学校祭〈8〉後夜祭にて・2

「そういえば、先生に叱られただけで済んだの?」


 森戸さんのひと声で意識が現在に戻ってくる。


「まあ、今日のところはな。次やったら魔術師法の特別講義を受けて、レポートを山ほど書いてもらうって言われた」


 お祭りに免じて、とのことだった。次はないとも言える。気をつけなければ。


 気がつくと、周りには学生の姿が増えていた。パチパチと軽やかな音を立てて燃える炎のように、あちこちから楽しそうな笑い声が上がっている。


 会議室に閉じ込められている間に学校祭は閉幕してしまったので、後夜祭は何としても楽しまなければならない。終わりよければすべてよし。ちゃんと良い思い出で締めたい。


「さあ、一年生諸君、カード撒いてるかな!?」


 上崎先輩がいつのまにか目の前に立っている。。先輩は本当に突然現れる。そう思っているのは俺だけではなく、同時多発的に出現したとか、実はクローンがいたりして、なんて噂を聞くほどだ。


「あ、上崎先輩。こんばんは!」


「こんばんは、香坂くん。今日はお疲れ様だねえ」


「先輩こそ、お疲れ様です」


「ありがとね。大丈夫だよ、私は元気なだけが取り柄なんでね」


 上崎先輩は今日は学校祭の実行委員長として走り回っていたはずなのに、太陽は沈まないとばかりに明るい表情のまま。


 しかし、隣にいる三井先輩は、ややお疲れの表情だ。


「まったく、羨ましい……ああ君たち、早くカードを配って歩かないと、後夜祭終わっちゃうよ」


「ああ、そろそろ動こうかと思ってました」


 コップの中身を急いで飲み干してつぶすと、ポケットの中から浅葱色のカードの束を取り出した。先日配布された、このイベントのための小道具だ。


「あの、このカードをみなさんに渡すんですよね」


 珠希さんが言うと、三井先輩はやや曲がっていた背筋を伸ばし、眼鏡をグイッと押し上げた。


「そう。それをお世話になってる先生や先輩、仲のいい友達に感謝とともに渡すのが東都ここの伝統なのよ」


 配られたカードの裏には自分の名前とメッセージを書き込めるようになっているので、あらかじめ書いて持ってきている。要は、メッセージカードの交換会だ。


「みんながくれたカードがね、四年間でこんなに集まったんだ。私の宝物だよ」


 上崎先輩は、上着のポケットからパンパンに膨らんだ巾着袋を取り出した。みんなから慕われている先輩のところに、カードが集まるのは納得だ。


「ここがもし共学校なら告白のアイテムに使われそうよね」


 イタズラっぽい笑みを浮かべた三井先輩が、一枚摘んだカードを器用に指先で弄ぶようにして言う。


「おっ、確かにね。漫画で見たことあるよ。後夜祭でこういうのを好きな男の子に渡して告白したら、必ず結ばれるってやつね。いいよねえ」


 上崎先輩は俺のことをじいっと見た。あまりにもまっすぐな瞳をしているので、不覚にも胸が高鳴ってしまう。三井先輩が先にカードをこちらに差し出したのでそれ以上深く考えずには済んだが。


「はい、みんな。妹と仲良くしてくれてありがとうね。あと、香坂くんは学生会の手伝いありがとう。すごく助かってる」


 三井先輩はまず俺にカードを渡してから、森戸さんと珠希さんにも同じように渡していく。


「あっ、もちろん私からもね。いつもお姉さんたちに優しくしてくれてありがとう。これからも仲良くしてくれたら嬉しいなな」


 もちろん俺も先輩たちに渡すつもりでいた。裏に書いた名前を確認してから、それぞれに差し出した。


「俺からも。おふたりとも、いつも良くしてくださってありがとうございます」


「ふふっ、嬉しい……もしカードが足りなくなったら、本部でもらえるから。じゃあね」


 三井先輩が去り際に示したのは、朝礼台の横の一際明るいテント。その下では役員を務める先輩たちが忙しなく動いているのが見えた。


「わかりました、ありがとうございます」


 なぜか、忙しいはずの上崎先輩があたりを気にしながら、ジリジリと距離を詰めてくる。告白、という言葉が再び頭をかすめた。一度鎮まったはずの心臓が、再び熱をもつ。


「……上崎先輩?」


「あのね!!」


 先輩は、俺と珠希さんの手を同時に取った。ひんやりと冷たくて柔らかく、けれど、女の人にしては大きいように思った。珠希さんとは対照的だ。


「あのね……」


 先輩はもう一度つぶやいた。初めての感触に心臓が早鐘を打つ。先輩は俺たちの手を握ったまま、しばらく逡巡しているようだったが、やがて意を決したように目を大きく開いた。


