学校祭〈7〉星空の迷宮・4

 【おまけ・おじさんたちの話】


『蛍』の出現で迷宮の中が騒ぎになっている頃。体育館の裏手の道を、ふたりのおっさんが足早に歩いていた。


「おいおいおいおい、バレたらどーすんだよバカ」


「綺麗だっただろ。みんな喜んでたじゃないか」


 斜めがけにした鞄のベルトを握り締め、すっかり血の気をなくした顔の高月とは対照的に、黒いマスクで顔の下半分を隠した冬月は、アトラクションの中に響いた歓声を思い出して目尻に嬉しそうに皺を寄せた。


 あの蛍は、何を隠そう冬月の仕業イタズラである。たまたま迷宮の中にいたふたりは、壁の向こうで環の気配を察知した。しばらく環と珠希の会話を聞いて、そして。


「いやまあ確かに……いやいやいや」


「まあ、センサーにも人の感覚にも環として認識されるはずだ。親子だから元々近いし、そうなるようにしたからな」


 偽装の達人は魔力の波長をある程度他人に似せることもでき、並の魔術師の感覚なら欺けてしまう。


 超高感度センサーでも設置されていれば話は別だが、『星空の迷宮』のように複雑な魔術が大規模に展開されている場からその痕跡を正確に拾うのは不可能だ。


 つまり、バレることはないと得意げに胸を張った冬月に、高月はため息混じりにげんなりとした表情を返す。


「いや、それだと環くんが怒られるだろうが」


 高月は肝を氷点下まで冷やしたような顔をしているが、冬月はなんのそのという様子だ。


「でもな、あれだけじゃあ彼女もガッカリするだろ……もしバレてもうまくやるよ。あいつは蕗会に似て頭がいいからな」


「うわあ、どういう理屈だよ。相変わらず無責任なこって」


「俺は息子のことを信じてるんだよ」


「物は言いようだなッ!」


 高月のツッコミは冬月には響かず、並木で羽を休めていた鳥たちを驚かせただけだった。冬月は今日の環の様子を思い出しながら、飛び立つ鳥を目で追った。そして歌うように言う。


「……ほんと、ああいうのを青春っていうんだろうな」


「ああ。ほんと楽しそうだったな、環くん。なんていうか、安心したわ」


「そうだな」


 今回、高月が仕事や研究の合間を縫ってを重ねてまでここにやってきた目的。ひとつは元の世界に帰ってしまった環の現状を自らの目で確かめることだった。


 香坂環は、世界を構築するルールを破るかたちで存在しているが、今のところバランスを大きく崩すまでには至らないであろうと言う見方をされている。


 それはこの世界の魔術師界においては血統主義が強く、『得体の知れない血には触れるな』というのが暗黙の了解になっている。古臭く差別的な思想ではあるが、父親がわからない子ということになっている環は、むしろそのおかげで平穏に過ごせていると言うわけだ。


 それでも『たったひとり』であることはどうしようもなく揺るぎない事実。向かい風が冷たかろうと考えるのは仕方がないだろう。高月は環が帰還した後も、こちら側で保護するべきなのではと各所に働きかけていたのだと言う。


 かつては同じように考えていた冬月だったが、現在は環の選択を尊重したいと考えている。寂しがりの妻からたったひとりの家族を奪うのは忍びないし、自分のように身体的な縛りがあるわけでもない。


 それに強力な後ろ盾を得て、自ら交渉し、定期的に父親じぶんに会えるように取り計らってもらっているとなれば、もう何も言うことはあるまい。


 今はまだ守られているだけの雛鳥かもしれないが、その力があればきっと自分で自分の居場所を得て、大切な人をその手で守っていけるようになる。


 どこまでも弱く愚かなだけだった自分には成せなかったことだ。我が子ながら、憧憬の念を抱く。


「いやほんと偉いわ。あの年頃で周りが女の子ばっかなんてさ、まずどう身を振って良いんかわからん。オレなら両手上げて黙ってるしかないだろうな。環くんはすごい」


 冬月も、自分ならどうなっただろうかとシミュレートする。きっと考えなしに余計なことを言って、即日追い出されてしまうだろうと思う。相手が同性でも異性でも、人付き合いはどうにも苦手なのだ。本当に、息子は自分に似なくてよかった。


「まあ、そこは青春をすべて勉強に捧げてしまった根暗の志弦くんだしな」


「うるせえ、いまだに初恋を引きずってる司くんに言われたくねえ。それにお前が行ってたん男子校だろ。オレ以上に無理だろ」


「まったくそのとおりだ」


 冬月は笑いながら立ち止まり、振り返った。『次はどこへいこうか』と陽気に話す男女のグループ。祭りも終盤に向かいつつあるが、まだまだ元気に自軍への呼び込みを続ける学生。両親に手を引かれ、一生懸命に歩く小さな子供。


