第10話 運び屋の街
次の日の朝、
(?どこ行ったんだろう…)
寝起きのぼんやりとした頭に、昨日あったことがぽつぽつと思い出されていく。
(ああそうだ…馬に乗って宿に着いて…バビムとリチ食べて…報告書の下書きして…アニシチェの面布はがそうとして……って‼)
昨夜自分が晒した醜態を思い出し、恥ずかしさのあまり澄史はかけ布団にもぐりこんだ。
(ああもう…最悪だ…まだ一日しか一緒にいないのに、他人に見せたくない部分すべて見られている気がする…ああ…)
澄史は両手で顔を覆った。
(…でも、あの髪の色は本当に空隆に似てた。素顔を見せなかったっていうのも何か怪しい気がする。いや、そんな理由だけじゃ何の証明にもならないのは分かってるけど…。宗教上の決まりがあって素顔見せなかったのかもしれないしな。でも、あーあ、まさかあそこまでいって気づかれるとはなぁ~。それにしても、寝ているのに近づいてくる人の気配が分かるってどんな奴だよ。)
そこでふと、ある考えがよぎった。
(俺、あいつが風呂から上がって部屋に入ってきたのも気づかなかった。あの時は俺が報告書に集中しすぎてたんだと思ったけど…もしあいつが、気配を消して行動したり、就寝中も周りに敏感に反応するよう訓練されているのだとしたら?まるで、殺し屋か何かのように…)
一瞬、背筋がぞわりとした。
(いや、殺し屋かどうかは分からないけど、何か特殊な訓練を受けている可能性はあるよな…。あいつの行動、もっとよく見ておかないと。)
澄史は布団から顔を出すと、昨夜アニシチェが、「眠れるようになるおまじない」と称して撫でてくれた方の肩に目をやった。
(俺が「眠れない」だなんて…。お互い気まずくならないように、あいつなりに配慮してあんなこといったのかな?)
そういう配慮が憎たらしい。そんな風に気遣われたら、憎めないじゃないか。
(もういっそのこと、思いっきり嫌な奴でいてくれた方が、よっぽどやりやすいのにな。)
澄史はひとつ溜息をつくと、起き上がって着替え始めた。
着替えを終え、ちょうど布団をたたもうとしていたとき、すっと襖が開きアニシチェが入ってきた。
「澄史さん、おはようございます。お早いですね。」
「おはようございます。いや、アニシチェ殿こそ。いつもは日の出前には起きているので、むしろ今日は少し寝坊です。アニシチェ殿はどこかへ行っていらっしゃったのですか?」
「ええ、まあ、どこという程でもありませんが。井戸で顔を洗ってきました。」
「そうでしたか。朝食はまだですか?」
「ええ、まだとっていません。澄史殿、昨夜話していた運び屋のことなのですが…朝早いうちに行ったほうがいいかと。あまり日が高くなると、彼女は寝てしまいますから。朝食は彼女を訪ねた後でも構いませんか?」
「もちろんです。あの、そのお知り合いの運び屋というのはいったいどのような方なのですか?」
「彼女の名前は
「わかりました。」
素直に返事をしたわりに渋い顔をしている澄史を見てアニシチェは静かに言った。
「運び屋が気に入らないのは、運び屋がみな、子どもだからですか?」
澄史は重々しく口を開いた。
「
「運び屋の子どもたちは、あなた方の教えを蔑ろにしていると。」
「はい。」
「では、あなたのその目で、あの子たちがどのように生きているのか見てみるといい。」
その言葉には、刺すような冷たい響きがあった。澄史が戸惑って返答できずにいると、アニシチェはつづけた。
「彼女が住んでいる所は決して
「…分かりました。」
昨日とは打って変わって、アニシチェの目には厳しい光が宿っていた。
しばらくアニシチェについて歩いていると、だんだんと粗末な建物ばかりが目に付くようになってきた。大風が吹けば今にも倒れてしまいそうな屋根の低い家々が所せましと並んでいる。澄史には、何よりここの匂いが耐え難かった。吸いこむ空気に、ほんのりと汗のような尿のような匂いが混じっている。どこへいても爽快な木々の匂いが漂う紫水山とは大違いだ。中には倒壊している家もあり、その木材がまるで雪崩のあとのように周りに散らばっている。
(誰か片付けないのか?)
