後編
「準備はいいですか、Kさん」
名もない雑居ビルの三階の部屋。ガラスで仕切られた向こう側にK氏は全裸で横たわっていた。
「やっぱり昨日の設定、ちょっと恥ずかしいかもしれません」
K氏は頭上にある小さなモニタを見ながらそう呟いた。他の人たちと同様に、自分の異世界での生活が画面に映し出され、それを我孫子たちに見られて笑われたり、軽蔑の目で見られたりするのではないかと心配していたのだった。
「はっはっは、心配いりませんよ。だってこちらの世界の声は届くことはないし、もう戻ってくることもないのですから気にする必要はありません」我孫子の無慈悲な笑い声が部屋に響く。
寝ている台はプラスティック製で少しひんやりとしていたが、「それも直に気にならなくなりますよ」と我孫子が笑顔で答えた。
服を脱ぐ前に飲まされた薬が効いてきたようだ……だんだんと眠気が襲ってきて……背中やお尻の冷たさもいつの間にか感じなくなってきて……やがてK氏の視界は完全に闇に閉ざされた。
「それでは、いってらっしゃい」――最後の最後でそんな声が聞こえ、頭に何か突き刺されたような感覚が――
ここでK氏の意識は完全に失われた。
♢♡♤♧
「……ここは……?」
俺が目を覚ますと、そこはふかふかのベッドの上だった。レンガでできた壁に窓から差し込む明るい光、明らかに現代の日本にはない家の作り。そして不安そうに俺を見つめる可愛らしい女の子。
「大丈夫? うなされてたよ、お兄ちゃん」
よし、異世界転生大成功だ! あの我孫子という一見怪しそうなやつが、確かに俺を異世界へと連れていってくれたのだ! 今俺に話しかけてくれたのはジョディという妹だ。実は本当の妹ではなく、将来的に俺の妻になるように設定されている。っていうか俺が設定した。
「ああ、大丈夫だ。心配させてすまなかったな、ジョディ」
俺はそう言ってジョディの頭を軽く撫でた。
笑みを浮かべて嬉しそうにするジョディはまだ16歳の設定だったはず。まだまだ発育途中でこれから俺の理想とする体つきへと成長していってくれることだろう、楽しみだ。
一方俺は……と、自分の姿を部屋の隅に置いてある鏡で確認してみる。髪の毛は金髪のフサフサ、イケメン。筋肉質な体つきで腹筋はもちろん六つに割れている。よし、18歳の最強剣士という設定も忠実に守ってくれたようだ。
「お兄ちゃん、今日は18歳の誕生日。王様からスキルをもらう日だよ!」
そうだった。そういう設定にしていたのを忘れていた。今から俺は街の中心にあるお城へ行き、王様からスキルを付与されるのだ。確か……なんだっけな。タブレットで設定した項目が多すぎて覚えていない。
まあいいか、行って王様と話をすれば思い出せるだろう。
♢♡♤♧
「どうですか、我孫子さん。K氏の様子は」
三階から降りてきた我孫子に受付の女の子が声をかける。
「まあ、いつも通り。順調だよ。あとは……彼の身辺整理だね。一ヶ月ほどかかるかもね」
「えぇ、長いですねぇ。私、あの人置いておきたくないです……なんか気持ち悪い。見るのも嫌」
「そんなこと言わないの。じきに体なんてなくなるんだからさ」
「そうですけどぉ……」
我孫子はそう言うと奥の自室に戻り何やらゴソゴソしたかと思うと、脇にタブレットを抱えて戻ってきた。
「さて、じゃあ僕は四階のメンテナンスをしてくるから。十二時になったら食事を持ってきてよ」
「はーい」
受付の女の子がいってらっしゃいと手を振ると、我孫子は軽く右手を上げて返事をした。
♢♡♤♧
俺が異世界に来てもう直ぐ一ヶ月になろうとしている。幸いこの世界の時間経過は現実世界にいた頃と変わりはないようだ。っていうか、俺がそういう風に設定した……はずだ。
今は相棒の巨乳戦士イボンヌとロリ魔法使いキャシーの三人でダンジョンに潜っている。ちょうど今、最下層にいるゴブリンキングを倒したところだ。二人ともかなり際どい格好をしているが防御力はかなり高い。
かくいう俺も、冒険者らしらぬラフな格好だが、防御力は二人をはるかに上回っている。もちろん攻撃力も相当高いことは言うまでもない。
「ご主人様ぁ、早くキャシーの頭をなでなでしてくださいましぃ!」
「カイル見てくれ! なかなかの戦利品だ! こりゃ今晩はいい宿に泊まれそうだぜ!」
カイルっていうのはこの世界での俺の名前だ。最初は慣れなかったが、今では現実世界の名前を思い出せなくなるくらい定着した。なんていうか、もうこの世界は最高だ。
「よくやったな、二人とも。お前たちは俺の最高のパートナーだ!」
こんな台詞、前の世界じゃ言うことなんてできなかった。
しかも可愛い女の子たちの頭をポンと撫でたり、肩を抱いたりしながら……昔の世界ならセクハラで訴えられているところだが、今の俺はカイル。最強のイケメン剣士カイルなのだ。
「へへへぇ! ご主人になでなでしてもらったぁ。なんだか体がポカポカしてきたよぉ」
「……今日の夜も私をこのように抱きしめてくれないか……」
「ああ、もちろんだ!」
二人の女性冒険者は顔を赤く染めながら俺に体を寄せてくる。ったくもう、ここはまだダンジョンの最下層だっつーの!