 目に飛び込んだ景色には、まるで玩具箱のように楽しさが詰まっている。


 日陰の身である自分もここに溶け込んでいるなんておかしいことだ。冬月は再び歩き出しながら、高月を流し見る。


「どうしたんだよ?」


「なんだ。こんな楽しいこと、お前にはなかったんじゃないのかと思って。ずっと勉強ばかりしてただろ」


 冬月の頭をよぎったのは十代半ばの時の高月の姿。日々の魔術の修練だけにとどまらず、医師になるための勉強に忙しかったからか、いつ寝ているのかさっぱりわからなかった。根を詰めすぎて倒れてしまったこともあるように記憶している。


「なんだそれ。あのな、お前があまりにも勉強してなさすぎなんだ」


「お前と違って、じっと机に向かうのは性分じゃなかったんだ」


「それじゃあしゃあないな。確かにキツかったけど、たぶんお前が思ってるほどじゃない。楽しいこともちゃんとあったよ」


 空を仰ぎ、目を細める高月。瞳に映る青はまるでなくしたくない美しい思い出のように輝いていた――


「ただ……オレに近づく女の子はほとんどお前目当てだったけどなっ」


――かと思いきや。突然飛び出してきた二十五年越しの暴露に、冬月の肺に溜まっていた空気が一気に飛び出していった。


 同じ家で兄弟同然に育ててもらったとはいえ、学力が全く違ったため通っていた学校は最初から別だった。理由を考え……放課後は魔術の指導に通うため毎日適当なところで落ち合っていたことを思い出した。その時に姿を見られていたのだろう。


「……いや、なんだそれは」


 それはともかくとして。耳が塞がったような違和感を覚え、冬月はこめかみを揉む。


「そのまんまの意味だよ。いつも一緒のイケメンは誰だってな。弟だっつーても誰も信じてくれんかった」


「まあ、全然似てないしなあ」


 自分の顔面の造形についてはともかく、兄弟と言っても似ていないのは血が繋がっていないからなので当然だ。


 ただ、高月にとっておそらくそこは重要ではないと思うので、わざわざ説明しなかったのだろう。冬月は苦笑いして頭をかきながら、再び歩き始める。


「中身は不真面目なやんちゃ坊主なのにな、なんか儚げに見えなくもないだろ。どいつもこいつも大真面目に『白百合の君』とか呼んでたんだぞ。笑いを堪えるの大変だったんだからな」


「悪かったな……」


 確かに髪はそう喩えられても仕方ない色だが、花の名前で呼ばれるなんて全く柄ではない。まったく面識のない相手のことだが、なんだか騙してしまった気分になって申し訳なくなった。


「そういや、お前はどうだったんだよ。学校は楽しかったんか?」


「俺は……」


 高月に問われるも、自分の学生時代のことはよく思い出せない。学校は途中で辞めてしまっているのもあってか、重要ではないものとして隅に追いやられてしまっているか、長く伏せっていた時に失ったのだと思う。


 頭の中を必死で探っていた冬月の眼前がわずかに暗くなる。両の足を咄嗟に踏ん張ったので、すんでのところで転倒は免れたが、今度は呼吸が少しずつ乱れはじめる。


 悲しいかなもう慣れてはいるが、いくら呼吸をしても息苦しい。ああ、そろそろか。冬月は微かに震えだした自分の手のひらを見つめた。


「おい、大丈夫か?」


「すまん、考えすぎただけだ」


「それならいいんだが……」


 歩き続けていたふたりは敷地の隅にまで来ていた。学校祭の賑わいはずいぶんと遠くなり、代わりに枝葉が風に揺れる音に取って代わっていく。


 冬月は目を凝らす。そびえ立つ校舎や設備に違和感はない。仮にこのままの景色を持って帰ってみたとして、あちらに生きる誰しもが同じ感想を抱くだろう。ここは何もかもが同じ。だが、自分が生きる場所とは全く別の世界だ。


 まるで脳が風に揺らされているように視界がぶれる。耳に入る音も徐々にノイズ混じりのようになっていく。自分はここにいることを許されていないという動かせない事実が、冬月の身に冷涼な秋風とともに少しずつ染み込んでくる。


「よし、データにある通りここらも死角っぽいな。そこ通り抜けて敷地の外に出て、そこから飛ぶか」


 以前冬月が持ち帰ったデータを参照しながら周辺の検索を終えた高月が立ち上がり、植え込みの向こうにある塀を指差した。ちなみに、敷地内に直接飛び込むのは尻尾を掴まれるリスクが高いので、行きも同じ手順で侵入している。壁を抜けるくらいの魔術ならそこまで出力も大きくない。


