とある撃墜王と戦後の空

漆沢刀也

とある撃墜王と戦後の空

 あと、数十秒後には戦闘開始となる。

 操縦桿を柔らかく握り、クロノは浅く静かに息を吐いた。心を落ち着ける。

 雲一つ無い快晴。視界を遮るものは無し。つまり、相手もこちらも隠れる場所は無い。空戦の状況としては最高で、最悪だ。

 もっとも、見る者にとって最高の状況であることは否定しない。飛行場は周囲を埋め尽くした観客で随分と賑わっていた。「チャンピオン。絶好の空戦日和ですね」と言ってきた記者には、曖昧な笑顔しか浮かべられなかったが。


 正直言って、チャンピオンという称号はあまり実感が湧いていない。撃墜王と呼ばれたとしても、同じ事だろう。

 それはきっと、空戦の腕で勝てないと思ったパイロットを知りすぎているせいだ。

 そして、その多くのパイロットは既にこの世にいない。戦火の中で命を落とした。自分が奪った命も含めて。


 出来ることなら彼らともう一度この、命を奪い合わないで済む空で戦いたいものだと思う。そうなると、到底チャンピオンには届かない気もしたが。

 しかし、インタビューにはもう少し上手く受け答え出来るようにした方がいいとも思う。「勝てそうですか?」という問いに対し「分かりません。いつも通りやるだけです。相手の出方を見て、決して諦めずに、心を落ち着けて精一杯戦います」では、華が無いらしい。そう答える度に、記者に苦笑いが漏れているのだから。


「もっとも、どう答えればいいのか、分からないんだがな」

 クロノは呟き、苦笑した。

 高度1500 m。

 1300馬力の銀河エンジンの調子はいい。異音も、リズムの外れた振動も一切無い。プロペラは軽快に回っている。離陸前にも確認したが、空でも各補助翼の動きも意思の通りに動いてくれる。整備員達はこの"翔鷹"を万全の状態に仕上げてくれた。


『赤コーナー。ターニングポイントの通過を確認。高度、問題なし』

 地上から無線が入った。

 クロノは速やかに、上昇しながら左旋回を行う。定石通りだが、少しでも高度を取りたい。

『青コーナー。ターニングポイントの通過を確認。高度、問題なし』

 挑戦者も問題なくターニングポイントを通過した。互いに背面で、どのような機動、作戦を取っているのかは見えていない。


 クロノは旋回しながら顎を上げ、挑戦者がいるであろう空域へと視線を向けた。探すのは濃紺の機体だ。

 逆に、挑戦者もこちらの深紅の機体を探していることだろう。

 もっとも、競技エリアが広すぎても観客からは機影が見えない。敵機が「いる」ことが確実で、尚且つ視界の限界を超えた空域にいないことが確実なこのルールでは、実際の戦場に比べれば探し出すのは容易だが。