ふはははは、異世界最高! 俺はこの世界でずっと生きていくのだ!
♢♡♤♧
「うげ、気持ちわる」
モニタをチラリと見た受付の女の子が軽蔑の眼差しでそう言った。
まあまあ、と我孫子がそれをなだめつつも、彼も同じような表情でK氏を見つめていた。
「残念だけど、彼はここまでだね」
「そうですね、身辺整理だけでも相当な時間と費用がかかりましたよ。ご丁寧に借金までこさえていて……」
「臓器を売っても赤字かもしれないね。黒字だったらもう少し遊ばせてあげても良かったけど」
「誰がこんな奴の臓器を欲しがるっていうんですか」
「ふふっ、世の中にはいろんな人がいるのさ」
我孫子はそう言ってK氏の頭に突き刺さっている電極をグイッと引き抜いた。
モニタには今まさに夜の営みを行わんとするカイル……もといK氏の姿が映っていたが、電極が引き抜かれたと同時に真っ暗になった。
電極の先についた血を雑巾で綺麗に拭き取ると、我孫子はK氏だったものを布でグルグル巻きにし始めた。「ほら、君も手伝ってよ。これが一番大変なんだから」
「えー、私その人触りたくないんですもの」
これも仕事なんだよと我孫子に諭され、しぶしぶ女の子も作業を手伝う。やがてK氏の全身が布で覆われると、我孫子は台の側面についているボタンを押した。
するとK氏の乗せられていた台が真ん中から左右に分かれて下に開き、布で覆われたそれはそのまま階下へと落ちていった。暗い穴から、冷却ファンのような音とともにひんやり冷たい空気が流れてきた。おそらく真下は冷凍庫なのだろう。
「じゃ、ここに次の人を案内しようね」
我孫子が再びボタンを押すと、開かれていた台が元に戻った。
「我孫子さん、次は二人組なんですよ。台をあと一つ開けないと……どうしましょう」
女の子が台に置いていたファイルを見ながら困ったように尋ねる。
「ああ、そうだった。しかも二人同時に同じ世界で暮らしたいという注文だったね……ということは隣同士じゃないといけないから……Aさんか」
「Aさんは優良な顧客ですよ。若いし、臓器も高くで売れると思います」
「そうだね、じゃあAさんは四階に移すとしようか。四階……空きはあったかな。ちょっと見てくるよ」
そう言い残すと、我孫子は慌てた様子で、しかし台やモニターにぶつからないように気を付けながら部屋を出ていった。
「もう、そういうのもタブレットで管理すればいいのに!」
女の子は我孫子が部屋を出ていってから愚痴をこぼした。
ふと彼女がAさんの頭上にあるモニタを見ると、ちょうど彼女がアーノルド王子と結ばれている場面だった。「あら、幸せそうで何より」という言葉とは裏腹に、女の子はAさんを軽蔑するような目で見ていた。
我孫子は四階まで階段を駆け上がると、扉の前にある電子キーに暗証番号を入力した。次に扉に右手を軽く押し当てる。指紋認証キーも解除すると、ゆっくりと扉が開かれた。
そこには、小さなモニタと、培養液が満たされた三十センチ四方のガラスケースが所狭しと並べられており、その一つ一つに電極が刺さった脳だけが入っていた。
――完――
異世界転生研究所 まめいえ @mameie_clock
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