第14話

 羽ペンを走らせる指の動きが重い。やはり書類作成などという作業は、アルバートにとっては苦痛でしかなかった。元々、学のある生き方をしてきてはいない。従軍経験があるから、必要に駆られて読み書きは修得した。とはいえ分かるだけでしかなく、不得手であることには変わりはないのだ。それでも、これも仕事である。逃げることは、許されない。

「どう、終わったかしら。そろそろ、期限が近いのだけれど」

「嫌味だな、相変わらず。今終わったから持って行け」

「持って行くわよ、仕事だもの。それじゃあ、確認するわね」

 アルバートに書類仕事を押しつける時のクレハは、楽しそうに尾を振る。言葉にしない出ない嫌がらせというのも、受け流すのには面倒なものだ。

「それにしても。終わってみれば、本当に、つまらない話だったわね」

 溜息をつきながら、アザレアが書類に目を通していく。実のところアルバートの作る書類に、中身の出来など期待してはいないのだろう。様式が守れていれば、それでいい。その程度の確認だ。

「全くだな。本当につまらない、果てしなく、くだらない話だ」

「軍の上層部が妨害をしてきたのも、分かってみれば腑に落ちるわね。しかも介入が釈然朋しないのも、馬鹿馬鹿しい理由。全く、身内が敵同士なのは、勘弁して欲しいわ」

 摘発した違法娼館、星見亭。通称、月光魔の帳。何のことはない、裏から手を引いていたのは、軍の上層部だった。グロイザスとは別の大隊長一人の名が、押収した顧客のリストから判明したのだ。そしてグロイザスは何処からかそれを嗅ぎ取り、独自に月光魔の帳を追っていたのである。今回の亜人保護管理局は、軍の権力争いに巻き込まれた形でもあったのだ。

 更に調べて分かったことだが、星見亭の敷地自体が、元々は軍の持っていた土地の払い下げであった。軍との癒着は、このタンタネスという街が出来た頃から始まっていたのだろう。処分された大隊長は、タンタネスの生まれであった。

 軍と娼館が癒着している。それ自体を極端に忌諱すべきだとは、アルバートとて思わない。様々な事情を鑑みれば、協力関係にあった方が融通も利くことが多いことも理解はできる。ただ、今回はその繋がりがあまりにも深く、長く、そしてやり過ぎた。

「横槍の方は、落ち着いたのか」

「お陰様でね。積極的に攻撃してきた一派は処断されたし、グロイザスともかなり有利に取引できたわ。貴方のお陰ね」

「思ってもないことを言うな。包囲にグロイザスを巻き込んでいた癖に」

 その辺りのやり口は、正直に言ってクレハは上手い。軍部の介入をあしらいながら、逆にマウントを取る。それくらいのことはやってのける女だ。人や組織、その中で押した、引いたの才覚は、アルバートにはない才覚だった。彼女は実力でもってして、難しい立ち位置の中で立身出世を続けている。

「軍も、少しはこりて亜人保護管理局に余計な手だしをしないでくれると良いんだがな」

 今回の一件、月光魔の帳。その調査には本当に余計な横槍が多かった。サテュロス族の逃亡亜人、ガンギ・ギギスの捕縛依頼も調査妨害以外の何物でもなかったのだ。何も軍部に対して、亜人保護管理局に対して協力的になって欲しい、そこまでの高望みはしない。邪魔さえ入らなければ、それで十分なのだ。

「そこは期待して頂戴。散々邪魔をしてきたツケは、たっぷりと払わせるから。グロイザスも、精々こき使ってやるわ」

「そうか。やはりお前は凄いよ。いや、怖いと言うべきだな、ここは」

「ありがとう。褒め言葉として、受け取っておくわよ」

 くだらない話をしながらも、クレハは受け取った書類を処理し終えていく。サインを書き、書類を束ねる。そして、小さな背伸びを一つ。

 こういう時だけは、この女狐も年相応な、可愛げのある少女に見える。アルバートにとって、そんな態度の彼女は嫌いな女ではない。

「それで、今後のアザレアちゃんの処遇、決めたのかしら」

「ああ。今のまま、家と此処で、住まわせる。今更、施設に送る気も起きん」

「どうやら、愛着が湧いたみたいね」

「どうでも言え。アレは、メイドだ」

「あら、彼女に、ご主人様、なんて呼ばせて楽しそうじゃない。嵌まっちゃったかしら」

「呼ばせてはいない」

 クレハのわざとらしい言葉はどうでも良いが、アザレアの身元を正式に引き受けることにしたのは事実だ。

 国の施設に送ったところで、サキュバスであるアザレアが最終的に送られる先は、娼館以外には有り得ない。月光魔の帳で、散々見たくもない、面白くもない人間の業を見せられた後である。国営の娼館が健全に運営されていようが、その本質はある種変わりのないものだ。そんなところにアザレアを放り込むなど、今更そんな気が起きるわけがない。