 それに、技量が一切不明のパイロットを相手にするのではなく、経歴や主な戦法も、事前に知ることが出来る。


 クロノは90度の変針を終えたところで、挑戦者の姿を見付けた。ターニングポイントから、ほぼ上昇を続けていたようだ。

 やはり上昇力は自分が乗っている機体よりも上だと、クロノは判断した。

 挑戦者も万全の状態に機体を仕上げてきたのだろう。優秀な整備士が整備した機体に、優秀なパイロット。やはり、今回も楽に戦える相手ではなさそうだ。


 挑戦者の上昇が緩やかになった。

 ほぼ点でしか見えないので正確な機動は分からないが、ループへと移行したのだろう。どうやら、挑戦者もこちらの姿を確認したらしい。

 クロノは左旋回と上昇を続けた。挑戦者のいる空域へと機体を向ける。

 ループする挑戦者とは進行方向は完全には正対しない。早撃ち。つまり、一か八かとなるような反航戦は避けたい。


 挑戦者の作戦は、予想が付く。こちらも、ある意味ではセオリー通りだ。高い上昇性能と降下速度を生かし、高高度からのダイブでこちらを仕留めるのだろう。

 クロノは進行方向を挑戦者の正対から僅かに逸らした。その初撃を躱し、旋回して下降から上昇へと移るその瞬間を狙う。

 先手を取られるのは気に入らないが、現状で打てる手がこれくらいしかない。戦いの前から、覚悟はしていたが。


 そして、ここに勝機があると判断したからこそ、相手も挑戦してきたのだろう。

 クロノは、やがてすれ違うであろう挑戦者の機体を俯瞰した。焦点を絞り、視野を狭めるような真似はしない。戦場の経験だ。視野を狭めて、死角から撃墜されては堪らない。

 次の瞬間、クロノは背筋に嫌な寒気を感じた。

 動揺はしない、操縦桿を持つ手に乱れは無い。動揺は被撃墜に繋がるからだ。一呼吸だけ、素早く息を吸って心を落ち着ける。


 挑戦者の更に上空。有り得ない物があった。黒い点。

 クロノは即座に無線へと口を開いた。

「管制、中止を要求する。挑戦者の後方に正体不明機が交戦エリアに侵入している」

『こちら管制、直ちに確認する。中止確定まで、試合は続行せよ』

「……了解」


 不利を誤魔化すための嘘ではないことが確認されるまで、戦いは続けなければならない。そのルールは理解している。どちらか一方が有利、不利な位置となった途端に中止と出来るなら、試合は成り立たない。

 しかしそれを理解した上で、クロノは苛立つものを感じた。

 無線で伝えてから、時間にして数秒しか経過していないだろう。しかし、その一秒一秒が、妙に長く感じる。「まだか、早くしろ」と怒鳴りたくすらある。

 挑戦者の乗る機体の姿が徐々に大きくなってきた。あと十数秒もすれば互いの射程圏に入ることだろう。


 挑戦者の機動に乱れは無い。存在の不確かな妨害者に試合を中止される、あるいはそちらに意識を向けてしまうことより、こちらに弾を当てることに集中しているのだろう。判断に迷いは見られなかった。

 濃紺の機体から注意を逸らすことなく、その上空の機体にも目を向ける。

 クロノは目を見開いた。機体の正体を確認した。

 それは有り得ない機体だった。同時に理解する。どのような機体かはっきりと判別出来ていないうちから、本能が警告を発していたのも当然だ。


「試合は中止だっ! 挑戦者にも伝えろっ! 武装しているぞ」

『なっ!? これは? こ、こちらも確認した。直ちに中止だっ!』

 無線の向こうで、ミルレンシアの言葉で挑戦者にも中止命令が伝えられているのが聞こえた。

 その次の瞬間、濃紺の機体に火線が降り注がれた。機体が発火。続いて白い煙を噴いた。自動消火装置が働いたのだろう。

 重力に導かれるまま、濃紺の機体は地上へと落下していく。


『実弾だとっ!? 逃げろ、チャンピオン』

 実弾なのは、この目で見たから分かっているとクロノは思った。

 この空戦競技では、防弾版と防弾ガラスを破る可能性が低い、極小口径のペイント弾を使用している。深紅と濃紺の機体では、どちらも平原の上空では見付けやすいし、白いペイントが付着すればどちらが撃墜されたのかは明らかだ。

 だが、そんなペイント弾で「本当に撃墜」させるのは無理だ。

 そして、この場から逃げるのも不可能だ。


 目の前にいる、緑の混じったグレーの機体の正体。それは、7年前の戦争末期に登場し、ミルレンシアの首都防衛戦で多大な戦果を上げた機体だ。通称はライトニング・スワロー。非常に高い上昇性能と降下性能、最高速度を誇っている。

 空気抵抗を減らすために翼が小さめで、そして後退している。そのシルエットは特徴的で、当時はクロノもその姿を叩き込まれた。


『チャンピオン。聞いているのかっ!』

 クロノは、静かに息を吸った。目の前の敵機を見付けたときの、心を落ち着けるための息とは少し違う。強いて言うなら、覚悟を決めるための息だ。これが、この世界で吸う最後の空気であるかのように味わう。

