第11話 あの子たちの世界
「こっちへ」
「ここが僕の寝ぐら。そこの
「ありがとう。」
中を覗いてみると、思ったより天井の布が低い。
(彼は今でも長身な方なのに、これからもっと背が伸びたらどうするんだろうな。)
かく言う
中は、ひと二人入れるかというほどの狭さで、無造作に茣蓙が敷かれている他には何もない。天幕を支える木の棒に発光茸が吊るしてあり、蝋燭よりも弱い光で周りをうっすらと中を照らしている。
「名前は何て言うんだっけ。」
茣蓙の奥に腰掛けた夜鵜が澄史を見て尋ねた。
「澄史。」
「澄史ね。僕、正直驚いたんだけど、アニシチェに友達なんていたんだね。」
「あぁ、まぁ…。特別親しいというほどでもないんだけど…。そういえば、アニシチェとはどうやって知り合ったの?お互いよく知っているようだったけど。」
「半年前くらいに、ここで病気が流行ったんだ。」
病気、と聞いて澄史は思わずぴくりとした。
「そんな大きな病じゃない。風邪の延長みたいなものだったんだけど、ここは換気が良くないでしょ?それに人の密度も高いし。で、すぐ広まっちゃって。何人も小さい子が死んだよ。十分に栄養とって寝てれば治るって話は街で聞いたけど、僕たちに食べ物なんてたっぷりあるわけないじゃん。清潔な場所で暮らせているわけでもないしさ。」
夜鵜は言葉を切って俯いた。
「本当に困ってたんだ。普通の医者は金を取るから、病気にかかった全員を診てもらうわけにはいかなくて。そもそも、胡散臭いって思われてる運び屋を診にくる物好きな医者なんて、金を出したっていないし。で、どうしようってなってるうちにさ、小さい子たちの半分弱が死んだんだ。残った子たちも辛うじて生きてるって感じで。僕たちみたいに年上の子たちも罹り始めた。それで、もうどうしようもないなって時に、噂を聞きつけたアニシチェがやって来て、僕たちを治してくれたんだ。見返りもなーんもなしにね。」
夜鵜は膝の上に両腕を乗せ、何気なく目を上げた。
「ほんっと、驚いたなぁ、あの時は。見返りなしに何かする奴なんて普通はいないでしょ?だから絶対何か裏があると思ってたんだ。誰かが連れてかれて売られるとか。でも、たとえ裏があったとしてもさ、助けてくれるような人はアニシチェしかいなかったんだ。だから病気に罹ってない僕たちはみんな腹を括ってあの人を頼ることにした。そしたらなんだ、ふっつうにみんなを治して、それで、よかったね、はいさよなら、ってさ。」
夜鵜は肩を揺らしてくっくっと笑った。
「ほんっと、変な奴だよ、あの人。でも、あの人がいなかったら僕たちみんな終わってた。だからみんなアニシチェのこと信頼しているし、返しても返しきれないくらい恩があるんだよ。僕たちを診てくれた後も、様子を見にちょくちょく来てくれたし。その度に干し肉とか新しい茣蓙とか持ってきてくれるんだ。小さい子たちとも遊んでくれる。だからアニシチェのことを、親か年の離れた兄貴みたいに思ってる子たちは多いんだ。僕も含めて、だけど。」
夜鵜はそこまで言うと澄史に向かってにっと笑った。その笑みから、彼が本当にアニシチェを慕っていることが伝わってくる。
「みんなアニシチェと仲が良いんだね。」
「もちろん。」
「じゃあさ、彼の素顔、見たことある?」
「あの布の下ってこと?ははっ、ないない。やっぱり澄史も気になるんだ。でも絶対見してくれないよ。小さい子によく『その布とってー』って言われてたけど、なんか、取ったら病気が治せなくなるからだめなんだって。」
「ふうん…。」
と、天幕の外から足音が聞こえてきた。
「よっ、夜鵜、それからアニシチェのお友達さん。」
姿を現したのは、先ほど石の扉の番をしていた二人だった。
「交代したの?」
「ああ、今日は俺たちの番は終わり。だから噂の『お友達』ってのがどんな人か見に来た。」
そう言って少年はにやりと笑った。
「
「え、もう覚えてくれたの?嬉しいな。」