 エゴなのだとは、理解している。当然ながらこの判断も、アルバート個人の勝手な心情に過ぎない。その自覚は、ある。アザレアにとって、サキュバスの生態にとって、暮らしやすいのは娼館での生き方だ。勝手に、アルバートが人間の感覚でそれを哀れんでいるだけなのである。

 違法娼館ではなく国の管理する娼館であれば、心身の健康も考慮されるはずだ。この世相で、サキュバスとして健全な生活を送る最も楽な道であろう。アルバートの判断は要らぬ世話どころではない、本当に、ただのアルバート個人の心情、エゴなのである。

「それでも、な。俺は、アイツを、娼館には送れない。もう、無理だ」

「別に、それはそれで良いんじゃないかしら。別に娼婦だってサキュバスに向いているだけで、本当にそれがベストなわけでもないのだし。個人差だって、あるはずよ」

「クレハ、お前な」

「あら、間違ってはないはずよ。どれだけ亜人保護管理局が亜人のためにと良かれと思ってやったところで、所詮それは人間社会の都合にすぎない。本当の意味で救うには、人間の世界が滅ぶしかないのだもの」

「お前が、それを言ってしまうのか」

 正論ではある。正論ではあるのだが、亜人保護管理局タンタネス支部局実戦部隊司令官、その立場の者がそれを言ってしまえば問題発言の部類だ。それでも、言ってしまって絵になるのが、クレハという女だった。

「言うわよ、勿論。私が『こちら側』に立っているのは、そう偶々なのだから。ただの巡り合わせと、運でしかないんだもの」

 クレハの耳が小さく動き、垂れ下がる。何時もの嫌な笑顔を取り繕おうとしているものの、何処か物憂げな表情を隠せてはいなかった。その視線はアルバートに向けられつつもどこか遠い。

「クレハ、お前、それは」

 孤族は、人間側に属している。エルフやドワーフたちと扱いは同じ、魔王軍との戦争で人間側に立って共に戦った側だ。味方側であったため、勝者側であったため、亜人ではなく人としての立場を得ている種族である。

 勝者側ではあるが、種族として、その立場は強いとはいえなかった。そこに、何か特別な事情などは何もない。人口が最も少ない、ただそれだけの理由である。孤族は種族として個の力も突出しているわけではなく、特別な技能があるわけでもなく、総数も少ない。そんな集団の発言力が低くなるのは、ある意味では当然なのだろう。

「ねえ、アルバート。もしも、よ。私がもしもあっち側だったら、貴方はアザレアちゃんと同じように、私にしてくれるのかしら。優しく、哀れんで」

「お前は『こちら側』だ。あの戦いの時も、ずっとな」

 自分自身、卑怯な答えだとは思う。これはクレハが望む答えではないはずだ。それを理解しながら、アルバートは言葉を紡ぐ。

「孤族は、人間側だ。亜人側ではない」

「そうね。そう、なっているものね」

 垂れ下がる耳が小さく震え、何時ものピンとした張りに戻る。固まったように動かなかった尾も、ゆっくりと振られだす。馬鹿な話をした。お互いに、そう思うしかないだろう。

 この話は終わりだ。

「今日はもう、帰って良いわよ。お疲れ様。どうせ、これ以上の事務処理は貴方じゃ役に立たないのだから」

「ああ、そうさせ貰う」

 孤族の少女が、アルバートの嫌いな何時ものクレハに戻る。それで、良い。亜人保護管理局のクレハは、それが正解なのだ。寂しいことなのかもしれないが、アルバートはその是非など考えたくはなかった。

 クレハを隊舎に残し、アルバートは帰路につく。元々は家など、ただ休んで寝るだけの場所でしかなかった。帰らずに適当に過ごすことも正直に言えば苦でもない。だが今のアルバートには、帰らなければならない理由がある。

 アザレアが、家にはいた。

 普段は、アザレアには亜人保護管理局のタンタネス支部、早い話がアルバートの職場でメイドであり、施設で寝泊りすることもある。今は事件の後処理と影響で、自宅待機になっていた。