 操縦桿を通して機体に神経を張り巡らせるようなイメージを頭の中で思い描いた。


 クロノは、変針はしない。

 逃げられないのだから、戦うことしか出来ない。ここで反転して尻を向ければ、それこそ確実に撃墜される。

 戦時中にライトニング・スワローとやり合ったことは少ない。撃墜出来たことは一度も無い。だが、戦後に明らかになった資料でその射程は知っている。

 照準の真ん中にある一番小さな丸印に収まるか収まらないかという程度まで機影が大きくなったところで、クロノは操縦桿を倒した。右旋回。


 直後、火線が胴下を通り過ぎていった。旋回が早すぎたかと思ったが、結果的には正解だったようだ。

 あの距離から正確に狙いを定めて撃ってくるあたり、ライトニング・スワローに乗っているパイロットも高い腕を持っていると、クロノは判断した。

 旋回で、クロノは減速をしない。旋回の半径は大きくなるが、今これだけスピードが乗っている敵機を相手に、格闘戦へと持ち込むことは出来ない。下手なタイミングで減速すればその分、不利になる相手だ。


「空軍に連絡を取ってくれ」

『それは、もうやっているっ!』

「分かった」

『だが、ここに着くまで15分は掛かる。だから逃げてくれっ! そうだ。脱出だ。脱出しろっ!』


 クロノは返事をしなかった。そんな余裕が無い。だから「それは出来ない相談だ」とクロノは頭の中でだけで言い返した。だが、それでも言わずにはいられないという管制の気持ちも分かる。

 脱出する時間的余裕をくれるかどうかは怪しいものだ。そして、突然にこんな乱入をするテロリストが、落下傘降下中に攻撃をしてこないという保証も無い。


 普通、空戦では長くても数分で決着が付く。だが、だからといって諦めることは出来ない。諦めれば、それが死ぬときだ。援軍を待つのは絶望的だが、勝機は0ではない。勝機が残っているのに諦めたら、戦友に何を言われるか分かったものではない。

 クロノが乗る機体もまた、先の戦争で活躍した機体の技術を受け継いでいる。高い格闘戦の性能を誇った戦闘機、『戦鷹』を改良してきたものだ。


 格闘戦と一撃離脱戦法。得意とする戦法や設計思想は異なるが、戦闘機としての総合的性能で、戦鷹がライトニング・スワローに劣るとは、クロノには思えない。

 操縦桿を引いて旋回を続けたまま、クロノはライトニング・スワローから視線を離さない。

 ライトニング・スワローは左旋回をした後、再び上昇へと転じた。

 クロノも旋回を止めた。その後ろを追いかけ、上昇する。上昇力で劣るだろうとはいえ、それでも高度の差は小さくしておきたい。


「流石に、速い」

 敵機の下には辿り着いたが、既に射程距離の外にいた。そこから、更に機影は遠のいていく。エンジンは全開にしているが、追いつくことは出来ない。

 その機影がはっきりとは視認出来ないほどの距離になっても、ライトニング・スワローは上昇を止めなかった。

 どこまで上がる気だ? そんな疑念が脳裏によぎったところで、ライトニング・スワローが照準器から大きく上に外れていく。ただの上昇からループへと移行した。


 クロノは反射的に目を細めた。

 こちらからライトニング・スワローが陽光の中へと移動したため、眩しくてよく見えない。

 それでも、クロノはライトニング・スワローから目を離さない。

 違和感を覚えた。

 ライトニング・スワローが太陽から出てこない。それどころか、その姿は大きくなっている気がする。近付いている? だが、それは有り得ないはずだ。


 何かを仕掛けている?

 稲妻のような閃きが、クロノの脳裏を駆け巡る。

 ライトニング・スワローの機影が、真逆にひっくり返った。

「そう来るかっ!」

 十分に距離は取った。そういう事だろう。


 失速反転。

 ライトニング・スワローを追う形ではない。再び正対する形へと戻された。

 そんな機動が、あまりにもあっさりと、魅入られるほどに滑らかに行われた。確かに、この機動は初歩的な訓練で習得するものではある。だが、こうも速い機動にはならない。

 クロノは思い出す。ライトニング・スワローには、一つの仕掛けがあった。胴体の両横に取り付けられたエアブレーキ。これで一気に速度を落とすことが出来る。


 タイミングも、完璧に計算されていた。クロノは反転してきたそこで、射程圏に肉薄していると機影の大きさから判断した。大幅に速度を失う為、空戦で下手に使うのは不利な機動だが、それを大胆かつ有効に使ってきた。その腕に、クロノは戦慄を覚えた。

