学校祭〈8〉後夜祭にて・1
時刻は午後八時。学校祭の撤収が終わり、夕食を終えた後。
俺は後夜祭に出席するために身支度を整え直し、ひとりで寮を出る。外階段を降り、道を雪寮とは反対方向に曲がると冒険にでも出るように心が弾んだ。外灯に照らされた道を学生たちがちらほら歩いているので、俺もその流れに乗って進んでいく。
「ああー、終わっちゃった」
「あんなに準備に時間がかかったのに」
「ほんと。何もなくなったね」
目的地である運動場についてすぐ、こんな会話が聞こえてきた。待ち合わせをしている友達を探して辺りを見回しながら、俺もまた同じことを思っていた。
長い夏休みを終えて新学期に入ってからの一ヶ月間、学校祭を成功させるためにひたすら走り回った。何もかも初めての経験だったので、不安も大きかった。
それでもクラスの代表として企画書をまとめたり、学生会や他のクラスとの調整を買って出たり。準備の時間配分や予算のことで頭を痛めたりもしたが、先輩に助言をもらったり、クラスメイトと協力することで乗り越えてきた。
そんな忙しくも充実していた日々もこれで終わりだ。どんなに必死で準備を重ねても終わってしまえばあっけないもの。楽しい夢から覚めたようにさっぱり元通りになった校内を見ると、なんとも物悲しいような気持ちになる。
「みなさん今日は本当にお疲れ様でした。これから後夜祭を行います!」
学校祭の実行委員長、上崎未来先輩の声で開会が宣言される。
それを合図にしたように、グラウンドの中央に組まれた木に大きな炎の柱が立った。これは魔術で点火された本物の火だ。それからグラウンドの外周に沿うように小さな火がいくつも灯されていき、あちこちで歓声と拍手が起こる。
ただの明かりではなく本物の火なのは、暖を取るためでもあるだろう。明日から十一月。夜になると冬の服装が必要なほどに冷え込むようになった。
風邪などひかぬようにという配慮からか、学生有志によって温かい飲み物が振る舞われていたりもしているようだ。微風に乗ってくる甘い匂いが気になるので、あとで行ってみようと思う。
灯りがつくと周りの様子がよりわかりやすくなった。この後夜祭は自由参加だからか、グラウンドを見渡した限り、まだそんなに学生は多くない。
寮生である珠希さんと森戸さんは来ると言っていたが、自宅生の透子はどうしても外せない用事があるとのことで、模擬店の撤収のあと大慌てで帰宅してしまっている。残念だが、名家のお嬢様というのはいろいろと忙しいんだろう。
「環くん」
すぐ隣に珠希さんが立っていた。もちろん、森戸さんも一緒だ。
「はい、ついでに飲み物もらってきたわよ。先輩お手製のホットレモネードですって」
森戸さんはにっこりと笑うと、両手に持ったカップの片方を俺に差し出した。
「ありがとう」
湯気とともにレモンとハチミツの香りがゆるりと立ちのぼってくる。俺は眼前で揺れる炎を見つめながら、中身をゆっくりと口に含んだ。固くなった肩を柔らかくほぐしてくれるような、優しい味わいだ。
「ねえ香坂くん、さっきは先生に余計なこと言ってごめんなさいね。私が黙っていたら、叱られることもなかったのに」
「違うよ。私が無理なお願いしたからだよ……ごめんね、環くん」
森戸さんも珠希さんも、まるで水やりを忘れられた花のようにしゅんとうつむいている。
「別に大したことない。そんな顔しないでさ、せっかくなんだから楽しまないと」
「ありがとう。そうね、めいっぱい楽しまなきゃね」
寮に住む学生が続々と夜のグラウンドに集まってくるが、別に大騒ぎをするわけではない。それぞれがこの一ヶ月間の思い出を振り返り、互いの労をねぎらいあう。
夜空の下で賑やかで目まぐるしかった学校祭とは違う、穏やかな時間が流れる。空には新月に向かい大きく欠けた月が浮かんでいて、小さな星も月に負けじと輝いている。
先ほど夢から覚めたようだと思ったが、違うかもしれない。楽しい非日常は、まだ細く続いている。
女の子ふたりが学校祭の思い出話に花を咲かせはじめたのを聞きながら、俺も静かに今日のことを振り返ることにした。
◆
時間を少し巻き戻して、迷路を抜けた後の話をするとしよう。
珠希さんの手を引いて迷路の出口から飛びだし、そのままどこかに隠れているはずの父親を探そうとした俺の前に、でかいメイドさん……もとい紺野先生が立ちはだかった。
「せ、先生?」
「環くん。さっきのは一体どういうことなのかな」
「えっと……?」
先生の笑顔は化粧で彩られているからか、いつもよりもずっと綺麗に見えた。ただ、その下に怒りを隠しているのは明らかだった。何ヶ月も同じ屋根の下で暮らしていれば、わかってしまうようになる。
紺野先生が俺に何を聞きたいか……校則どころか法律に触るかもしれない、魔術の許可外使用についてだろう。
しかし、ここで疑問がひとつ頭に浮かぶ。
紺野先生は俺が前に出した蛍を見てはいないが、話に聞いておおまかなことは知っているとは思う。しかし、それだけで俺が犯人だと確信しているのはなぜだ?