鈴薇が感心して眉を揚げた。彼女は、濃い茶色の長い髪を頭の高いところで束ねた利発そうな少女だった。年は夜鵜と同じく十四、五くらいだろうか。細く尖った顎と、はっきりした顔立ちから意志の強さが感じられた。実際には小柄だが、姿勢が良いせいか背が高く見える。隣の少年も鈴薇と同い年か、一、二歳年下くらいだろう。黄土色の髪に浅黒い肌、切れ長の目。変声の最中なのか、声が少しかすれているが、その明るい話し方からいかにも少年らしい快活さが感じられる。
「外でチビたちがあんたのことすげー話してたぞ。興味津々って感じで。迂闊に外でると取り囲まれるから気をつけな。」
「今にここまで覗きにくるよ。ま、話しかけられたら適当に相手してやって。」
鈴薇は呆れたように軽く頭を振った。
「なあ、こんなとこまでわざわざ何しに来たんだ?運んでほしいもんでもあんのか?」
歯に衣着せぬ桃大の物言いに澄史は苦笑しながら答えた。
「いや、そうではないんだ。ちょっと調べていることがあってね。今日はみんななら何か知っていないかと思って訊きに来たんだ。」
アニシチェが
「最近、
「なんだそれ。こえー病だな。俺は知らないけど。」
「あたしも聞いたことないね。」
「僕も…。」
「そうか…。」
少しがっかりした澄史だったが、夜鵜の表情が曇ったのに気が付いた。
「あぁ、でも心配しなくて大丈夫だよ。アニシチェなら治せるから。実際、この病に罹った人を治したこともあるしね。」
アニシチェの名前を聞くと、夜鵜は少し安心した顔になった。
「そっか。さすがアニシチェだね。ならよかった。」
すると、鈴薇が眉間に皺をよせて夜鵜の手を取った。
「夜鵜。今はもうアニシチェがいてくれてんだから、前みたいにチビたちがばたばた死んだりすることはない。大丈夫だから。」
「そうだぜ。何も心配することなんてないさ。仕事のおかげで物乞いしているときより食べ物はあるし、雨風防げる居場所もあるし、一緒に暮らす仲間もいる。あとなんか心配事があるとしたら、仕事のときにヘマしないことだろ。」
夜鵜はそうだね、と弱々しく微笑んだ。
(仕事って、運び屋の仕事のことだよな。)
澄史はふと、今朝アニシチェに言われた言葉を思い出した。
『あなたのその目で、あの子たちがどのように生きているのか見てみるといい。』
澄史は思い切って尋ねてみた。
「あのさ…運び屋って、どんな仕事なの?」
訊かれた三人とも、驚いたように目を見開く。
「え、知らないの?」
「いや、知ってはいるけど…。その、なんで運び屋になったのかとか、
「なんで運び屋になったか、か…。物乞いよりちょっとはマシな生活が送れるからじゃないか?」
あとの二人もうんうんと頷いた。
「そりゃ、物乞いでなんとか生きてく奴らもいてるよ。ひでぇ有様だけど。でも、運びをやれば、やった分だけの金がもらえる。それがあれば、空きっ腹抱えて道端で伸びちまうなんてことないだろ。それに、
「それに、この仕事はあたしらにうってつけなんだよ。『子どもは重罰に処さない』とかいうこの国の掟のおかげで、密輸品運んでるとこ捕まったって、ちょっとお役人に怒られたらすぐ放してもらえるんだから。これ以外で私らみたいな身寄りのない子どもができる仕事って、ひどいもんだよ。毎日毎日、大人たちに物みたいに好き勝手されてさ。…もう絶対戻りたくない。」
鈴薇が言葉を切ると、皆何となく黙り込んだ。
「でも、運び屋の仕事も、雷華が自分の組を作るまでひどかったんだってね。」
夜鵜が沈黙を破る。
「まぁそうだな…。」
桃大は澄史のほうを見、説明するように言葉を続けた。
「昔はな、大人が俺たちを仕切ってたんだ。子どもは捕まらないからさ、あいつら俺たちを利用して物運ばせてさ。でも取引してんのはあいつらだから、俺たちが働いた分の金は全部あいつらにいっちまうってわけ。俺たちは辛うじて生きてけるだけの食いもんと寝床を与えられるだけでさ。そりゃあ、一人で外で生きてくより死ぬ可能性は低かったけど、代わりにあいつらに良いように利用されてた。俺たちのこと道具としか思ってねえくせに、『生かしてやってるんだから』みたいなえらそーな態度でさ…。子どもだから大したことは出来ねぇだろってみくびってやがんだぜ。」
そこで桃大は一旦言葉を切った。
