第13話(最終話) 魔女の言葉、女神の魔法3

 わたしはようやく言葉を絞りだす。

「返事をする前にひとつだけ聞かせて。どうしてレイダを射殺したの? 暗示にかけられ、意のままになっていたのに」


 神官は眉をしかめた。

「所詮、妖魔です。同じものはいくらでもつくれるでしょう。彼女の有用性はコロニーのなかだけでした。ここを掌握した今となっては、必要ありません」


 この男も、あの新入りと同じだ。

 他人をおのれの欲望を満たす道具としてしか見ていない。

 サイコパスめ。


 わたしは手を握りしめた。


「動くな」

 背後から鋭い声が走る。


 頼もしい声だった。合図に応えてくれたのだ。

 後ろを振り向く。


 和弘さんが片膝立ちにライフルを構え、神官に照準をあわせていた。


「アレグロ、一体いつの間に……」


 そこで気づいたように、わたしを見る。

 にやりとした。


「やりますね、赤リボン。私の関心をあなたに引きつけ、アレグロの存在を意識から消した」


「そうよ、アレグロの名はだてじゃない。一瞬の緩みさえあれば、和弘さんには充分なのよ」


 それに同時に複数の魔法を発動するのははじめてなのだ。和弘さんにはこの数十秒しか割けなかった。


「ゆっくり銃を下ろせ。余計な動きをすれば引き金を引くぞ」


「いいでしょう」

 神官が銃口を下げた。


「捨てろ」


「できませんね」

 驚くべきことを言った。


「なぜだ?」


「あなたが撃たない保証はないからですよ。私が銃を捨てたら、いつでも引き金を引ける。私は無抵抗のままあの世行きです」


「今でも引き金は引けるぞ」


「まあ、そうでしょう。ですが、私も心臓が止まる前に、一発くらいは撃てるかもしれない。これだけ近ければ、死ぬ間際でも赤リボンに命中させることができるはずです」


 和弘さんは冷静だった。

「美紗紀、やつの動きに注意しながら距離を取れ。ゆっくりと下がるんだ。決しておれの射線上に立つなよ。やつに背中を見せてもいけない」


「はい」


 わたしは血だまりのなかに横たわるレイダを神官の足もとに置き去りにした。

 ゆっくりと後退する。


 レイダ、ごめんね。


「アレグロ、そんなにのんびりしていていいのですか?」

 神官が口を開いた。


「どういう意味だ?」


「生き残りの首長派がいます。あなたの後ろに迫っていますよ」


 空間が沸騰する。

 魔法だ!


