第5話

てるは神棚を見上げていました。

「いくらなんでもこの私が幼子をかくまうなんざ、できっこないよ!」

 それまで微動だにせず座り続けていたてるでしたが、自分を確認するかのようにそうつぶやきました。

「姉さん!」 

 みねの声掛けにやっと振り向いたてるは、「おみね!」

「姉さん、どうかしましたか? みんな心配しています」

「てる姉さん!」

「姉さん!」

 てるの様子が気になり、部屋の前を離れられずに居た店の女たちは、土間から次々と声を掛けました。

「みんなそこに居るのかい?」

 みねが障子を開けると、店の女たちが顔を揃えておりました。

「てる姉さん、何か心配事でも?」

「みんな悪かったよ……みんなに話す前にまず、自分の気持ちを確認したくてね。悪かったねえ、心配させたんだねえ」

 女たちは顔を見合わせるだけで、言葉を発する者はおりませんでした。

「みんな中へ入っておくれ」

 てるは井澤屋からの内々の頼まれ事を、皆に話して聞かせました。みんなの協力がなければ、命を狙われている幼子を、誰に知られることなくかくまうなど、できようはずがないこと。そしてそれは自分たち自身にも危険が及ぶこと。

「井澤屋さんにお断りすれば、事は済むのだけれど、小さなおさよちゃんが命を狙われていると聞けば、ほっとけやしない。実はまだ自分の考えも決めかねているんだよ」

「姉さん! 私たちはてる姉さんに助けられた身です。姉さんが命を賭けるなら、私たちだって一緒です」

「なんだいなんだいみんな! いつの間にこんな肝っ玉の据わったいい女になったんだい?」

 てるは目に涙をいっぱい溜めて、一人一人の顔を見ました。

 皆の笑顔の裏に確かな決意を見てとったてるは、横に座るおみねに大きく頷いて見せました。   



そして次の日。

いつもと何ら変わらない朝、今日も荷が運ばれ、女たちの大きな声が飛び交い、人足たちの威勢のいい声がそれに重なった頃、どさくさに紛れて、井澤屋の孫娘おさよが、てるの店の奥部屋にかくまわれました。

 井澤屋によれば、お役人たちが人足に紛れて店に入り込み、襲撃に備えていると言います。てるも用心棒を集められるだけ集め、入口と背戸口それぞれの一番近い部屋に配置しました。

 てるの役目は井澤屋の孫娘おさよを強盗から守りきることだけです。

 その夜から、てるはおさよと同じ布団で眠りました。泣き声をさせまいと、愚図り始めると皆で機嫌をとり、声が外へ漏れないように気を回しました。

 隣に眠るおさよの寝顔を見ていると、江戸への道中知り合った、大八車の女おようの温かさが思い出されました。今の自分と同じような気持ちで抱え眠ってくれたに違いないと、思えたのでした。

 十歳で村を捨てなければならなかった悲しさ、頼る人のいない心細さ。

 てるを抱えて眠ってくれた、おようの優しさが昨日のことのように思い出されたのでした。

 穏やかに眠るおさよの寝顔を、てるはいつまでも見つめていました。

 


 そして次の日の昼九ッ。

「こちらのご主人に会いたいのだが」

 店先に現れたのは見知らぬ男三人でした。身なりは良く、商人のように見受けられましたが、店の女たちは一斉に身構えると、後ろ手に箒を持ちました。その後ろから大柄の人足たちが女たちの前にしゃしゃり出ると、仁王立ちをして威圧感を感じさせました。更にその回りを、人足に成り済ました役人たちが固めておりました。

