学校祭〈7〉星空の迷宮・3

 【環・珠希】


 ふたり取り残された俺たちは、どちらからともなく手をつないだ。これだけ暗ければ、そうとう距離を詰められない限りはバレることはないだろう。たぶん、珠希さんも似たようなことを考えたんじゃないかと思う。


 すこし小さくて柔らかな手は、もうすっかり俺の手に馴染むようだった。付き合い始めた時のような胸の高鳴りはもう感じないが、ただただ静かに温かいもので満たされていく、そんな心地だ。


「環くんって迷路得意かな?」


 薄闇の中、珠希さんはどこか不安そうな顔だ。


「得意と言っていいかはわからないけど、攻略法は知ってる」


 前に何かの番組で見たものを一度試してみたいと思っていたのだ。珠希さんが笑顔になるのを見ると、だんだん鼻が高くなっていく。


「どんなの?」


「左手の法則って言って、壁に左手をついたまま進むといつかは出口に着くらしい。当てはまらない物もあるらしいけど、この迷路は入口も出口も外側にあるから、行けると思う」


「えへへ、迷うことはなさそうだね」


「ちゃんと連れてくよ」


 左手を壁につき、右手で珠希さんの手を引く。時々言葉を交わしながら、少しずつ進んでいくと、やがて少し広い空間に出た。


 頭上に広がるのは、満天の星だ。ど田舎といって差し支えない地元でも、ここまで綺麗に星が見えることはない。ただ、本物の星空と違っていろいろな色があって、見た目がとにかく賑やかで楽しかった。


「わあ! 環くん、今の大きかったよね!」


「そうだな」


 珠希さんは大きな流れ星に歓声をあげた。


「ほんとに綺麗だよねえ。みんな、ほんとに上手」


「ちゃんと天井があるって言われても信じられないよな。二組はわからないけど三組は魔術うまい子多いもんな」


「だね」


「ああ、珠希さんもだな……俺は全然だけど」


 俺も相変わらず佐々木先生のもとで補講に励んでいて、魔術師になるどころか二年生への進級が当面の目標なことには変わりない。


 しかし、事態は急激に好転してきていると思う。その証拠に、先ほど屋上から飛んだ時もな《・》


「ほんとはそんなことないんだよね?」


「いや、俺はほんとに」


「じゃあ、私だって全然だよ」


 珠希さんは肩をすくめると、くすくすといたずらっぽく笑う。


 俺が出自に関してのことを隠しているのと同じように、彼女が魔術に関しては劣等生をあえて演じているのを知っている。俺たちは互いに秘密を持ったまま、こうして一緒にいる。


 本当は、珠希さんの全てを知りたいけども。


 悲しみなんて一度も映したことがなさそうな丸い瞳。しかし、その奥から暗い影が消えることはない。また血塗られた夢が頭の中によみがえった。彼女が持つ術具が見せた夢は、俺の記憶に消えないアザみたいに染み付いている。


 誰にでも、知られたくないことはあるよな。


 振り払うように天井を見あげる。今、こうして手を繋いで一緒にいられるだけでいい。彼女もまた、おそらく何もかもに気付きながらも俺を求めてくれているのだから。


「私ね、もっと綺麗なものを知ってるんだよ」


「えっ、なんだ?」


 不意に握った右手に力を込められた。しっかりとからめられた指の感触を強く感じて、久しぶりに心臓が力強く跳ねる。すっかり慣れていたつもりなのに、まだこの身体は熱くなるらしい。


「あの時の蛍だよ」


「ど、どうも……」


 あの魔術の真実を知ってか知らずか、えへへ、と珠希さんは屈託なく笑う。


「ひんやりしてるけど、柔らかくて、優しくて。こんなに綺麗なものがこの世にあるんだなって。ずっと心から離れなくて。また、見たいなあ……なんて。怒られちゃうね。ごめんね」


 歌うように言った彼女の横顔をじっと見た。


「あ、ああ……」


 ……望んでくれているのなら、見せてあげたいと思った。


 目を凝らしても、感覚を研いでも、すぐ近くに人の気配はしない。


 ならば、あまり大きなことでなければ、この場に張られた大規模な魔術に隠されてきっと見つかりはしないはず。


 そうと決めたら即座に頭を切り替え、繋いだ手をそっと離す。


「環くん?」


 それから指を組み、目を閉じた。頭の中に、光の粒を思い描いた。


「まるいつき、みずのおと、あおいほたる」


 あの時と同じように、ひとつずつ組み立てていく。


「え? なに? どうしたの……あ!!」


 閉じたまぶたの向こうで、珠希さんが声を上げた。



 ◆



 数日前の放課後、いつもの面談室。


「先生、まだかな」


 この日は、約束の時間を過ぎても佐々木先生が現れなかった。先生はきっちりした性格ではあるが、まれにあることなので気にせず補講の準備をして椅子に座って待っていた。学校祭の直前だし、きっと忙しいのだろうと思ったからだ。


