そりゃあ、三衣氏も口が悪くなるというものである。しまいに氏は謝罪を始めた。
「ごめんって! 謝るから安全運転してくれ!」
「曲がる! 曲がってくれ! 俺のハチロク!!」
「日産のマーチが何言うてんの!?」
生駒氏はどうやら走り屋属性があったようである。嬉々として峠を攻める生駒氏に対して、本来ならば弘法大師に行うべき謝罪を惜しげもなく浴びせたと三衣氏は語るが、大半は罵声であったのではないか。
高野山に到着した時には、すでに辺りは真っ暗であり、数件の寺やお堂がライトアップされているだけであった。そして、まださほど紅葉が綺麗な段階でもなかった。青いのである。青々としているのである。高野山に「お前は、まだまだ青いな」と言われている気がした。
そうまで言われる謂れも無いが、ここ高野山は真言宗発祥の地であり、一大宗教都市である。聞こえずともそう感じたならば、仏の声として受け入れるべきであるが、三衣氏は頑として受け入れなかった。
「青いものか。青い春なぞとうに過ぎている。俺の青春は解脱してしまったのだ」
ふん、と不遜に鼻を鳴らしてライトアップされた根本大塔に向かって呟いた。生駒氏は一言「盛者必衰」と氏に向かって合掌した。
一の橋から奥の院へと参拝しようかと思ったが、暗かったのでやめておいた。街灯の数も少なく、日が落ちれば観光とはまったく縁のない土地になってしまうことを両氏は体験で以って知った。
見れるものだけ見て帰るかといくつかの立て看板を読むにつけ、三衣氏はその内容に怒りを抑えることが出来なかったという。特に次のものである。
「飛行三鈷杵」(ひこうさんこしょう)
唐より大師が帰還する際、自らが修めた教義を広める地を選ぶのにふさわしい場所を示さんと大陸の港で仏具を投げた。その仏具は大空を駆け抜け、高野山の松の木に引っかかっていた。これが高野山が選ばれた所以である。
――何だコレは! 俺の妄想に負けず劣らずの伝説ではないか。大陸からここまで何百キロあると思っているのだ。比類なき強肩! 最早、人ではない!
ここまで破天荒なことが伝承されているならば、少しくらい妄想してもきっと事実と相違ない。あっても微細な違いであろうと己の妄想を自己肯定しておいたのである。三衣氏の妄想など実に人間味のある可愛らしいものだった。氏はすっかり負けた気分になった。己の得意分野で負けることほど悔しいものは無い。
○ ○ ○
帰路も再び三衣氏は叫んだ。無事に帰ってこれたのは大師のおかげではないかと氏は思っている。これからは仏教を毛嫌いするのはやめておこうとこっそり誓ったが、結局のところ大師に謝罪をしていない三衣氏に降りる加護はおそらくない。
餃子の王将でラーメンを食べながらこの日のあれこれを二人で語っていると、生駒氏が言った。
「みっ君、今度は名古屋にでも行かんか? 天むす食いたい」
「高速使えば意外と近いからなあ。ええかもな」
「高速は怖いから下道で山越えて行こう」
「自分で死地に飛び込まんでもええと思うねん」
高速よりも山道の方が数倍怖い。特に生駒氏の運転においては。生駒氏にはそれを理解してもらわねばならんと三衣氏は強く思った。
こういった思いつきで行動できる自由を三衣氏は非常に好ましいと思っている。実質、この時の行楽で達成できたのは中華そばを食すという事だけであるが、それはそれでいいと氏は満足げであった。何もかも予定通りの人生などつまらんと氏は言う。
おそらく、負け惜しみである。氏はこれを否定していない。「予定通りに行けばそれはそれで楽しいが、そうでなくとも人生は楽しいのだ。くだらん生涯を楽しむことがいっとう素晴らしいのだ」そう能天気に言い放って阿呆の道を突き進む三衣氏に仏の加護はおりるのであろうか。それは筆者にも分かり得ない事である。
三千世界の余白に、三衣氏はラーメンへの愛を綴る 三衣 千月 @mitsui_10goodman
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