 反航戦で、勝ち目は無い。元々、撃墜という真似が不可能なクロノにはその戦いはリスクしか無い。


 クロノはとっさに操縦桿を引き、横に倒した。

 視界が横転する。

 再び、火線が前方から放たれた。今度は風防の上を掠めていく。バレルロールの機動に沿って、火線が機体を追った。

 時間が縮むような錯覚を覚える。操縦の一つ一つをしくじれば、即座に撃墜されることだろう。


 火線の流れ。それに全神経を集中して慎重に見定め、そして避けていく。

 それが、時間にして数秒。

 クロノはもう一度、ライトニング・スワローと交錯した。そこで、水平飛行へと移行する。


「はぁっ、はぁっ!」

 冷たい汗が背中から吹き出す。

 上昇、下降、そして水平。いずれも最大速度で劣っている以上、ライトニング・スワローの背後を捉え続けることは不可能だ。


 では、これからどうする? 上昇は? 無理だ。速度で負けているため、下から突き上げられて撃墜される。下降は? それも同じ話だ、上から覆い被されて撃墜される。

 水平に旋回は? これも好手とは言い難い。背後は取られないだろうが、同高度で戦ってくるはずが無い。ダイブと突き上げの格好の的だ。クロノは、ライトニング・スワローの異名の意味をよく理解した。あの機体はまさしく、電光石火で高空から翔け下り獲物を狩る燕だ。


 なら、残る選択肢は一つしか無い。

 高空、高速という相手の得意なフィールドで戦う限り、勝ち目が無い。そして、その戦いに引き摺り込まれたこの状況は、戦術のミスだったとしか言えない。

 クロノは、右後方で上昇に転じていくライトニング・スワローの姿を確認した。


 続いて高度と速度を確認。そして操縦桿を倒し機体を横転。背面飛行となった状態で操縦桿を引いた。地上へと変針する。

 真っ逆さまに落ちていく機体。体が操縦席に押しつけられる。

 クロノは背後を振り返った。

 この翔鷹に勝機が残るとすれば、それは低空下での格闘戦しか有り得ない。


「問題は、そこに持ち込めるかだが」

 そう呟いた。だが当然、そんなことは敵機も承知しているだろう。

「くっ! そうか、乗ってくるのか。この誘いに」

 それは歓迎される自体であったが、同時にあまり喜ばしい話でもない。


 これは、賭けだ。

 降下速度も、おそらくは敵の方が勝っていることだろう。そんな相手に、背後を取られて無事でいられる確率は高くない。せいぜい、あの高度から更に上昇するか、あるいはあの高度で戦い続けるよりは最終的に生き残れる可能性が高そうだという程度だ。

 逆に、こういうチャンスを与えてしまう以上、撃墜されるかどうかの結果が出るまでの時間は、この選択の方が少ない。


 こちらが低空まで降りたところで、そこからダイブしてくるという可能性も考えたが、ライトニング・スワローのパイロットはその選択を捨てた。

 こちらの旋回性能と操縦技術を認識していれば、その判断は妥当と呼べるのかも知れない。ライトニング・スワローの真下、それも超低空に居座った状態の自機をダイブして仕留めようとしても、回避された上、進入角度が深すぎて、地面と激突する危険性が高い。


 その可能性も期待していたが、それは無かった。

 地面に激突するまで、真っ直ぐに降下すれば高度と速度で概算しておよそ30秒。

 クロノは一度、地面へと視線を移した。目測でも高度を確認。そして、首を回して再び後方へと視線を移す。


 すれ違いざまのこちらの降下に気付くまでのタイムラグ、そして旋回性能の差で、ライトニング・スワローとは若干の差が開いていた。射程距離外だった。

 しかし、その程度の差はあまり大した意味は無かったようだ。

 追ってくるライトニング・スワローの機影が大きくなる。

 降下を初めて15秒弱。火線が背後から降ってきた。


「ぐっ、おぉっ!」

 欲を言えば、追い付かれるまでもう少し降下して起きたかったが、無理だったようだ。

 乾いた金属音と衝撃が機体に伝わった。飛行にはまだ問題ないとクロノは判断。長距離射程から届く弾など、所詮は小口径だろうし、空気抵抗で減衰もしている。1、2発程度の被弾ならダメージにならない。

 クロノは操縦桿を右に倒した。機種を右にずらし、ローリング。回避運動を開始。


“これ以上当てられるものなら、当ててみろっ!”