「そういえば、欲しかった物は手に入ったのか?」


「ああ。無茶して来た甲斐があった。色々と調べられたし、食いもんなんかのサンプルもゲットできたし、自分でも色々食ったから……って、実は大丈夫じゃないだろお前」


「すまん、なんか手が痺れてきた、息も……」


 冬月の手の指は棒でもなったかのように動かず、息苦しさがじわじわと胸を押さえつけていた。実は『蛍』を出したあたりで変調を予感し、高月から渡されていたマスクも付けていた。なんらかの加工がされているらしいが、やはり気休めにしかならないらしい。


「ちょっと見るぞ」


 冬月の返事を待たず、高月はだらりと下がった手を拾うように取る。指の具合を確かめて下ろすと、次は胸に手をかざす。心音と呼吸音を確認しているのだろうか? と冬月はぼんやり考えた。


 最後に腕時計を確認すると、ジャケットの内ポケットから取り出した手帳に素早く何かを書きつけた。ページは外国語で綴られたと思しきメモでみっちりと埋まっているが、冬月には内容までは理解できない。


「さすがにちょっと長すぎたな。もう変装は解いとけ」


 冬月はうなずくと、これまでずっと展開し続けていた【偽装】を解いた。まるで闇夜が明けるように、黒かった髪が生まれ持った白銀色に戻る。


 視力の調整までうっかり解いてしまったために視界が急に滲んだが、上着の内ポケットに入れてある眼鏡にはなかなか手が届かない。腕に力が入らなくなっている。全くままならないなと、冬月は自嘲した。


「ほら」


 冬月は、小さい頃に世話を焼かれていた時と変わらないその声色を懐かしく思った。


 上着の内側に手が滑り込んできたあと、景色が急に明瞭になった。冬月の顔には、眼鏡がやや傾いた状態で乗っている。


 微妙に違和感のある視界で、高月は何か言いたげに冬月を見上げていた。高月は三白眼なせいかいっけん睨まれているようだが、痛さは全く感じない。子供の頃から、ずっとこの目に見守られてきた。


「まったく、いつから具合悪かったんだ。早く言えっつーの……」


「すまない」


 見たことのない薬瓶を差し出されたので、一気に飲み干す。いちいち中身のことを聞いたりはしない。


 なぜなら相手はこの世で一番信頼している人物だ。誤解を恐れずに言うならば、この世で唯一安心して身を委ねられる人物。


 幼児の頃に高月家に引き取られて以来、ひとつ年上の高月とは実の兄弟のように育ってきた。高月は遊び相手になるには身体が弱く、話し相手になるには言葉も感情も乏しかった冬月と目を合わせて、辛抱強く付き合ってくれた。


 若さゆえにぶつかったことも何度もあったが、それすらも今はいい思い出だ。


 心を持った人間になれたのも、遠い場所で大切なものを見つけられたのも、全てをなくさずに済んだのも、すべてこの兄の献身のおかげだ。恩を忘れたことは一瞬たりともない。


「……ありがとうな」


 もはや意識は半分濁っていたが、いや、濁っていたからか。緩んだ唇から本音をこぼしてしまうと、高月はまるで幽霊に出会したように肩を眉を吊り上げた。


「うわあ。やめろよそんな顔すんの。お前らしくねえな……ああ、しんどいんだよな。悪い悪い。急いで戻ろう。座標は……病院しょくばがいいな、念のため」


「わかった……」


 自分は一体どんな顔をしていたのだろう、という疑問が浮かんですぐに消えた。


 薬が効いたのか、わずかに眼前の霧が晴れたような感覚があった。身体はうまく動かなくても、これなら魔術を使うのには問題ない。それにいざとなれば、高月がなんとかしてくれるだろう。


 高月は医師が本業とはいえ、魔術師としての格は冬月より数段上だ。今でも得意分野では勝てる程度で、総合力では全く及ばない。


「じゃあ、白百合の君をお連れするとしますか」


「やめろ、その呼び方は」


「冗談だよ。そうだ。環くんが次に来た時は打ち上げだな。オレが美味いものを目一杯ご馳走してやろう」


「ああ、楽しみだな……」


 血のつながりがないむすこのことを、まるで我が子のように思ってくれている。そして、


「お前にも元気で生きていてもらわんとなあ」


 そう言ってくしゃりと高月は微笑んだ。


 照れもせずに笑うのを直視できず、いつものように何も言えなかった。


 が、冬月もまた、同じ気持ちでいる。

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