「雷華も、はじめは大人たちに使われてる運び屋の子どもだったんだけど、それに耐えられなくなって自分で運び屋をはじめたんだ。すごいだろ?革命だぜ。最初は大人たちに邪魔されることもあったらしいけど、あいつ頭いいからさ、そん時の仲間と一緒にコテンパンに返り討ちにしたって話だぜ。俺はそん時まだここに入ってなかったから詳しくはしらねぇけど。お陰で今ではこんなに仲間ができて、仕事も安定してる。商人たちも俺らのこと、ただのガキじゃなくて『運び屋』として接してくるようになったしな。」
「僕も、雷華が助けてくれなかったら死んでたと思う。」
夜鵜がぽつりと言った。
「僕、昔流間部の中心街に住んでたんだ。」
澄史は驚いて夜鵜を見た。流間部の中心街というと、住んでいるのは大金持ちまではいかなくともある程度裕福な人々ばかりだからだ。
(彼の雰囲気がちょっと他の子どもと違うのはそのせいか。)
「でも七つのとき、火事で家族みんな死んじゃって。行くとこなかったからさ、物乞いしてなんとか生きてたんだ。僕らみたいなのはみんな同じような経験してるけど、お腹は空くし、汚いし、急に知らない人から殴られたりするし…正直もう死んでしまったらどんなに楽だろうって何回も思った。そうしてるうちに冬が来て、すんごい雪が積もってさ。寒いしお腹空いてるし、もうだめだーと思って僕、道端で倒れたんだ。そうしたら雷華が偶然見つけてくれて、ここの仲間にしてくれた。雷華が連れ帰ってくれてなかったら、僕絶対あの世行ってたよ。」
「そうだったんだ…。」
澄史はそれ以上何と続けてよいか分からず口をつぐんだ。厳しい修行はしてきたものの、ずっと寺の中という衣食住の整った環境で育ってきた澄史にとって、夜鵜が今話した経験がどれほど辛いものだったのか想像さえできない。家族も、家も、何もかも失い、たった一人自分だけ生き長らえ、一人で生きていかなければならなかったというのは――七つの子どもが耐え抜くには余りにもひどい。『大変だったね』とも、『よく耐えたね』とも言えなかった。自分は何も知らないのだ。分かったような口を聞ける立場にはない。言葉に窮した澄史を気遣ったのか、鈴薇が口を開いた。
「でもさー、最初、正直夜鵜はちゃんと仕事できんのかなって思ってた。話聞いたら流間部の家の出なんだからさ。」
「えっー!何それ失礼!え、それって、みんながよく言ってる『流間部とか源奥部に住んでるようなやつは自分で何もできない』ってやつ?」
「それが半分と、あとはほら、流間部とか源奥部の奴らって、桐和宗の熱い信者だったりするだろ?そういうのの中にはさ、運び屋ってのは、子どもが罰せられないのを利用して悪に手を染めてる賊だとか、桐和宗の教えに背く悪鬼だとか、くそみたいなこと言ってる奴らいるだろ、あたしらのことなんて何も知らないくせにさ。夜鵜がもしそういう考えに染まってたら、あたしらの仕事の邪魔とかしてくんじゃないかなと思ったってだけ。」
「そんなことするわけないでしょ‼僕だって生きるために必死だったんだから‼たしかに流間部に住んでたころはそういうくだらないこと言ってた人たちはいたけど、それはあの人たちが生きるか死ぬかって世界にいないからだ‼お前らの世界の当たり前を僕たちに持ち込むなっていうのに‼」
急に熱くなってまくしたてた夜鵜に鈴薇は苦笑した。
「最初だけって言っただろ?まだそん時は夜鵜のことちゃんと知らなかったんだし。流間部の出だってだけで、ちょっとでもそんな風に思って悪かったな。夜鵜のことちゃんと知ってからは、一番信頼してる仲間の一人だよ。」
「…まぁ、引き入れる仲間がどんなのか、ちゃんと見極めないといけないのは事実だし?初めは疑ってかかって正解だとは思うけど。」
『信頼してる』と言われて嬉しかったのか、夜鵜の口元が微かにゆるんだ。それを隠すように、夜鵜はふぃっと横を向いた。
「俺のことも信頼してるよな、鈴薇?」
桃大がにやにやと笑いながら鈴薇の肩に手をおいた。
「まあよく動く犬だとは思ってる。」
「なっ、犬ぅ⁈いくら俺がお前の下で仕事することが多いからって、犬はないだろ!」
「馬がよかったか。」
「はぁっ⁈」