「おふたりさん、いつまでも仲良くね! なんかいろいろ大変みたいだけど、お姉さんは君たちの幸せを祈ってる」


「ウッ」


「は、はい」


 そのことか!! 昼間に模擬店で母親が大立ち回りをし、そのせいで俺たちの秘密が明るみになってしまった。珠希さんは母親に会えたのが嬉しかったらしいたが、俺はだいぶ複雑だ。


「ああ、よかった。言えたよ。ほんとにね、困ったらいつでも力になるからね」


 上崎先輩はスッキリしたように笑って素早く踵を返し、三井先輩を追って早足で去っていった。


 俺は、不意打ちに頭がクラクラしていた。心臓が激しく打って止まらない。珠希さんも、恥ずかしそうに俯いている。森戸さんだけが嬉しそうに笑っていた。


「……ふふっ、きっと明日にはこの学校の常識になってるわね。これから大変よ、ふたりとも」


「あのさ、なんでそんな楽しそうなんだよ」


「だって、もう秘密にしなくていいんだもの。やっと堂々と応援できるわ」


 思えば森戸さんはずっと味方をしてくれた。困った時に助言をくれたり、すれ違いそうになった時に仲を取り持ってくれたり。俺たちの関係を周りに言いふらしたりもしなかった。


 ……あれ? そういえば、上崎先輩も『やっと』って言っていた。


 今日知ったんだとしたらおかしい気もする。まあいいか。きっと、ただの言葉のあやだろう。


 それから森戸さんと珠希さんとカードを交換した。二枚とも丁寧なメッセージが書き込まれていたので、後でゆっくり読もうと思う。


 同級生たちや、お世話になっている先生方、委員会や学生会で面識のある先輩たちと、カード受け取って言葉を交わした。ちゃんと話すのは初めての人もいた。


「環くん、いっぱいもらってたね」


「香坂くんにもモテ期ってやつが来たのね」


「……あのなあ」


 森戸さんがニヤニヤと笑っている。モテ期は冗談としても。想定外のことに手持ちのカードが尽きて、追加のカードをその場で書きまくった。大変だったが、ありがたい。


 ◆


 午後九時、後夜祭も終盤といった頃。森戸さんがカードを一枚だけ残していることに気づく。余った、なんてことはないと思う。


「そういえば、そのカードは誰に?」


「えっと、紺野先生に……もしかして、後夜祭には来られてないのかしら」


「いや、イベント好きな人だし、どこかにはいると思うぞ。先輩たちに捕まってるのかも。先生、人気あるし」


 俺もポケットの中に一枚、紺野先生に渡したいカードが残っていた。ここで会えなくても、一緒に住んでいるので渡すのは後でも大丈夫だが。


「まあ、そのうち見つかるだろ。もし会えなかったら預かってもいいし」


「そうね」


 ポケットにカードをしまった森戸さんは、どこか寂しそうに見えた。やっぱり直接渡したいよなあ、と思う。


 対する珠希さんは、森戸さんを見て珍しく含みのある笑顔を浮かべていた。彼女の屈託ない笑顔が好きだが、稀に見せるこういう妖しげな表情もちょっといい。


「……もしかして、迷路で紺野先生と何かあったの?」


「ぎゃあっ」


 珠希さんが言った瞬間、森戸さんの身体が雷にでも打たれたかというほど大きく跳ねた。そのうえ、透けるほどに白い頬がみるみる赤くなっていくのがわかる。


「やっぱり……先生が好きなのかな?」


 珠希さんは普段とは違う、どこか毒を含んだような甘い声でさらに森戸さんに畳み掛ける。いや、俺はこの話を聞いていていいのか?


「っちょっと!! 珠希さん!? どうしてそうなるの!? 私は!! 別に」


 否定はしているが、図星と言わんばかりの慌てようだった。


 森戸さんが紺野先生をなんて、俺にとっては青天の霹靂だった。しかし、だ。


 たとえば俺の誕生日に仕掛けられたサプライズは、先生と森戸さんに繋がりがないと成立しない。そこから何かが始まるなんて、十分にあり得るじゃないか!!


