第42話 猫の告白、侍女の答え
「説明は以上です」
ノージーはそう言うと、ゆっくりとピケの手を放した。
衝撃の連続すぎて、ピケの頭はグルグルと回っている。
(まさかノージーがガルニール卿を捕まえてくるなんて、想像できるわけがないじゃない)
とはいえ、聞いたあとになってみれば
だって彼は猫だから。
そして彼は、大嫌いなねずみもピケのためを思えばいくらでも狩ってくる。
(ノージーを助けるために、イネス様を裏切る覚悟をしたのに)
なけなしの覚悟が、風船のように萎んでいく。
ノージーを助けるために、イネスを裏切るつもりだった。
なのにピケは、一番安全なところでのうのうと守られていただけ。
情けないと思う反面、もうイネスを裏切らなくて良いのだという安心感が湧いてくる。
(守られるだけなんて嫌だと思ってた。でも……)
守り守られる関係は対等で良いと思っていた。
だけど、守られるということはそれだけ大事にされているということでもある。
ピケは頭を整理するように深く息を吐いた。
いつの間にかノージーが足元にひざまずいていて、褒めてほしそうにこちらを見ている。
髪を切り、黒い軍服を身にまとう彼は、まるで物語に出てくる騎士のようにかっこいい。
こんなに素敵な人を、ピケは見たことがないと思った。
今更ながらにノージーの変わりように気がついて、まぶしさに目を瞬かせる。
「ピケをいじめていた悪いやつは僕が退治してやりました。あとは僕が獣人から人族になればハッピーエンドになると思うのですが……いかがでしょうか?」
ノージーは、はにかむような笑みをピケへ向けてくる。
期待に満ちた目は、疑うことを知らないように見えた。
ピケならばきっとイエスと言ってくれる、と。
無垢な笑みに、ピケの胸がチクチクと痛む。
「いかがって……」
それはこっちが聞きたいことだと、ピケは思った。
だって、どうしろというのか。
ノージーはピケの気持ちを知っているのに獣人のまま。
両思いになれば、獣人は人族になるはずなのに。
(まさか私の気持ちが勘違いで、だからそのままだっていうの?)
ノージーが好きだ。
この先もずっと、一緒に生きていきたいと思っている。
今までずっと一緒で、もう彼なしの人生なんて想像もつかない。
その気持ちに嘘偽りはないのに、勘違いだというのだろうか。
今にも泣きそうにくしゃりと顔を歪めたピケの頰を、ノージーの手が優しく撫ぜる。
あたたかな手のひらに縋るように、ピケは頰を押し当てた。
(この気持ちは、勘違いなんかじゃない)
断言できる。
この気持ちが勘違いだと言うならば、ピケが知りうるすべての好きも勘違いだ。
ちょっと離れただけで不安になって、失ったらと考えるだけで気が狂いそうになるような激情は、勘違いなんかで片付けられるものではない。
絶対に出会いたくないナンバーワンの、子育て中の母熊よりもおそろしい、荒れ狂うような感情。
甘くとろけるような気持ちが恋だと思っていたピケは、思っていたものと違いすぎて、その凶暴さに戸惑いを隠せない。
「ピケは僕と、どうなりたいですか?」
「どう、なりたいか……?」
ノージーの質問に、ピケはぼんやりと答える。
彼はピケへヒントを与えるように、こう言った。
「僕はどんなピケも好きですが……僕の前で安心しきった顔をしているあなたが特に好きです。僕が胸に顔を押し付けていた時、すごくドキドキしてしましたね。僕のことを意識してくれているのだと思うと、すごくすごく嬉しかった。だけど、それではまだ足りないのです」
ドキドキするだけではない、深い安らぎを得るような関係になりたいのだと、ノージーは言った。
ピケもそうなりたいと思った。だけど──、
「私は……ノージーの、やわらかく笑う顔が好き。恥ずかしいけれど、甘やかすみたいに名前を呼んでくれる声が好き。私さえ忘れていたような約束を大切に覚えてくれているところが好き。ぜんぶぜんぶ、大好きよ。でも、どうしたらいいの? だって、ノージーは私の気持ちを知っていて、それなのに獣人の姿のまま。私としてはその姿も大好きだけれど、そうはいかないのでしょう?」