 母親が、殺されていた。更に、その死体は発見もされなかったのだ。この事実は、彼女にとっては決して軽くはないだろう。社会的には、亜人が殺されたことは人間が殺されたことよりも軽く扱われる。だがそれはアザレアという個人には何も関係のない話だ。肉親が殺された悲しみに、変わりはない。休ませているのは、クレハとアルバートの判断だった。

「お帰りなさいませ、アルバート様」

「アザレア、お前。本当に気に入ったんだな、それが」

「はい。この服は落ち着いていて、好きです。可愛いとも、思いますし」

「お前がそれで良いのなら、良いが」

 家で出迎えてくれたアザレアは、仕事着であるメイド服を着ていた。元々は亜人保護管理局のタンタネス支部で調達した仕事着であり、家で着ている必要性はなにもない。とはいえ、給仕の仕事をする上で機能的に問題もなく、アザレアも気に入っているのならばそれで良いのだろう。

 アザレアが気に入ったこの地味な服は、隠しきれないとはいえ、サキュバスの特性を抑える。そういう意味でも、それなりに合理的な服でもあるといえるか。それに、アルバートの私物には、他に着せておくような服もない。その内、彼女が自分で服を手に入れるのを待つのが一番だろう。

「私は、アルバート様の給仕ですから」

 アザレアが、アルバートに柔和な笑顔を見せる。それは決して、無理をした作り笑いではない。サキュバスの少女の見せる自然な笑み、そのことが、余計にアルバートの心に刃を立てる。

「アザレア」

「はい」

 真っ直ぐに注がれる穏やかな視線に、思わず目を背けたくなる。これは、サキュバスの持つ魅了の魔眼的なモノとは無関係なものだ。ただ純粋に、今のアルバートには直視するのが辛い。

「もう、大丈夫、なんだな」

「あの、申し訳ありません、アルバート様にご心配をおかけしてしまい」

「いや、いい。謝る必要はない」

 何が、大丈夫なのか。母親のことだ。だが、それを直接言葉にすることは、どうにも憚られる。アザレアが辛いのは、聞くまでもなく分かることだ。

「アルバート様とクレハ様のご厚意で、お休みも頂きました。大丈夫です。いえ、むしろこれから頑張って働きたいと思います。少しでもこのご恩を」

「無理は、しなくて良いからな」

「いえ、そのような。無理だなんて。その、アルバート様やクレハ様には、本当に良くして頂いていますから。えっと、ニシキ様や、ゲイリー様にも」

 はにかむように、アザレアは笑う。妖しさが溢れ出てしまうが、間違いなく健気な少女の見せる笑みだ。

「それに、母も、丁寧に弔って頂きました。このご恩、私には、働いて返すことしかできませんから」

 丁寧な弔いなどではない。墓には、何もない。それでも、彼女の物言いは本心からのものだ。こういうものを、やはり健気というのだろう。人間たちと同じように、むしろ下手な人間以上に、義理堅く心優しい少女なのだ。ただ決定的に、生態が違う。悲しいほどに、それだけだ。

「アザレア、もしも、だ」

「はい、なんでしょうか」

「もしも、性が必要にならば、欲しいのなら、言ってくれ。血だけでは足りないのは、分かっている。何か、手段を考えよう」

 男との女の関係になる。或いは、モノのようにアザレアを扱う。そんな気分にはアルバートはなれない。だが、何もしなくて良いわけではないはずだ。

「それは、アルバート様、その。いえ、確かに、そう、なのですけども」

 サキュバスの身体を考えないアルバートの、人間社会のエゴを、押しつけていたのだ。それを、今更止める。これすらも、アルバートの醜いエゴだろう。それでも、少しずつ前に進めなければならないのだ。

「その、ありがとう、ございます。ええと、はい。ニシキ様にも相談してみます」

 俯き、恥ずかしそうではあるが、彼女の表情は穏やかな笑顔のままだ。やはり、食事としての性を、耐えていた部分はあるのだろう。

 良いことをしたと、とてもではないがそう思うことはできない。これもまた、欺瞞であろう。自分自身で、嫌と言うほど分かっていた。

 それでも、なのだ。アザレアには、せめて笑って過ごして欲しい。それが、どれだけ小さく無意味な、欺瞞に満ちた範囲だとしても、ただのアルバート個人のエゴでしかないのだとしても。

 世界を変える力など持たないアルバートの、小さく傲慢な願いであった。

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亜人狩のお仕事 影野昼狐 @kagenohiruko

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