 前日の荒天とは打って変わって外は秋晴れ。耳をすませば外にいる学生たちの賑わいがかすかに聞こえた。


 同じクラスの子達も、教室棟の前の広場で模擬店の壁に貼るベニヤ板を塗装している真っ最中。急がないと間に合わないので、補講を終わらせたら俺も合流する予定だ。


 待っている間に少しだけ頭を慣らしておこうと、意識を目前に切り替え、木板の上に並べたビー玉と金属棒をじっと見つめる。


 魔術を発動させビー玉を少しだけ転がし、術式を反転させて元の位置に戻した。


 とまあ、俺は相変わらず、机の上で小さなことを起こす基礎練習に勤しんでいた。


 このくらいなら失敗なく、かつ難なくできるようになった。同じことを何千回も繰り返したおかげで、骨の髄まで染み込んで、もうすっかり迷わなくなった。


 けれど、それとともに大きくなっていったものもある。


 あることを試したい、という気持ちだ。


 これを佐々木先生に言えば『ダメだ』と止められてしまうに違いないが、やってみなければこれ以上先に進める気がしない。


 耳をそばだてたが先生が来る気配はしない。だから、今がチャンスなのでは? と思った。ここで暮らしていると、ひとりきりになれる時間などほとんどないからだ。


 このくらいの小さな魔術なら、こっそり使ったところでセンサーに捕まることもないはず。ほんの少しだけ、すぐに終わる。それに覚えたことを見失ったりはしない。大丈夫だ。


 腹をくくるとと口の中のものを一度飲み、再び目前に集中する。上着のポケットに手を当て、懐中時計が刻む鼓動を確かめる。別にこれが何かの働きをするわけではないが、なんとなくだ。


 息を深くついて、自分の中に流れる血に呼びかける。あちらでは魔力は血に溶け、身体をめぐっている……というようなイメージをする。俺が父親から最初に教わり、頭の中のより深い領域に書き込まれているのはこちらの方。


「うごけ」


 久しぶりの感覚が身体の中を走ると、先ほどと全く同じようにビー玉は転がって、戻る。こうして得られる結果は同じでも、頭の中でやっていることは全く違う。魔術を完全に解く。


 今度は自分の魂に呼びかける。これがこちらの世界……今まさに学んでいて、魔術師として求められる魔術。先ほどよりも少し速度は落ちてしまったが、俺が念じた通りビー玉は三たび同じ動きをした。


 この時、何かを掴んだ感覚があった。


 忘れないうちにふたつの魔術を交互に使い、木板の上でビー玉を行ったり来たりさせる。


 思った通りだ。ふたつの魔術の境界がはっきりしていて、切り替えができるようになっている。


 魔術を解いて、息をつく。この結果に気分は高揚するかと思いきやそんなこともなくて、なんだか変な心地だった。


 やっと地に足がつき、安心したというのに近かった。


「香坂環!! 何をやっているんだ!!」


「わあっ!!」


 びっくりして跳ねた魔力に弾かれたビー玉が、空中で止まった……正確には止められた。後ろを振り向くと、佐々木先生がおそらく限界まで目を剥いた状態で面談室のドアを開けて立っていた。


 魔術を使うのに夢中になっていて、先生が来ていたことに全く気が付かなかった。


 突き刺すような眼差しがこちらに向いている。先生は感覚が鋭敏な人だから、おそらくセンサーにも捉えられない違和感を察知している。


許可外あっちの魔術を使ったな!? どうして、今まで積みあげたものを台無しにするようなことを」


 俺の正面に回った佐々木先生は声を大きくした。これも予想通りだ。以前なら耳を覆っているほどの声量だが、毎日顔を合わせていたらさすがに慣れた。


「……すみません。でも大丈夫です。なんとなくわかりました」


「何が!?」


「混ざらなくなる方法、です」


「は……?」


 そもそも、どちらが正しい、間違っている、というのはないのだ。


 ふたつの魔術は魔力に対しての解釈が違うだけで、どちらも元を辿れば、自らの魂がその源であるという結論に行き着く。つまり似て非なるものということになる。


 小さい頃に父親から魔術の手ほどきを受けて身につけてしまった俺は、こちら側の魔術をまともに使うことができなかった。似ているからこそ、あちらの魔術を無意識のうちに混ぜてしまう癖がついてしまっていた。