「えへへ……どうなんだろうね?」


 学生が先生を好きになってもいいのか、先生が学生を好きになってもいいのか。職業倫理とか、コンプライアンスとか。ちゃんと意味がわかっているわけでもない言葉が頭の中を駆け巡る。


 けれど、友人としては応援、すべきだろう。いずれ立場は変わるのだし、俺も珠希さんとのことで森戸さんにそそのかされ……いや、いろいろ背中を押してもらったんだから。


「森戸さん、お、俺……」


「香坂くんまでそんな目で見ないで!! 違うわよ!! どうして私が紺野先生をっ」


 森戸さんは声をひっくり返して叫ぶと、俺の腹に拳を見舞ってきた。


「ぐえっ、いい拳してるな」


 腹に、目の前が一瞬白く染まるほどに重い打撃を喰らった。細腕の女の子だから大したことないだろうと、まともに受けてしまったことを後悔した。


 武道の心得でもあるのかもしれない……地味な痛みに唸っていると、背後から突然両肩を掴まれた。


 赤くなっている森戸さんは前。イタズラっぽく笑っている珠希さんは横。じゃあ後ろには誰が?


「おやおや、楽しそうになんの話だい?」


 耳を撫でたのはすっかり聞き慣れた、今は一番聞きたくない声。恐る恐る振り返り、視線を上げると……揺れる炎に照らされ、妖しく光る赤い瞳が俺たちを見下ろし……。


 刹那、ふたつの絶叫が響く。


「うわあああああ!!」


「イヤッ、で、出たあ!!」


 噂をすればなんとやら、というやつか。俺の肩を掴んだのは、メイド服を脱いで仕事モードを切り、ご機嫌そうな表情の紺野先生だった。思いっきり脱力した。心臓だけが妙に忙しそうだが。


「先生……」


「うん、先生だよ」


 俺がやっとのことで言うと、先生は更に笑顔を柔らかくする。


 肩で息をしている俺や森戸さんと違い、珠希さんはすました顔で、優雅にお辞儀している。


「紺野先生、こんばんは」


「本城さん、こんばんは。ん? 環くんと森戸さんはどうしたんだ、なんだか顔色が良くないようだけど。お疲れかな?」


「先生がいきなり出てきたから……」


「あはは。僕に聞かれたらまずい話でもしてたのかい?」


「まあ、そんなところです」


「なるほど、それは邪魔をして失礼」


 先生は俺の肩を慰めるようにポンポンと叩きつつも、それ以上突っ込んでこなかった。


「あの、紺野先生っ!!」


「ん?」


 森戸さんが勢いよく先生の前に出た。てっきり先生が脅かしたことに怒っているんだろうと思ったが、ちょっと様子が違う。少し震える手には、浅葱色のカードがしっかりと握られている。


「きょ、今日はありがとうございました!! か、カードをうけ、受け取ってください!!」


 珍しく言葉を噛みながら、深く深く頭を下げた森戸さん。


「僕の方こそありがとう。今日はとても楽しかったよ。そうだ、君にこれを」


 紺野先生は特に驚いた様子もなく、ポケットから取り出したカードを差し出した。森戸さんは頭を上げて目を皿のように見開く。


「えっ、私にですか?」


「ああ。これは君に。それと、環くんと本城さんにも」


「ありがとうございます!」


 背後から紺野先生を呼ぶ声が上がった。ひとつの灯りを取り囲むようにして専科や研究科の先輩たち、あと若手の先生たちが笑いながら、こちらに向かって手招きしている。その全員が紙コップではなくどこかで見たことのある缶や瓶を握っていた。


