第7話:確保

 警視正のスマホが鳴った。

 番号を知る者は限られ、仕事中に鳴ることなど滅多にない。

 急かすようになり続ける着信音。

 無視を決め込む。が、どうにも嫌な予感がした。


「誰だいったい」


 警視正はスマホを取り出し画面を見る。見覚えのない番号だった。

 着信音は執拗に鳴り続ける。

「ちっ」と舌打ちしたが状況は変わらない。拒否しようと指を動かすが、彼の脳の中に生じたわずかなさざ波が、動きを止めさせた。

 結局、警視正は、電話に出る。


「もしもし」


紅羅くらだ。警視正ですね』


 高圧的な物言い。

 間違えるはずが無かった。

 あの女だ。

 氷の刃を思わせる双眸をしたあいつだ。


「はい。そうですが」


 返答したが、口の中が強張こわばったような感じだ。


『今、リストを送りました』


「リスト?」


 警視正はPCでメールを確認した。新着が一件。それを開く。


「ええ、来てますがこれは一体何ですか」


『直近一週間、首都圏で発生した爆発現場のリストです。あなたたちは、現場周辺の全監視カメラに映った人全てを特定するように。急いでいます。可能な限り速やかに実行していただきたい。私たちも忙しくなってきましたから』


「無茶苦茶だ。そんなこと不可能だ。何万人いると思ってるんだ」


 警視正は荒らげそうになる声を抑え込んで反駁した。だが紅羅という女は聞き入れないだろう。電話の向こうで薄笑いを浮かべているような気がした。


『国民IDカードと総務省の顔認証システムで洗い出しできるでしょう。こちらではやってましたが?』


 それは国民に登録が義務かされたカードに貼られた写真と監視カメラに映った顔を照合し個人を特定できるシステムだった。


 確かにそれを使用すれば爆発現場にいた人物のほとんどを特定できる可能性はある。そして、複数の現場にいた人物を洗い出すことが出来るだろう。


 だがそれは無理だ。


「法定整備が整わずシステム開発が中止された。世論の反発も強かった。現状では捜査の自動化はできない」


 システムの導入は人権問題と絡み、野党、市民団体の運動が世論を喚起(珍しく)したことで頓挫したはずだ。


『表向きはね』


「表向き?」


『公開されている情報が全てではないし正しいとも限らないということです』


「それにしたって……」


 実際にシステムがあったとしてもどこまで自動化されているのか不明だ。

 数万人のデータを処理するなど出来るかどうか分からない。


 沈黙は紅羅の言葉で遮られた。


『そう――、ではこうしましょう』


「……」


 新着のメールが一件届いた。

 メールを開く。圧縮ファイルが添付されていた。


『メールは届きましたか』


「ああ」


『動画ファイルを添付しました。そこに映ってる人物を特定していただきたい』


「ちょっと待ってくれ」


 警視正は、ファイルを解凍し動画を再生する。爆発事件の現場。群集の中のひとりがマーキングされていた。


「これは?」


『今回の事件に関わる可能性があります。説明はそれで十分でしょう』


「しかし特定と言っても……」


 動画はそこそこ鮮明で解像度もあった。

 指定された人物は若い男だった。

 年齢は二十歳をいくつも出てないだろう。大学生か? 


『こちらで人員を割いてもいいのだけど、こういった事は共有した方がいいでしょう。システムに慣れてもらうには丁度いいと思います』

 

 警視正にはシステムの詳細が分からなかった。分からない事を頭から否定するほど愚かな男ではない。しかし、首肯出来るかといえば、それも難しい。


「可能かどうかは現時点では何とも言えない。仮に可能だとしてどれくらいの時間がかかるのか」


『私たちは悠長に漫然と時間を無駄にすることは許されていません』


 警視正はふと思う。これは、最初に無茶な条件を出して、次に本命の提案をする、よくある手管なのではないかと。

 まあ、それが分かったところでこっちの立場は変わらないのであるが。

 要するに下請け仕事しろと言うことだ。


「分かった。とにかくやってみる」


 今はやるしかない。全国を襲っている原因不明の爆発事件。その解明の手掛かりになるなら否応もない。


『では、進捗は確実に報告してください』


 そして唐突に電話は切られた。

 

「全く、理不尽といえば理不尽極まりないが」


 釈然としない何かを抱えつつも、今は従うしか選択肢がありそうに無かった。

 警視正は、再び動画を再生した。


「この男が……」


 何の変哲もない若い男である。

 えて言えば、明るさがなく野暮ったい印象があった。


「若い連中が言うところの陰キャというやつか……なるほど」

 

