第43話 その後の二人

 それは、優しくて甘い一日の始まりだった。


 目覚める前のまどろみの中、ふと手を取られて指を絡められる。

 それと同時にふわっふわの尻尾で頰を撫でられて、ピケはクスクスと声を漏らした。


「もう。いたずらっこね」


 自然と唇がゆるんで笑みが浮かび、穏やかな気持ちになる。

 ぬくぬくとしたあたたかさが、ピケの胸を満たした。

 ゆるりとまぶたを上げると、ぼんやりとした視界を遮るようにボフッとやわらかなかたまりが覆いかぶさってくる。


「んん……!」


 猫特有の細い毛が口の中へ入り込み、ピケはペッペッと舌を出す。

 そんな彼女に、ノージーはクスクスと笑った。


「いつまで寝ているつもりですか?」


 ベッドの上に仰向けで寝ていたピケの隣で、ノージーが子猫を抱えて笑っている。

 子猫の毛並みは彼の髪色にそっくりだ。まだ赤ちゃんだから目の色は青いが、いずれはピケやノージーのように緑色になるのかもしれない。


 この家へ引っ越してきた日に迷い込んできた子猫は、まるでノージーの子どもの頃みたいだった。

 母猫とはぐれ、おなかを空かせてクッタリとしている姿は、ピケの保護欲を掻き立てる。

 ノージー曰く彼はただの猫で魔獣ではないらしいが、あまりにも似すぎていてピケは放っておけなかった。


 最初は子猫にピケを取られたようでムッとしていたノージーも、子猫が無邪気に「あそんで」と絡んでくるから、次第にかわいがるようになっていった。

 今ではすっかり、家族である。


(猫は愛情深い生き物だから)


 いずれ子どもができたらこんな感じになるのだろうか。

 幸せに満ちた未来しか想像できない。


(……なんて、能天気すぎかしら)


 じゃれ合う一人と一匹を微笑ましく思いながら、ピケはベッドを降りた。




 あれから──ガルニールが捕縛されてから半年がたっていた。

 捕まった当初、彼は取り調べに非協力的だったそうだが、イネスが訪ねると覚悟を決めたのか、滔々とうとうと語り出したのだという。

 すべてのことがつまびらかにされたのち、彼は投獄された。

 本来ならば終身刑のところが有期懲役になったのは、王太子の結婚による恩赦を受けたためだ。

 現在は牢の中で、心静かに過ごしているらしい。


 ガルニールに協力していた者はすべて、金で雇われた者だった。

 その中に一人、やけに肝が据わった少女がいたらしいが──ピケはあの時のメイドだろうと思っている──総司令部は必死になって彼女の行方を探しているらしい。

 どういうわけか、彼女に恋をした魔獣が保護されたようなのだ。

 呼び出されたノージーは真っ青な顔をして帰ってきたが、一体どんな魔獣が少女に恋をしたのだか。

 いつか会えるかしら、とピケは楽しみだったりする。


 雪が溶け、花が咲き、蝶や蜜蜂が飛ぶようになった頃、王都は祝福ムードに包まれた。

 王太子が異国の王女と婚姻を結ぶ。

 政略結婚かと思いきや、どうやらこの冬の間に想いを重ね、仲睦まじいご様子らしい、と人々はうわさした。


 二人の結婚を祝うため、ある者は花を飾り、ある者は道々を掃除し、ある者は訓練に精を出す。

 王太子と異国の姫の結婚式は王城で執り行われ、その後お披露目のためのパレードが行われた。


 沿道に押しかけた民衆は、馬車の中から手を振る仲睦まじげな様子の新婚夫婦に、やはりうわさは本当だったのだと嬉しく思った。

 お針子たちが持てる技術のすべてを注ぎ込んだ純白のウエディングドレスは、幸せそうに微笑む王太子妃の美しさを、さらに引き立てる。そんな彼女に夢中で、手を振ることさえ忘れて魅入っている王太子に、人々は「あらまぁ」と顔を見合わせ、笑い合った。


 ピケとノージーは、彼らの結婚式を見納めに、侍女を辞めた。

 もともと侍女という職はピケにとって重荷だったし、それ以上に彼女がイネスに対して罪の意識を感じてしまい、今までのように接することができなくなってしまったのが原因である。

 イネスはもちろん、ピケを手放そうとはしなかった。

 だが、次第に表情を曇らせていくピケがあまりにもかわいそうで、最終的には月に一度のお茶会に参加することで合意したのである。


 侍女を辞めた彼らを迎えたのは、カフェ・オラヴァの女主人だった。

 歳のせいでそろそろ引退を考えていた彼女は、たまたまカフェで今後について相談していたピケたちの話を聞き、この店を継いでくれないかと持ちかけたのである。


 突然の申し出に、二人は驚いた。

 ノージーは当然のことながら辞退しようとしたのだが、ピケは違ったらしい。

 店の中を見回し、そして窓の外を眺めて──彼女は言った。


「ノージー。私、やってみたい」


 おねだりするみたいな上目遣いに、ノージーがウッと息を詰まらせる。

 人族になってから、彼は以前よりも感情が豊かになった。

 ピケに対する愛情表現ははばかることを知らず、逆にピケからのかわいらしい反撃には初心うぶな青年のような反応を見せる。

 女主人が追撃とばかりに「二人でできるようになるまで責任を持って面倒をみるから」と言えば、ノージーは赤らんだ頰を隠すようにそっぽを向きながら「仕方ないですね」と答えた。




 今日のカフェ・オラヴァは店休日である。

 それでもノージーがピケを朝早くに起こすのは、午後にイネス王太子妃とのお茶会があるためだ。

 お茶会のお菓子はすべて、ピケとノージーが用意している。

 いたずら好きの子猫にはよおく言い聞かせてバスケットに入ってもらい、小さな家の小さなキッチンで二人肩を並べて──実際にはぴっとりと体をくっつけて──相談し合う。


 二人のことは、二人で話し合うこと。

 それは、二人が決めた約束事。

 ノージーもピケも、互いのことを思うあまりに先走ってしまうことがあるから、そうならないための約束である。


シナモンロールコルヴァプースティブルーベリーパイムスティッカピーラッカ。りんごとライ麦パンのケーキは先月出したよね?」


「ええ。では、スプーンクッキールシッカレイヴァットはいかがでしょうか?」


「それにしよう! バターをゆっくり煮立てるとキャラメルの香りが強くなって、キッチンが良い匂いになるもの」


 小さなキッチンがキャラメルの香りでいっぱいになるのを想像して、ピケの顔がふにゃりと緩んだ。

 バターを溶かすための鍋を差し出すついでに、ノージーが掠めるようなキスを落としてくる。


 こんな風にお互いに自然にキスできるようになったのは、一体いつからだっただろう。

 そんなことを考えながら、ピケはそのキスに応えた。

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男嫌いな侍女は女装獣人に溺愛される 森湖春 @koharu_mori

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