第2話
居間に繋がる廊下は無言であった。沙知子はちらりと湊人の顔を見た。見れば見るほど妖艶とか、美麗とか、わざとらしいほど飾り付けられた言葉が似合う男であった。こういう言葉が似合う人間は、それに見合うほどの眩い容姿とともに、その言葉をジュエリーにしてもゴテゴテしない、余白のようなものがあるのだと知った。
青髭すら目立たない口元とか、吹き出物一つない肌だとか。それはきっと彼が身なりに気を使っている証だと察せられたが、あまりに完璧すぎてなんだか自然と、神様の手入れが行き届いている顔だな、という感想が出てくる。
視線に気付いた湊人が「どうされました」と聞くので沙知子は慌てて「いいえ」と返した。そうして相手に気づかれるほどまじまじと見つめていたことが決まり悪く思えて「ごめんなさい」と小さく呟いた。
「いえ、僕の方こそ。ただ、こんな綺麗なお嬢さんに見つめられて、恥ずかしくなったものですから」
そう言うと湊人はほんとうに恥ずかしそうに、はにかんだ笑顔を浮かべた。
そうして落ち着かないように髪を二三度触る湊人を見て、沙知子はようやく、ア、この方も人の子なのだなと痛感した。当然と言えば当然なのだが、庭で見た見慣れぬ蛇の存在も相まって、この男のあまりの美貌にどこか他とは違うものを感じていたのだ。
「綺麗だなんて」
沙知子は無意識に湊人に向かって柔らかな笑みを浮かべていた。
完璧に思えるこの人にも子供時代があり、家族がいて、その過程で培ったクセがある。人間じみた湊人の仕草ひとつで沙知子は心が解されていくのを感じた。
「それに、沙知子さんが同じ玄関から入ってくれるものだから、僕は嬉しかったですよ」
「まあ」
沙知子は着物の袖で口元を隠しクスクスと笑う。頬を緩ませて笑えば、場の雰囲気が幾分か和らいだ。
そもそも、先程は湊人の人智を越えた美しさに見惚れてしまったが、沙知子は決して容姿のみで性格までを判断する人間ではない。容姿云々よりも、自分の失態を一緒に笑い話に変えてくれる、湊人のお茶目さが垣間見えるその発言を好ましく思った。
奇妙なことに沙知子はこの、会って数分ばかりの湊人という男に好感さえ持っていたのである。
居間に着くと母がお茶菓子を用意して座っていた。
「あら、もう仲良くなったのね」
「ええ」
湊人のその返事に母はやけに嬉しそうであった。何故か客人である湊人の隣に座らされ、いささか訝しんでいると母が切り出した。
「沙知子、あなた一年ほど前に父さんの仕事のパーティーに付いてったでしょう」
その言葉に沙知子はええ、と返した。沙知子には長年贔屓にしている作家がいる。その作家が、業界のなかでは非常に名誉だとされている、とある高名な賞を受賞したのだ。
誇らしさを胸にそれらが記された新聞を切り取っていると、それを見た父が授賞式の後のパーティーに私も呼ばれているから良かったら来なさいと沙知子に言ったのだ。
沙知子の祖父母は華道の名家であった。所謂どこそこ流の総本家というものである。
こういう立派な家柄には血筋と才能による跡継ぎ争いが付き纏う。が、父に関しては三兄弟の三男であったこと、幸いにして生け花の腕が平凡であったこと、それに加えて長男が類稀な才能の持ち主であったこと。
そういった理由から父自身は跡継ぎ争いから早々に脱却していた。結果的に周囲から大した圧をかけられることもなく育った父は三兄弟のなかでも一番穏和な性格であった。
長男が跡を継いだその5年後、父は親戚が経営している生け花を取り扱う会社に縁故入社した。物腰の柔らかい父からは品の良さが滲み出ており、本家の筋で贔屓されていることを差し引いても大変評判が良く、交友関係も多岐に渡っていた。
「湊人さんがね、パーティーの時にあなたを見て、気に入られたそうなの」
母のその一言で、沙知子はようやくはァ、これは縁談かと察した。
なんにせよ、母がお見合いの話を持ってくるなど極めて稀なことであった。
母は常日頃から、女だろうと関係ない。貴女は一人の人間なのだからしゃんと自分で歩けるようにおなりなさいと沙知子に口酸っぱく言い聞かせていた。たまに届くお見合いの話などもすべて母が蹴っているので沙知子の元まで届くこともない。
あれでは中身が良いか悪いかも分かりはしないではないか、と祖母のシズ江は度々零していた。
沙知子としては、良い人がいるなら結婚もいいかしらと思っていたが、それでもやはり、まだまだ遊んでいたいのでお見合いを断る母に感謝していたのが本音であった。
「結婚を前提に、ではないのよね」
「勿論よ」
「まずはお食事だけでも。合わないなと思えば、振ってもらって構いませんから」
謙虚にそう言われればすげなく断る理由もない。了承の返事をだして、交際はスタートしたのだった。
べらぼうに美しい男が女を囲い込む話 日蝕 @sun_eat_me
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