 降り注ぐ火線の中で、クロノは頭の中で叫んだ。

 ライトニング・スワローの機首に集中し、自機との軸線を意識する。軸線さえ重ならなければ、当たりはしない。

 運動の機敏性なら、自機の方が上だ。ライトニング・スワローが射線を調整し終えるよりも速く動ける。クロノはそう信じた。機体の操作をミスして、調整に追い付かれさえしなければ、機体性能差から撃墜されることは無い。


 急速にライトニング・スワローとの相対距離が縮まった。機影が大きくなる。回避運動をすることで、降下速度は落ちていくからだ。

 絶え間なく降り注ぐ火線。

 常に死が掠めている時間の中で、クロノはカウントを開始した。


“10、9、8、7、6”


 心臓が、痛い。パイロットとしてではなく、生物としての本能が危険を訴えてくる。

 射撃される位置が近いということは、被弾した時のダメージも大きくなるということだ。もはや遠距離から数発当たった程度で済む距離では無い。

 生物としての本能に逆らい、クロノはスロットルを絞った。フラップも全開。空気抵抗を最大にして減速する。


 1秒にも満たないような反応で、即座にライトニング・スワローも減速を開始した。その方が、攻撃出来る時間が長くなる。

 だが、翔鷹の方が明らかに早く速度を落としていった。見る間に、ライトニング・スワローが後方に迫る。射撃に集中。エア・ブレーキは動かない。

 それは、被弾すれば即撃墜される距離だ。

 クロノは、そこで初めて自分を狙うパイロットの顔を見た。


“3、2、1”


 火線を躱してカウントを続けながら、クロノは「俺は、この顔を一生忘れることは無い」と思った。パイロットの顔が、脳裏に焼き付いていくのを感じた。


“ゼロっ!”


 クロノはロールを止め、機首を大きく引き起こした。視線を正面へと向ける。

 既に間近に迫った地上。操縦桿を力の限り引く。横目で、ライトニング・スワローが通り過ぎたのを確認。

 眼下で、ライトニング・スワローも機首上げを開始した。地面に激突はしないだろう。


 しかし、このチャンスをクロノは見逃さない。

 命を削る思いで、低空、低速へと戦いのフィールドを持ち込んだのだ。見逃せるわけが無い。

 操縦桿を倒して左向きにロール。背面となったところで、捻り込むように上部からライトニング・スワローに照準を向ける。


 照準器の一番大きな枠に、敵機が収まろうとする寸前で、射撃を開始。

 機関銃の音が鳴り響いた。ライトニング。スワローが白く染まっていく。クロノは重点的に風防を狙った。撃墜は出来なくても、せめて視界は奪っておきたい。そうすれば、今後は格段に逃げやすくなる。


 時間にして、二秒程度の攻撃時間。クロノはライトニング・スワローの側面を掠めるように交錯した。

 そして、再び後方に尾こうと左旋回を開始した。愛機は鋭く、その意思に応えてくれた。


 だが「どういうことだ?」とクロノは顔をしかめた。

 ライトニング・スワローの様子がおかしい。クロノはそう感じた。

 逃げるでも攻撃に転じるでもない。ライトニング・スワローは速度も上げる事無く、ただ水平に、飛行する。


 怪訝に思いながら、クロノは速度を上げた。若干上昇しながら、後方から覆い被さるようにライトニング・スワローへと近付いた。

 ライトニング・スワローの様子を確認する。


 真っ白に染まった風防。視界は最悪だろう。だが、飛べないということはあるまい。あれほどの腕の持ち主だ、それこそ無視界で計器だけが頼りとなっても、飛行は続けられるはずだ。

 白いペイントの隙間から、パイロットが何かを取り出すのが見えた。

 それは、拳銃だった。


「おい」

 呆気にとられるようにクロノが呟いたその直後、ライトニング・スワローの風防の中で血しぶきが舞った。

 ライトニング・スワローは飛び続ける。それをクロノは追わなかった。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 事件から数日が過ぎた。

 クロノは記者達に囲まれ、マイクとライトを向けられていた。

 撃墜された挑戦者は無事だった。戦いの最中では確認出来なかったが、機体から脱出出来たそうだ。それを聞いたとき、クロノは安堵した。再戦出来る日を楽しみにしていると記者に伝えた。