 生まれ育った世界を捨てるか、魔術師になるという夢を捨てるかの選択を迫られた。俺はこちらで魔術師を目指すことを選んだ。


 一番困難と思われる道を進もうとした俺はとんでもなく幸運だった。どうしたらいいのかを一緒に考えてくれる人、困っているときに助けてくれる人がいてくれたからだ。


 そのおかげで、少しずつ目の前は拓けてきた。


 しかし、俺はふたつの世界の魔術師の血を引く唯一無二の存在。たったひとりで、曖昧な場所に漂っていることに変わりない。


 自分の中で起きていることは、他の誰にもわからない。だから、最後には自分で答えに辿り着くしかないと気がついたのだ。


 父親から受け継いだもの、母親の背中に近づくために必要なもの、どちらも大切なもので手放したくない。


 どちらかの魔術しか、というのが常識らしいのだが、俺は常識の外にいる存在だ。だから、『なんとなくできそう』な気がしたのだ。


「今まではその、こちらに対する理解が足りてなかったというか。たくさん練習したおかげで、やっと天秤が釣り合ったというか。あっちとこっちが、似て非なるものなのだということが、はっきりとわかったというか。なんとなくですが、もう大丈夫な気がします」


 気づいたことをうまく言語化できなかった俺に、『君もいよいよ訳のわからない領域に行ってしまったな』と佐々木先生は顔を引き攣らせた。


「本当に、お母さんにそっくりだよ君は。わかった。思うようにやってみるといい。全力でサポートしてみせよう」


 事情をわかってくれる佐々木先生の笑顔が、とても頼もしいものに見えた。


 そういえば母親も感覚の人で、他の誰も寄せ付けなかったと佐々木先生は語っていた。似ているという自覚は全くなかったが、その血を引いた自分もまた同じなのかもしれない、と思った。



 ◆



 両手のひらを開いた範囲に蛍を出現させると、珠希さんは小さく歓声をあげた。


「綺麗……だけど、もし見つかったら」


「大丈夫。少しだけだし」


 手のひらの上を離れた蛍は珠希さんの周りをゆらゆらと漂っている。光の粒が散らからないように魔力を制御する。


 あの時に比べるとかなりまばらだが、それは出力を絞っているから。周りに聞かれたくないことを、小さな声で話すのと同じだ。


 そういう意味では『見たい』と言われたものとは違う。もしかしたらがっかりさせたかなと思ったが、珠希さんは嬉しそうに顔を綻ばせている。


「ありがとう」


「どういたしましてっ……うっ」


 不意に抱きしめられて、心臓が飛び出しそうになってしまう。


「たまきくん」


 耳をくすぐったとびっきりの甘い声に、全身が疼いた。ゆっくりと目線を落とすと、どこか熱を帯びた潤んだ瞳と目が合った。


 こんな顔をされたらもう我慢できない。抱き返して目を閉じようとした時、突然あたりが明るくなった。


「なんだ!?」


 気づくと辺り一面に、俺が出したのと同じ色の光の粒が散らばっていた。そこまで強い力は感じないが、範囲も、密度も、俺が展開したものとは桁違いだ。


 アトラクションの演出だと思われているのか、あちこちから大きな歓声が上がるのが聞こえてくる。暗くてよくわからなかったが、そこそこ人が入っていたらしい。


 無数の光の粒はしばらくそこらを漂ってからゆっくりと舞い上がり、やがて星空に吸い込まれるように消えてしまった。それを呆然と眺めた俺の目の前で、珠希さんがひどくうろたえていた。


「た、環くん……魔力がっ、大丈夫!? びっくりさせてごめんね」


「い、いや、これは」


「ほんと、こんなところで、わ、私、なにやってたんだろうね? 恥ずかしい。ごめんなさい」


 珠希さんはなぜかスカートを何度もはたくと、ぷいと後ろを向いてしまった。これから起こることに期待して魔力が跳ねたとでも思われたのだろうが、違う。


 確かに間違えても仕方ないくらいによく似てはいるが、これは


 ……待ってくれよ、嘘だろ。


 あまりのことに頭がジクジクと痛くなった。目を閉じるとまぶたの裏で、俺そっくりな顔の白髪の魔術師がおかしそうに笑うのが見えた。


 どんなに感覚を研いでも、やっぱり気配は全く感じない。しかし人に掴ませないことに長けている父親なら、俺たちに全く気付かれずにあとをつけて、覗き見することもできるはずだ。


「く、クソおや……じ……どっかで見てやがったな」


 ほんの一分前とは別の意味で身体が熱かった。本来は封じられていて人前では出ないはずの言葉が、せり上がってくる。どうやら俺は怒りの力で黒衣の魔術師を一瞬超えてしまったらしい。


「え!? ええっ!? お、お父さんも来てるの……!?」


 珠希さんは丸い目をさらにまん丸にして、慌てた様子で辺りを見回している。


 俺はといえば、あまりにも恥ずかしすぎて震えが止まらなくなった。今度会ったら一発殴ろうと決め、拳を強く握った。

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