真正面からピケの告白を聞いたノージーは、目を見開き、そして頬を赤らめた。
やがて、彼女の告白を受け入れるようにとろけるような顔でうっとりと見つめる。
「ピケがどうしてもと言うのなら、やぶさかではありませんが……やっぱり同じ種族で一緒に生きていきたいので、人族になりたいです」
「だから、そのためにどうすればいいのかわからな──」
ノージーの顔が視界いっぱいに広がって、ピケは息を飲んだ。
猫同士のあいさつみたいに、ノージーの鼻がピケの鼻に近づく。
熱を帯びた視線が目を閉じてほしいと訴えているような気がして、ピケは胸をドキドキさせながらまぶたを閉じた。
二の腕を掴むノージーの手が、熱い。
唇に触れた吐息も、同じように熱かった。
「そのまま目を閉じていて。ちょっと、怖いかもしれないから」
余裕のない声は、キスのせいだろうか。
珍しく冷静さを欠いているような声音に、ピケは当惑した。
「え」
念のため、とつぶやいたノージーがピケの目を手で覆い隠す。
目を閉じると、耳には風の吹く音が、鼻には森の匂いが、肌には室内とは思えない湿度が感じられた。
ここはカフェの個室なのに、魔の森だと錯覚しそうだ。
どれくらいそうしていたのだろう。
あっという間だったような気もするし、長かったような気もする。
ノージーの手が外れて、ピケはゆっくりと目を開いた。
ピケの目を見るなり、ノージーがギュッと抱きついてくる。
グイグイと体を押し付けるようにしがみついてくるものだから、ピケは必死になって抱き留めた。
「ノージー? 一体、何があったの?」
宥めようと、ピケは肩口に押し付けられていたノージーの頭に手を伸ばす。
柔らかな髪に指を差し込んで撫でると、いつもならばふんわりとした獣耳が場所を空けてくれるはずだった。
「……ない! ねぇ、ちょっと、ノージー! 耳が、耳がないんだけど!」
「いえ、ありますよ、ほら」
ノージーの手が伸びてきて、ピケの手を誘導する。
持っていかれたのは、鼻の下から目尻のやや上あたりの、人族の耳があるところで──、
「み、みみぃっ⁉︎」
慌てふためくピケの動きを封じるように、ノージーは彼女に抱きつく。
「はい、耳です」
「え……ちょっと待って。じゃあ今のノージーは人になっているの?」
「まぁ、そうです」
グイグイと、力強くノージーはピケを抱きしめる。
それはもう、ピケが不可解に思うほどに。
「見せて!」
「嫌です!」
「どうしてよ!」
「だってもしもピケが獣人の僕が好きだったら、今の僕は好きになってもらえないでしょう⁉︎」
あり得ないことを言われて、ピケは「はぁ⁈」と怒ったように叫んだ。
しかし、獣人の姿でもやぶさかではないと言っている以上、ノージーが不安がるのも無理はない。
ピケは呆れたようにため息を吐き、子どもへ言い聞かせるように「あのね」と言った。
「どんなノージーだって好きだと、自信を持って断言するわ。だから安心して見せなさい!」
しがみついているノージーを引き剥がそうと、ピケは腕を突っ張る。
その時、ボソリと声がした。
「その言葉、忘れないでくださいね?」
ささやかれた声は甘く、覚えてはいけない禁断の味がしそうだった。
ピケの手が緩んだ一瞬の隙をついて、ノージーは彼女を抱き上げる。
大好きな人のぬくもりに包まれて、ピケはもう何も言わなくていっか、と思った。
幸せ過ぎて胸がいっぱいで、この気持ちをほんのちょっぴりでも取りこぼしたくないから。
「ピケ、愛しています。絶対に、幸せにしますから」
蕩けるような笑みを浮かべて愛を告げる大好きな人に、ピケは幸せを噛み締める。
もう幸せなのに。
ピケの答えは、甘いキスに溶けていった。
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