朝早いせいか、人通りは少ない。それが一層この場所の侘しさを際立たせていた。
そういえば、この通りに来てからアニシチェの歩みが速くなった。心なしか、彼の後ろ姿が緊張しているようにも思える。
(アニシチェがあんな風に警戒してるってことは、この辺りはかなり危ないのだろうな…。)
少し進むと、この辺りでは珍しい異国風の建物が見えてきた。もとは白い壁だったようだが、全体的に汚れて灰色をしている。四角い形をしており、のっぺりとした粘土質の壁にはところどころにひびが見えた。
「あの建物のうしろにある路地に入ります。」
アニシチェが前を向いたまま小声で澄史に言った。
(おそらく、今の王朝ができる前の建物だな。王朝ができた時に、過去の体制を彷彿させるような建物はすべて壊されたと思ってた。…この辺りは帝からも見放された地域ってことか。)
路地を曲がると、薄暗い上にかなり細く、大人だと横向きにならなければ進めないほどだ。首を右に向けたまま進み続けて、そろそろ首筋が痛くなってきたという頃、アニシチェが足を止めた。目を凝らすと、彼の前には壁がある。
(え、行き止まり?)
戸惑う澄史をよそに、アニシチェはドドン、ドン、と何度か調子をつけてその壁を叩いた。しかし辺りはしんと静まりかえったままである。
(反応無しか?…いや、静かすぎる。)
同じ静けさでも、アニシチェが壁を叩いた後から、まるで何者かが聞き耳を立てているような不自然なものに変わったように澄史には感じられた。
と、ズズ…と下の方から鈍い音がした。アニシチェが澄史を振り返って、こっちだ、というように顎をしゃくる。見ると、彼の足元、ちょうど壁と地面が触れ合うあたりに人ひとり入れるほどの穴が空いており、そこから地下へと階段が続いている。
(隠れ家が地下にあるのか!)
さっきの鈍い音はこの入り口と地面の蓋をずらした音に違いない。澄史はアニシチェについて、路地よりもさらに真っ暗な地下階段へと踏み込んだ。
澄史の頭の先が地下に入った瞬間、待ってましたといわんばかりに素早く石の蓋が閉まった。それからはいよいよ真っ暗で、目を開けているのかどうかすら分からなくなってくるほどだ。澄史は右手を壁につたわせ、アニシチェの草履と階段が擦れるスシャ、スシャという微かな音をたよりに下って行った。
(こんなに真っ暗なのに、アニシチェはどうやって前に進んでいるんだろう?)