確か先生は迷路を歩きながら、アトラクションの中に展開されている術式をタブレットで確認していた。だから、蛍があらかじめ組み込まれた演出ではないとすぐに気づいたのだろう。
けれど、ここは魔術学校だ。魔術師はその卵を含めてゴロゴロいるし、学校祭の来場者にだっていると思う。
そして紺野先生には魔力は察知できない。だから少々おかしなことが起こったところで、犯人が誰かまでは絶対にわからないはずだ。
ならば、しらばっくれようかと考える俺。しかし、森戸さんが両手を前で合わせ、こちらに謝るような仕草をしているのに気づく。
――なるほど。俺だと思ったのは、こっちだったのか。
紺野先生が森戸さんと一緒に行動していたのなら話は別だ。魔術師の卵である彼女ならば、蛍が『俺っぽい』ことには気づくことができる。
ただ、そこからさらに一歩踏み込むこと……俺か父親かの区別はつかないと思う。だから森戸さんが『これは香坂環だ』と先生に言ってしまえば、そこで終わり。
となると、もはや説教は不可避。俺は顔だけではなく、そっちまで父親に似たことを恨んだ。
「環くん?」
「あの……えっと……」
名前を呼ばれたので我にかえると、先生は明らかに怪訝な顔になっていた。次に考えるべきは、できる限り無難ところに着地することだ。
ここで何より優先されるのは、父親が
本日二度目の魔術の許可外使用、間違いなく叱られるが、何かを得るためには犠牲が必要なこともある。腹を括った。
「あっ、あれはその、ええっと、すみません、ちょっと、いいとこ見せようとして、調子に乗っちゃいました」
紺野先生の顔はみるみるうちにお手本のような呆れ顔に変わる。
珠希さんにいいところを見せようとして調子に乗ったのは本当なので、ギリギリ嘘つきにはならないけども。
「……またヤンチャして。お祭りだからって、調子に乗るのはダメだよ。決まりなんだから」
「すみません……」
紺野先生は俺に背を向けると、ポケットから取り出した無線機でどこかに連絡し始めた。これから起こることを想像すると、ため息が止まらない。
頭の中に面談室の光景と、佐々木先生、一ノ瀬先生、進藤先生で作られた恐怖のトライアングルがはっきりと浮かんだ。三角形の中心で俺が小さくなっているというわけだ。
『今度あの謎の魔術師に会ったら、氷漬けにするけれど』
午前に聞いたセリフが頭をよぎる。東都の雪女、氷の魔女、なんて異名があるらしい進藤先生は、昔はとても厳しい先生だったと聞く。学校の怪談レベルの噂だが、不祥事を起こした学生を氷の檻に閉じ込めたこともあるとか。
俺と父親、ついでに高月さん。世にも珍しい男性魔術師の氷漬けの標本がみっつ並んでいるのを想像すると、急に具合が悪くなってきた。
「香坂ァ!!」
裂帛の声。どうやら、気を遠くしている場合ではなさそうだ。
鬼のような形相の六弥くんが機関車のように走ってきて、俺の前で急ブレーキをかけて止まった。なぜかはわからないが本気で怒っていそうに見える。
「な、なんだ!?」
「貴様!! 情けなく鼻の下を伸ばすぼくのことを陰で笑っていただろう!!」
「いや、それは何のことかさっぱりわからん」
「クソ、すっとぼけやがって。さっき出た蛍みたいなのは貴様の仕業だと、透子が言っていたぞ!」
夏休み前まで全く魔術が使えなかった透子も、ずいぶんと感覚が研がれてきたらしい。関心した……じゃない。
六弥くんが鼻の下を伸ばして、それを俺が陰で笑ってることになってるのはどうしてだ?
「確かに蛍は俺の仕業だけど……」
「 やっぱりそうか!! 見損なったぞ香坂環!!」
どうやら蛍が六弥くんの導火線に火をつけてしまったようだが、身に覚えがなさすぎる。
「いや、俺は覗き見なんかしてないぞ」
「……ぼくの母上は、まるでその場にいたかのように物事を見通すぞ。だからお前にもできるんだろう?」
六弥くんが言っているのはおそらく離れた場所を見る魔術、遠隔視のことだ。一年生で基礎を習い、二年生で本格的に演術するんだったか。まあ、それはいい。
「いや、それはお母さんがプロだからだろ。俺はまだ一年生だぞ。せいぜいビー玉転がすくらいしかできない」
「嘘つけ!! さっき空飛んでただろ! それが特殊な訓練が必要な高度な術だということくらいは知っているぞ。本当は色々と隠し持っているんだろう、けしからんヤツめ」
「あー……えーっと、さっきのはさ……別にそんなたいしたことはなくて」
やや的を射た発言に少しびくついたが、落ち着きを取り戻す。
さっきのは、魔術の基礎基本である物体を浮かす術式を応用しただけだ。計算ができて、必要な魔力量があれば、重いもの……自分の身体を浮かせることは一年生にもできなくはない。
ただ、自分自身を含め生物に使ってはならない魔術とさっき紺野先生に言われた。対象が生物か、非生物かで使用する術式が違うらしい。理由は色々とあるらしいが、まあそれはともかくとして。
六弥くんは腹に一物あるといったように、唇の片端を引き攣らせて笑っていた。
「はっ、どうなんだか。持っている能力をなぜか隠すのは、主人公あるあるだからな。本当に油断ならない……」
「……なんだそれ」
なるほど、漫画の読みすぎか? 地元の友達も似たようなことを言っていたのを思い出した。
物語から抽出したような妄想まで混ぜられたら、もうどうしようもない。たぶん俺から何を言っても無駄だろう。透子の言うことなら聞いてくれるかもしれないから、うまく通訳してくれないだろうか。
「ていうかあいつ、またどっかに消えてるし」
どうしてか、こういう肝心な時にいないのが透子なのだ。
やはり納得していない様子の六弥くん。これはしばらく収拾がつかないなとため息をついたところで、紺野先生から肩を叩かれた。
「さて環くん、話は終わったかな? 一ノ瀬先生からお呼び出しだよ」
そのまま俺は紺野先生によって会議室に連れ去られた。そして、そこで待ち構えていた先生たちに、雑巾のように絞られることとなった。
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