「何か?」

 店にやって来た男三人は、あまりの異様な出迎えに、よろけるように後ろに下がると、怯えた表情を隠すことなく、

「あ、あの」

「どちら様でしょう?」

 口火を切ったのはつうでした。

「はあ」

 やって来た男の一人が手を震わせながら、何やら包み物を差し出しました。

 震える手には手みやげらしき物が握られておりました。

「突然申し訳ない」

 一番年配の恰幅の良い男が、落ち着いた物言いで、口を挟みました。

「私ども乾物を商いしております住田屋と申す者。この度五軒先に店を構えましたので、ご挨拶に参りました」

 奥の部屋でさよを抱え、様子を伺っていたてるは、みねに目配せをし、店先へと向かわせました。

「これはこれは、住田屋さんとおっしゃいましたか、失礼をいたしました。あいにく当店主人は留守を致しております。戻りましたらこちらから挨拶に伺いたいと存じますが」

 みねの言葉を遮るように、男たちは手をかざし、

「よろしくお伝え下さればそれだけで」

 と言うや、恰幅のいい男を先頭に、そそくさと帰って行きました。

「あー、緊張したー」

 つうの言葉に、皆も力が抜け安堵の溜息をつきました。

 みねは笑いながら留三に言いました。

「熊さんも源さんも、今日は仕事じゃないのに」

「おみねちゃん、こっちが聞きたいよ! 見たことない目の鋭い人足がいっぱい居るし、いつもと全く違うじゃねえか! 不思議に思わない方がどうかしてるぜ。何年ここへ出入りしてると思ってるんだ」

 人足に成りすましていた役人たちは、決まり悪そうに目を逸らせました。

「みんなごめんよ」

 突然のてるの声に皆振り向きました。

「事情があって言うに言えないんだよ」

 奥からてるが顔を出しました。

「おてるさん居たのかい。言えねえなら聞かねえけどよ、俺たちにも手伝わせてくれよ。大変なことになってるんだろ? 力だけはあるからよ。なあ、みんな!」

「そうだそうだ。ここは俺たちの家みたいなもんだからな。家を守るのは男の仕事だしな」

 おさよを預かって、まだ二日と経たないのに、この騒ぎなのでした。

「握飯作って来まーす」

 つうの言葉で皆の顔に笑顔が戻りました。

「おつうちゃん、味噌塗って焼いとくれ!」

「はーい」

 店に活気が戻りました。とは言え、女たちの緊張感は決して途切れることなく、その眼差しは鋭さをも感じさせました。

 人一倍責任感が強いおみねは、店の外をぐるりと見回し、背戸口の錠を確認すると、木箱を幾重にも積み重ね、通路を狭くし押し込みに備えました。



 緊張が続く中、突然井澤屋の主人が息子夫婦を伴って、てるの店にやってきたのは、それから二日後のことでした。

 なんと強盗騒ぎは、解決を見たというのでした。

 解決したといいながらも、主人の顔は晴々としておらず、

「まったく情けない……」

 そう言い背中を丸め、項垂れるのでした。

 安堵したのは勿論でしたが腑に落ちず、てるは言葉に困っておりました。

「こちらの店とは大違い。今回のことは全て私の不徳のいたすところでありました」

 聞けば今回の事件は井澤屋の奉公人二人による犯行であり、日々の不満が原因であったらしいのです。

「お役人さまに聞きました。こちらの店は、おてるさんを中心に奉公人全員が一つにまとまっていると。それに引き換え私は傲慢だったやもしれません。昔からの主従関係に固執し、奉公人の気持ちなど考えたこともなかった」