「あはは、どうやらお酒のお誘いみたいだねえ」


「えっ!? 学生なのに飲んでいいんですか!?」


「あはは。もちろん校内で飲むのはダメだけど、この場は特別に許されてるんだ。ああ、もちろん君たちは飲まないでね」


 魔術学校の五年生になって誕生日が来たら二十歳なので、飲酒も喫煙も許されるのか。同じ制服を着て、同じ学校に通う学生なのにと、ちょっと不思議な気分になった。


「わかってます、先生も程々にしてくださいね」


「もちろん。一杯付き合うだけだよ」


 紺野先生はあらゆる刺激物に強くても、お酒にはあまり強くない。もし潰れてしまったら、同居人の俺もちょっと困る。


 先生が飲みの輪に向かうのを見送ってから、森戸さんは一瞬だけ手の中に握られたカードに目を落とした。それから、カードを上着のポケットに大切そうにしまった。


「私も早く大人になりたいわ」


 まるでため息を吐くように言った森戸さんは、笑っているのに、どこか寂しそうな複雑な表情をしていた。


「森戸さん、もしかして飲みたいのか?」


「うーん、淑乃ちゃんは大人っぽいから似合いそうだけど、まだダメだからね?」


「なによ、ふたりして。別にお酒が飲みたいって意味じゃないわ」


 森戸さんは俺と珠希さんの顔に目線を滑らせると、鈴を転がしたように笑う。


「違ったのか」


「興味はあるけれど、そうじゃなくて。大人というか、一人前になって、同じところに立ちたいだけよ」


 お酒を飲みながら盛り上がる大人たちを見て考えた。俺たちはいま十六歳、大人になるのは四年後のこと。まだ遠い未来の話だと思っていたのに、すぐそこまで迫っている。卒業して、社会に出て、家庭を持ったりするのだろうか。


「大人になったら、か。私はちゃんと考えたことないなあ」


 珠希さんがぽつりとつぶやいた瞬間、運動場の外周を囲むようにしてつけられていた火が全て消えた。中心の火も勢いが弱められたせいで、あたりが急に薄暗くなった。


「なんだ?」


 ざわめきが広がる中、空に大きな花火が上がった。夕涼み会の時と同じ、魔術の幻影が作りだした花火だ。


 濃藍の空に色形が違う花が開くたび、運動場は大きな歓声に包まれる。


「すごく綺麗ね!! 私も早くできるようになりたいわ!!」


 森戸さんが花火のように笑顔を弾けさせる横で、珠希さんはどこか憂いを帯びた顔で空を眺めている。


「私は……これからどうなりたいのかなって思う」


 微かなつぶやきが、夜空に吸い込まれていく。普段は栗色の瞳が、花火が開くたびに色を変えていく。まるで揺れる心を写したように。そういえば、彼女がここに進学したのは『家の都合で』だったか。


「今はわからなくてもさ。前を向いていれば、どこかにはたどり着くんじゃないかな。一緒に頑張ろう」


 一歩踏み出せるように背中を押してくれる人がいて、厳しくも優しく見守ってくれる人がいて。同じ目標に向かって切磋琢磨する仲間もいる。だから迷うことがあったとしても、胸ポケットの中の重みが、きっと前に向かって歩く力になる。


「そっか、そうだよね。環くんやみんなと一緒だもんね」


 珠希さんは俺のことをまっすぐ見て、少しだけ表情を穏やかにした。


 空をしばし賑わせた花火が止んだあとは、静かな夜の空が戻ってきた。スピーカーから後夜祭の閉会宣言が響くと、再び大きな拍手が湧く。これで、本当にお祭りは終わりだ。


「楽しかったね」


「そうだな」


「さ、帰りましょっか」


 グラウンドを照らしていた火が消されると、秋の夜風が寂しさを連れてくる。外灯の白い灯りを頼りに、寮や家路に向かう学生の流れができる。俺たちもそれに乗って歩き始める。


 夢のような時間は終わったが、目の前の道は未来に続いている。明日から二日の休みを挟んで、俺たちは再び勉学漬けの日常に帰る。それぞれの目標に向かって進むために。


「さあ。学校祭も終わったし、次は来月の中間試験を乗り越えないとな」


 前を向く。そして、ひとつずつ超えていく。身体は疲れていても、気持ちは清々しかった。しかし、珠希さんも森戸さんも何も答えてくれない。


「ふたりとも、どうしたんだ?」


 珠希さんの方を向いてみれば顔を背けられ、森戸さんはそれを見て大きなため息をつく。ぬるいような冷たいような、妙な空気が流れる。あれ?


「どうしてそんな綺麗な目をしてるのよ。香坂くんって真面目が取り柄だけど、嫌な意味でもしっかり真面目よね」


「ど、どういう意味だ?」


「こんな時に試験のことを思い出させないでって意味よ!」


 森戸さんの目線が針のように刺さり、背中に冷たいものが這った。


「うん。楽しい気持ちのまま寝たかったよね、今日くらいは」


 いつも味方をしてくれる珠希さんからもまさかの追撃を受け、俺は地味にショックを受けた。空気が読めない野郎だと、失望されてしまったかもしれない。


「……ごめんな」


 肩が落ちる。どうやら俺はもう少し、修行を重ねる必要があるようだ。


 こうして、忙しくも楽しかった学校祭の一日は、ようやく幕を下ろしたのだった。


学校祭編〈完〉

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インコンプリート・マギ〜外伝/それぞれの日々 霖しのぐ @nagame_shinogu

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