澄史と夜鵜が二人の言い争いを苦笑しながら見ていると、天幕の外から足音が近いてきた。と、入り口の布が上がり、アニシチェの顔がのぞいた。
「澄史殿、お待たせしました。」
「もう終わったんですか。」
「ええ。詳しいことは後でお話ししましょう。まだ行きたい所があるんです。」
「わかりました。」
「夜鵜、鈴薇、桃大、案内どうもありがとう。もう地上へ出るよ。」
「もう行くのかよ。ゆっくりしてきゃいいのに。」
「また来るよ。次は天幕用の新しい布を何枚か持ってくるから。」
「お!そりゃ有難いね。んじゃ、出口まで送ってくよ。じゃないとチビたちに絡まれて出られないだろうから。」
鈴薇が肩をすくめて言った。
澄史とアニシチェが鈴薇らについて出口に向かって歩いていると、案の定幼い子どもたちがわらわらと寄ってきて彼らを取り囲んだ。
「アニシチェもう帰るのー?」
「えぇー!なんでー?異国のお話ししてくれるんじゃないの?」
「隣のお兄さんも帰るの?」
「ねーお兄さんなんでこんなに髪長いのー?」
「アニシチェ俺の砂絵見て!こっちこっち!」
子どもたちは口々に言いたいことを言い出し、アニシチェの袖を、澄史の髪を引っ張りだした。
「っいてて…か、髪はだっ…ちょっ!」
「お兄さん見てみて!この石拾ったの!まんまるだよ!」
「いたっー!お兄さーん
「お前が最初に足ふんできたんだろ!」
「アニシチェー、昨日おれ街でこんなのひろって…」
皆一斉に喋っているので、一人ひとりが何を言っているのか聞き取ることができない。まるで生まれたばかりの雛鳥たちが、我先に餌をもらおうと必死に鳴いているようだ。澄史はすっかりその熱量におされ、冷や汗をかきながら衣にまとわりついてくる子どもたちをなだめていた。鈴薇はしばらくその様子を見ていたが、夜鵜や桃大がいくら注意しても聞く耳をもたない子どもたちに堪忍袋の緒が切れたらしい。怒鳴ろうと大きく息を吸ったその瞬間、アニシチェが自分に縋りついている子どもたちを腕に抱えられるだけ抱え上げ、頭の高さまで軽々と持ち上げた。
「ほーぅらどうだ!鳥になった気分だろ?」
抱えられた子どもたちは一瞬驚いてアニシチェにしがみついたが、すぐにキャッキャと軽やかに笑いだした。
「さぁ、このまま出口までひとっ飛びするぞ!ほら、ほかのみんなは狼だ。逃げるぞ~!」
そういうと、アニシチェは出口へ向かって一目散に走り出した。アニシチェが抱えきれなかった子どもたちは、自分たちが狼役だと分かると一斉にアニシチェを追いかけはじめた。呆気にとられた澄史たちは、その後ろ姿をただただ見つめていた。
「やっぱすごいなぁ、アニシチェは。」
桃大がアニシチェと子どもたちの追いかけっこを見ながらつぶやいた。
「本当にね。いつでも穏やかに事を収めちゃうんだからさ。」
「あたしがチビたちを怒鳴る前にすかさずああいう対応をするんだから。さすがだよ。」
今起きたことに頭がついていかず、茫然としている澄史に夜鵜が言った。
「澄史も早くついてかないとおいていかれるよ?」
澄史ははっとすると、慌ててアニシチェたちの方へ駆け出した。
澄史が出口の前まで追いついたころには、アニシチェはすっかり子どもたちを落ち着かせていた。アニシチェを半円形に取り囲んだ子どもたちは、皆寂しそうな顔で彼に別れを告げている。彼はそんな子どもたちを愛おしそうに見つめていた。
「アニシチェ殿、お待たせしました。」
アニシチェは頷いて言った。
「それじゃあもう行くね。また来るから、その時にみんなでたくさん遊ぼう。それじゃあ、鈴薇、夜鵜、桃大も見送りどうもありがとう。雷華にもよろしく言っといて。」
「あいよ。」
いつの間にか追いついていた三人が笑って頷いた。
「皆さん、ありがとうございました。」
澄史も礼を言うと、左手の拳を額につける正式な別れの挨拶をした。彼らに背を向けざま、鈴薇ら年長の三人が一瞬訝しげに眉をひそめたのが見えたように思ったが、澄史はあまり気に留めず地上へつながる階段へ足をかけた。
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