 井澤屋の主人は手ぬぐいで顔を拭い、言葉を続けました。

「しかしこんな私と違い、息子は奉公人の声に耳を傾けられる。息子の時代になったのだと思い知らされました」

 井澤屋の落胆振りは相当なもので、今回の経緯を聞くことは、はばかられました。

 後ろに控えていた息子夫婦も、頭を下げ続けており、事の辛さが伺えたてるは、

「みなさまもご無事のご様子でようございました。私どももほんの数日とはいえ、おさよちゃんと過ごせて楽しゅうございました」

 てるの言葉を聞いた井澤屋は深く頭を下げ直しました。 

 そしてその日の内に、おさよは父親に抱かれ、井澤屋へと帰って行きました。

 一家を見送ったてるは、一つ息を深く吸い店の中へ小走りで入ると、

「みんな、ご苦労さんだったね。みんなのおかげで無事に終えることができた。後でみんなで美味しい物食べよう!」

「姉さん賛成!」

 誰が叫んだのか、どっと笑いが起き、ここ数日間で一番の笑顔が見られました。

「だけどてる姉さん、おさよちゃんが居なくなって、何だか寂しくなっちゃいました」

 菊がつまらなそうな顔をしたのを見たおみねは、

「親と一緒に暮らすのが一番!」

 それはおみねの心からの言葉でしたが、ここに居る女たち誰一人として、叶えられなかったことでもありました。家族という言葉には、最も縁遠い女たちばかりでした。

 涙目になる者もいました。唇を震わせる者もいました。

「これでいいんだよ。そうだろ、みんな!」

 おさよと接したことで、てるは自分の中に母性に似た感情が湧いたことに気付いていました。ほんの数日とはいえ、母親の真似事ができたことを、嬉しいとさえ思っていました。

「ところでてる姉さん、『お天とさんのあるところ』ってどもいうことですか?」

 お菊は不思議そうに聞きました。

「ああ、日のあたる場所ってこと。子どもの頃の私の口癖なのさ。だけどお菊、そんなことよく知ってたねえ」

「いやだ姉さん、おさよちゃんを預かるとき、神棚の前で姉さん言ってましたよ」

 人身御供を装った父親による口減らし。

 てるは、あの日以来二十八年間、この口癖を口にすることは一度もありませんでした。しかしそれを口にしたてるの心情にも、少しずつ変化が起きていました。



 おさよが井澤屋へ戻って数日たったある日、またあの腰の曲がった年老いた男が、店の前で足を止めたのでした。

「何度見ても立派な店じゃのう」

 つぶやきながら看板を見上げる男を見たてるは、慌てて店先へと走り出ました。

「ちょいと、し、仕事をお探しかい?」

「ああ、いや……」

「仕事ならあるよ。中へお入りよ」

「いいや、先を急いでおるで。あの雲がやってくる前に、早く行かんと」

 てるは店先に出ると、年老いた男が見上げた西の空を仰ぎました。確かにひどい雨を降らせるに違いない真っ黒い雲が、西の空を覆っています。

「そうかい、じゃあこれを持ってお行きよ」

 てるは戸口に掛けてあった笠を差し出しました。

「こりゃ上等な笠じゃ! わしにくれるんかの?」

「いいともさ。持ってお行きよ。あの雲じゃ相当ひどい雨がやってくる。ああそれと……これも持ってお行きよ」

 そう言って竹の皮に包まれた握飯を手渡しました。

「なんで見も知らんわしにこんなに親切にしてくれるんかの?」

「人足用の握飯の残りなのさ。遠慮は要らないよ。それと私が漬けた沢庵だ」

 笠と握飯を貰った年老いた男は、深く頭を下げるとまた歩幅狭く立ち去って行きました。暫くの間、男を見送っていたてるでしたが、視線を地面に落とすとゆっくり店の中に入り、戸口を振り返りました。

 そこには、端っこがぼさぼさに解けたあの縄が引っ掛けてありました。感慨深くそれを見つめていたてるでしたが、直に何事も無かったかのように手を一つ叩き、

「おつう! 手が空いたときでいいから、おこうさんのところへ薬を届けておくれ」

「はい姉さん、今すぐ行って来ます」

「たのんだよ」

 てるは思い出したようにもう一つ手を叩くと、

「おみよ! 熊さんがこの前連れて来た人、名前何て言ったっけねえ?」

「つねさんですか?」

「ああそうそう、つねさんだ。今度顔を見たら褒めといておくれ。仕事が丁寧でたいそう役に立ったらしいからさ」

「そうですか! 必ず言っておきます」

 気を紛らわせようと、必死で話しながらも感情が湧き上がり、堪えた涙声は、真一文字に結んだてるの口から漏れて出ました。



一方、年老いた男は、町はずれまで来ておりました。

 男は川っ淵に腰を下ろし、てるから持たされた笠の紐を首に巻き付けると、竹の皮の包みを開き握飯を一口頬張りました。

 続いて沢庵を口に放り込み、一口二口噛み込むと、男はそのまま唇を震わせ、静かに一筋の涙を流しました。

 その後しゃくるように肩を震わせたかと思うと、また沢庵を噛み込みました。

 男は先立った女房が漬けた沢庵の味を、今更のように思い出しておりました。頬張っている沢庵のその味は、寸分違わないその味だったのです。

 男はてるの口元のほくろを思い出すと、涙で顔をくしゃくしゃにしながら、握飯と沢庵をがむしゃらに頬張りました。

 相変わらず西の空は黒い雲で覆われております。いつ雨粒が落っこちてきても不思議ではない空でした。

 辺りはしんと静まり返り、時折強く吹く風に道端の草が右に左に揺れる中、川っ淵から男の姿は消えておりました。

 そしてその後、てるが営む口入れ屋に男が現れることは二度とありませんでした。


               了

 



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

江戸界隈巷話『口入れ屋おてる』 mrs.marble @mrsmarble

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る