 挙動に違和感は確かにあった。

 確かにその挙動は爆発現場にいる群集から浮いている様に思えた。

 だが、それだけであった。


        ◇◇◇◇◇◇

 

 警察から紅羅の元に連絡が来たのは、三日後のことであった。男の身元は特定された。

 紅羅鏡子は男が住むアパートの前に来ていた。

 アパートの周囲は部下達が包囲済みである。外見からでは分からないが全員がテイザーで武装していた。

 そして男は今、アパートの中にいる。

 

「中々に日本の警察は優秀ね」


「強権監視社会バンザイですよね~」


 西木が揶揄するように言った。この男の口調はどんなときも変わらない。


「地獄よりはマシだわ」


「それは主観の問題ですよね」


「自分を信じられなくなったら人はおしまいね」 


「そうっすね」


 西木は苦笑を浮かべ頭をかいた。

 紅羅はすでに西木を見てはいなかった。

 

 彼女は氷のような視線を男の住むアパートに向けていた。凍てついた湖底のような冷たさと深さがあった。

 美しく整った顔にはいかなる表情も浮かんでいなかった。その身に「感情」などという物は無いかのごとく硬質な雰囲気を漂わせている。顔が作り物のようだった。


 風が吹いた。

 赤みがかった茶色の髪が揺れた。

 紅羅は、風に吹かれた髪をかきあげた。


「まだ動かないのね」


「突入しますか」


「いや、出てきたところを確保する」


「ですか」


「外なら一気に包囲できる。魔法使い相手に数の優位確保は絶対よ」


 紅羅の言い分はもっともだった。

 狭い場所では一度に投入できる人員に制限がつく。相手は籠城してる訳ではない。

 であるならば、外に出た瞬間に一気にかたをつけるべきだった。

 

 しばらくの間、無為に時間が経過した。


「来たわ」


 紅羅の唇が動いた。

 鮮血のような色を持った唇には不敵な笑みが浮かんだ。


 ゆっくりとドアが開き、男が現れた。どうにも冴えない風貌をした若い男である。

 黒いジャンバーをだらしなく着ていた。

 特に周囲を警戒する様子もなく、背を丸めて歩き出した。


「いけっ」


 紅羅が部下に突撃を命じた。


        ◇◇◇◇◇◇


 男は悶絶した。叫び声すら上げることが出来なかった。

 いきなりの衝撃が身体を襲っていた。脳天を鉄槌てっついで叩かれたかのようだ。

 視界はブラックアウトし、耳には聞いたことが無い不快極まりない音が響いた。


「あぐっ……」


 言葉にならない声を空気と共に吐き出すのが精一杯だった。

 意識は薄れ混濁こんだくする。


(何だ……)


 一体何が起きているのか?

 今、自分の身に起きていることを理解するのは不可能だった。吐き気がする。

 自分がまだ辛うじて立っている事に気づいた。


 手脚に感覚が無い。ただ、ガクガクと脚が痙攣けいれんしていた。頭は朦朧もうろうとし、意識は細い糸一本で辛うじて繋がってるだけだった。


 顔面が何か硬いものに触れた。慣れ親しんだアパートの前の道路である事に気づく数秒かかった。こんな近くで道路を見たことなどなかったからだ。男はアスファルトに崩れ落ちていたのだ。


 視界は相変わらず霞んでいた。足先から脳天まで痺れが身体を支配している。

 心臓の鼓動だけが耳元で鳴っているようであった。

 

「あ、な、あああ……」


 強ばる舌で助けを求める言葉を紡ごうとしたが、無理だった。


 意識が明滅する。

 微かに繋がった意識で状況を把握しようとする。

 痛み、痺れ、目眩――。

 ありとあらゆる不快が身体を襲う。

 立ち上がろうと思うが、体は動かない。

 薄れゆく意識の中で、男は自分が襲われた事を理解した。

 

(テイザー銃? なんで……)


 電気ショックで犯罪者を制圧するテイザー銃が向けられていた。そして身体を襲う苦痛はテイザーで撃たれた事が原因であることを理解した。


 自分を囲んでいる者たちは、警官なのか? 分からない。


「あ、あ、あ、あーー」


 男は状況の説明を求めようと口を開くが、漏れ出すのはよだれとうめき声だけだった。


 カチャカチャと音を立て、自分が拘束されつつある事が分かった。


 強烈な恐怖感が身を貫く。

 今までに味わったことのない恐怖だった。

 何が起きつつあるのか。

 これからどうなってしまうのか。

 そして、何をすればいいのか、分からなかった。


 男の脳は負荷に耐えきれずブレーカーを落とした。

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そのスマホには何でも爆破できるアプリが入っていたので、僕は世界を破壊する。 中七七三/垢のついた夜食 @naka774

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