足音から判断するに、彼は驚くほど確かな足取りで進んでいる。
(夜目がきくか、視力以外の何かを使っているかだな。前者なら夜に活動することが多いということだから、殺し屋の線が間違いじゃないかもしれないってことだ。後者なら…思念でも飛ばしてその
考え事をしているうちに、前方からぼんやりとした橙色の光が見えてきた。もう少しで階段が終わるらしい。その光を見ただけなのに、なぜか澄史はほっとした。
階段を降りきると、目の前には巨大な長方形の空間が広がっていた。
(街…⁈)
足元には石畳が広がり、その上には布を木に巻き付けただけの粗末な天幕がひしめき合っている。壁や天幕のあちらこちらに火の代わりとして使われる発光茸が取りつけられ、全体的にぼんやりと明るい。何より澄史を驚かせたのが、そこら中に子どもたちの姿があるということだ。密集した天幕の間を器用によけて走り回っているまだ幼い子どもたち、わんわん泣いている赤ん坊をあやす七、八歳くらいの少年、穴だらけの
走り回っている子どもたちの一人がこちらに気づき、くるりと方向を変えると一直線にこちらに向かってきた。
「アニシチェー‼久しぶりだなっー‼」
満面の笑みを湛えて走ってきた少年は、アニシチェに飛びついた。まだへその辺りにしか届かないその小さい頭を、アニシチェはぎゅっと抱きしめた。
「おお
「あっ!アニシチェが来てる‼」
春雷の声で気が付いた他の子どもたちも、アニシチェの周りにわらわらと集まってきた。
「わぁ~!アニシチェだぁ!久しぶりだね~!なんでもっと来てくれないのさぁ。」
「アニシチェ!寂しかった!」
「ね、今日は何しにきたの?」
「またあたいらの病気治しに?でも前アニシチェが来てくれたときからみんな元気だよ!」
「ね、この隣の人だれー?」
口々に話しかける子どもたちの姿にアニシチェは目を細め、口をひらいた。
「みんな元気そうで本当によかった。今日は雷華に用事があって来たんだ。この人は俺の友人だよ。」
途端に子どもたちの視線が一斉に澄史に集まった。むき出しの好奇心に容赦なく晒され、澄史はどぎまぎした。
「と…澄史です。どうぞよろしく…」
一瞬沈黙が流れる。
「ええと、
この一言で半数の目がアニシチェに戻ったので、澄史はほっとした。と、子どもたちの後ろから十四、五くらいの少年が近づいてきた。
「アニシチェ、久しぶり。さっき聞こえたんだけど、
「
夜鵜と呼ばれたその少年は、真っ黒な髪と瞳をしたか細い少年だった。ひょろりと背が高く、色白だ。いや、青白いというべきか。後ろ姿だけ見ると、その細さのせいか、肌と髪色のあまりにも鮮烈な対照のせいか、どことなく病的な印象を受ける。しかし、その柔らかいが芯のある声と穏やかな眼差しを知れば、彼が思慮深く泰然とした人間であることがすぐに分かった。
「あと少し遅かったら、棟梁寝ちゃってたよ。ギリギリだったね。」
「そうか。間に合ってよかった。」
「あ、それと、分かってると思うけど、棟梁は信頼してる人じゃないと部屋に入れないからね。そのお友達は入れないよ。アニシチェが出てくるまで、僕らのとこで待っててもらうってのはどうかな?」
先頭を歩いていた夜鵜が、くるりと澄史を振り返って尋ねた。
「え?あぁ、もちろん私は大丈夫…」
年若い少年に砕けた物言いをされたのは初めてだったのと、突然アニシチェとの別行動を言い渡されたとので、澄史は面食らった。
どんどん進んでいくと、この空間をつくっている壁の一番奥まで突き当たった。そこには三段ほどの階段があり、上がったところに石の扉がある。槍を持った門番のような少女と少年が二人、両脇に立っている。二人はアニシチェを見ると、嬉しそうに微笑んだ。
「久しぶりね。」
「本当に。
「うん、今棟梁呼ぶから待ってて。その人は…」
「僕ん家で待っててもらうから大丈夫。」
鈴薇と呼ばれた少女は夜鵜に軽く頷くと、石段の一番下の段を槍の柄でカーンと突いた。すると、そのすぐあとに扉の向こう側から、同じようなカーンという高い音が聞こえてきた。そして、ずずず…という音とともにゆっくりと扉が開き始めた。
「澄史さん、終わったらすぐに夜鵜のところに行きますから。」
「分かりました。」
アニシチェは一瞬、ずいと澄史のほうに顔を寄せると、
「夜鵜はとても優しい子なので、あまり緊張しなくて大丈夫ですよ。」
「…!」
またもやアニシチェに子どものように扱われた。こちらを気遣っているつもりなのか、見下しているのか。
(今度言われたら絶対何かガツンと言い返してやる…!)
涼しい顔で扉の向こうへ入っていくアニシチェを横目で見ながら、澄史はそう心に誓った。
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