 あの日、突如として襲ってきたパイロットの身元と経歴、そして協力者も既に明らかになった。捜査に時間は掛からなかった。何しろ、事件直後に協力者が警察に通報してきたのだから。彼らは空戦競技用の戦闘機だと騙されて、当時のライトニング・スワローに限りなく近い飛行機を作り、そして当日に脅されて実弾を装填した。

 犯人は、ミルレンシア首都防空隊の元パイロットだった。戦争末期に負傷し、それを理由に除隊させられていた。あの機動が出来るくらいだ。負傷は戦争が終わった事による軍縮で、辞めさせるための適当な理由だろうとクロノは推測する。


 彼の戦後は、恵まれた境遇の生活を送っていたとは言えなかった。空を飛ぶことだけに一生を費やし、それ以外に生き方を知らなかった男は、結局はどこにも長く勤めることは出来ず、一生を保証するとまでは言い難い財産を削りながら、居場所を転々としていたらしい。先の長くない病を患っていたという噂もあった。金の残りはまだ有ったが、命が残っていなかった。


 一言で言えば、犯行の動機は自己満足の為の自殺だろう。人生に絶望し、最後に己のすべてを懸けた空をもう一度味わってみたかったのかも知れない。それは警察やマスコミが流した憶測だが、クロノも同様の思いだった。何故ならあの最後で、男は笑っていた。その笑顔の意味をクロノはそう解釈していた。


「チャンピオン。犯人について、何かあれば一言お願いします」

 記者からの質問に、クロノはしばし口をつぐんだ。

「何と言うか、私は残念だと思っています」

「と、言いますと?」

 クロノは頭を掻いた。正直、あまりよく考えていない。どう言えばいいのか、よく分からないから、思ったことをそのまま言おうと思っただけだった。


「彼は間違いなく、一流の腕を持ったパイロットでした。出来ることなら、どうせ戦うのなら平和な空の上で、試合という形で戦ってみたかった。折角、戦争が終わってようやく、こういう空で戦えるような時代となったというのに、生き延びてきたのに、そういう境遇、そして人生の結末を迎えることになった。それが、残念でなりません」


 記者達の間に、どよめきが湧いた。

「あの、チャンピオンは殺されかけたのですよ? ですが、それでもその? 『残念』なのでしょうか?」


 クロノは苦笑した。そして、先程のどよめきの理由を理解した。

「ええまあ。戦っているときは当然、恐かったです。それに、どうしてこんな時代になって、こんな真似をするんだという怒りもありました。ですが――」

「ですが?」


「自分が殺したパイロットもいます。自分を殺しかけたパイロットも大勢います。それを今、憎んでも仕方ないでしょう? それが、戦争が終わるということなんだと、私は思っています」

 うん、とクロノは頷いた。口にしてみると自分の思いが少しだけ、見えた気がした。


「あの日彼は、戦場の空を飛ぶパイロットとして、私に挑んできた。実弾を持ち込んだのも、撃墜後に自決したのも、つまりはそういう事なのでしょう。彼は、戦場にいた。そして、今の私は戦後のパイロットだ。憎しみを持ち込みたくはないし、そんな感情ももはや湧きません。それは勿論、戦時中は戦友を殺され怒り、悲しみ、憎みもしましたが。つまりは、そういうことです」

 記者達に再びどよめきが湧いた。だが、今度はそこらで頷く姿が見られた。


「だから、残念です。彼は、人生の最後を戦後の空ではなく、戦場の空を選んだ。生き方の最後で、その方が満足出来ると思ってしまうとは、彼の戦後がどうしてそうなってしまったのかとね」

 クロノは頭を振った。


 いや、全く分からないわけではない。ミルレンシアの戦争の傷跡は深い。特に、元戦闘機パイロットの就職口は狭いという話だ。自分達のように、空戦競技のパイロットとして活躍出来るものは、一握りだけだろう。

 クロノは、一つ決意した。


 やり方はまだ見えない。だからこの場では発表しない。けれども、ミルレンシアの復興のため、そして戦後を迎えたパイロット達のために、何か力になろうと。

 それにはきっと、チャンピオンの称号が力を発揮することだろう。


 クロノは、拳を握った。今初めて、チャンピオンであることが、熱い高揚感を満たしてくるのを覚えた。

 戦争とは違う戦いが、これから始まる。


 ―END―

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