 わたしは振り向き、大声をだす。

「和弘さん、聞いちゃだめ!」


 聞こえていない。

 瞳をわたしに向けているが、焦点があっていなかった。


「アレグロ、あなたの大切な女が窮地に陥っていますよ」

 神官の声は愉快そうだった。


 わたしを守ってくれる男性は虚空を見つめ、真っ青になる。

「美紗紀!」


「和弘さん、わたしはここにいます!」

 思わず駆け寄ろうした。


「おっと、赤リボン。動いたら彼は死にますよ」


 幻惑魔法の使い手が和弘さんにライフルを向ける。

 わたしはぴたりと足を止めた。


 神官がにやにや笑う。

「アレグロ、どうしたのです! 早く助けに行かないと、赤リボンの命が失われてしまいますよ!」


「よせ、やめろ!」

 和弘さんが硬直したまま叫んでいる。


「やめてくれ、頼む!」


 こんなに冷静さを欠いた和弘さんは、はじめてだった。


「美紗紀!」

 絶叫したあと、頭を抱えてうずくまる。


「美紗紀、ああ、美紗紀……」

 涙を流している。


 神官がこちらを見た。

 赤い唇をつりあげ、にんまりと笑う。

「これで形勢はもとに戻りましたね」


「違うわ。あなたのほうが不利よ」


「もうアレグロには頼れませんよ」


「和弘さんはカムフラージュよ。おそらく彼も予期していたでしょう」


 そう。わたしの心から信頼する男性は、自分が目くらましの囮として使われることを百も承知で動いてくれた。


「あなたは、自分が放った巫女を忘れているわね。遠方に魔法は効かないと言ったのはあなた。友理はわたしの友だちよ。あなたの暗示から逃れ、助けに来てくれる」


 神官は口を歪めた。

「その手には乗りませんよ。あなたとアレグロがお友だちを連れずに帰ってきたのは、彼女たちが命を落としたからです」


「そう思うなら、後ろをご覧なさい」


 白装束の巫女がふたり立っていた。ひとりは友理だ。

 ぼんやりとした足取りで歩いてくる。


 銃を持った神官は平然としていた。

「赤リボン、同じ手は効きませんよ。先のしかけは、すばらしかった。ですが同じ手を二度使うのは愚かです」


「そうかしら」


 友理が指先を伸ばした。

 神官の白い首筋から血が吹きだす。


「何だって!」


 驚いて飛び退く男。

 首に手を当ててたしかめる。

 手のひらは血糊で真っ赤に濡れていた。


 友理が再び指先を伸ばす。


「くそ!」


 きれいな顔に似合わない言葉を吐き、ライフルの引き金を立て続けに引く。


 轟音とともにふたりの巫女が四散し、緑色をした花粉状のものが舞った。


 神官が顔色を変える。

「赤リボン! どんな魔法を使ったのです!」


 わたしは冷たい笑みを見せた。

「わたしは魔女よ。死者の魂を呼び寄せられる」


 神官は梨恵ちゃんの存在を知らない。

 わたしが暗示をかけ続けているからだ。


 美しい男は和弘さんに銃口を向ける。

「その魔法をやめなさい。彼の命がなくなりますよ」


 わたしは穏やかに返した。

「神官さま、もうやめましょう。あなたの負けよ」


「あなたの弱点は私の手のなかにあることをお忘れなく。いつでもアレグロの命を奪えるのですよ」


「最後通告はしました」


「わかっていないようですね。やむを得ません、この男を……」


 わたしは大声で叫んだ。

「レイダ、やっつけて!」


「何だって!」

 愕然とした顔で下を向く。


 そのときにはレイダの左手が足首に触れていた。


 かすかな吐き気と、空間がねじれる感覚。


 神官ががくりと両膝をついた。


 苦しげな顔をわたしに向ける。

「まさか……ずっと私に暗示をかけていたのですか……死んだと思わせて……」


「そうよ。あれだけの傷を負えば、いくらレイダでも回復に時間がかかる。そこで、彼女が治癒魔法の持ち主という情報は、あなたの意識から外した。わたしのもくろみどおり、あなたはレイダが死んだと思いこみ、暗示も解除した」


「そのカムフラージュのために……アレグロの存在を知覚から消すトリックを……その上、巫女の幻影まで……」


「友理の姿をしたものはスプライトの結合体よ。あなたは頭が良い。三重に魔法をかけないと見破られると思ったの」


 美しい男は最後に笑ったように見えた。

「もったいない。私と組めば……」


 上半身がくりと崩れ、動かなくなる。


 わたしは安堵の吐息を漏らした。

 やっと終わった。


「お姉ちゃん!」

 駆け寄ってきた少女に勢いよく飛びつかれる。


「梨恵ちゃん、ありがとう。あなたの魔法のタイミング、絶妙だったわよ」


「うふふー」

 少女の口もとから白い歯がこぼれる。


 地面を踏む足音が近づいてきた。


「美紗紀……よかった」

 和弘さんの目が腫れている。


「はい。ありがとうございます」

 わたしは微笑した。


「美紗紀殿……」

 弱々しい声がする。


 レイダが上半身を起こして見あげていた。


 わたしはひざまずき、その手をとる。

「レイダ、よかったわ!」


「わたしを心配してくれるのですか?」

 頼りなさげな声だった。


「もちろんよ」


「化け物ですよ?」


「化け物じゃないわ。女神よ」


「妖魔だったのです」


 わたしは両手に力をこめた。

「それを言うなら、人間だって猿だったわ。同じことよ」


 レイダは地面に目を落としたままだった。

「美紗紀殿は、わたしの名は亡霊という言葉からきていると言いました。それに、わたしのオリジナルとなった女性は、わたしに襲われて命を落としたとも」


 あんなことを言ったから苦しんでいるのだ。

 かわいそうに。


「レイダ、ごめんなさい。あれはあなたを動揺させるために言ったことなの。オリジナルは死んでいるとはかぎらないわ。現にわたしがそう。わたしの血を吸収した妖魔はわたしそっくりに変態したけれど、このとおり、わたしは死んでいない。血液の量は関係ないのよ」


「でも、わたしの名前は……」


 それについては確信があった。


「それもわたしのでっちあげ。あなたを目にした人が最初に口にした言葉は"なんてきれいだ"よ!」


 悲しみに沈む女神は目をあげる。

「本当ですか?」


「本当よ。わたしもあなたをはじめて見たときにそう思ったもの」


 レイダはしがみついてきた。

「わたしはもうだれを頼ればいいのかわかりません。美紗紀殿、ずっと一緒にいてくれますか」


「もちろんよ、レイダ。ずっと一緒よ」


 レイダは奇跡の存在だ。

 まがいものでは見抜かれ、崇敬の対象とならない。だから神官は本物の女神をつくりあげた。

 そう、彼女はまさに慈愛と慈悲の女神なのだ。


 だから二度とよこしまな目的に利用されないよう、守ってやらねばならない。


 そこまで考えて、くすりと笑った。


「どうしたのです、美紗紀殿」

 女神が怪訝そうに見る。


 わたしはその完璧な顔を見返した。

「ううん、なんでもないわ。レイダ」


 わたしは自分のことを魔女と言い放った。

 新しい神話がはじまる。

 これから先は魔女が女神の守り手となるのだ。

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妖魔の地、魔女の言葉、女神の魔法 北島宏海 @kitajim

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