学校祭〈7〉星空の迷宮・2

 【紺野・淑乃】


「……おや、みんなどこに行ったんだろう」


 私の少し前を歩いていた紺野先生が足を止めて、おもむろに後ろを振り返った。それまで歩きながらもタブレットに釘付けだった先生は、ようやく状況に気づいたらしい。


「なんか、はぐれちゃったみたいですね」


 私の前には透子さんたち、後ろには香坂くんたちがいたはずだけど、いつの間にか姿が見えなくなっている。みんなで一緒にいるのに、それぞれのペースで進んじゃうのはいつものことだけど。先生と顔を見合わせると笑顔が重なったのが、ちょっと嬉しい。


「仕方ない。僕らふたりで行こうか」


「はい」


 頷きあってからしばらく進むと、片腕を広げたくらいの幅しかなかった通路が急に広くなった。休憩スペースというやつかしら。目を凝らすと、長椅子が壁沿いに置いてあるのが見えるけれど、今は誰もいない。もしかしたら、今ここには私たちだけなのかもしれない。受付にも私たちだけだったし。


 見上げると、都会では絶対に見られないであろう満天の星が広がる。星にはいろいろな色がついているので、まるで金平糖を空にばら撒いたみたいで、とってもおいしそうに見える。


 このまま迷路をまっすぐ進み続けるのもいいけれど、この可愛い星空をじっくり楽しんでみたい。でもそれを、先生に言い出していいものかしら。


「せっかくだから、そこに座って星を見ないかい?」


「はいっ!!」


 まるで心を読まれたみたいね。ドキドキしながら、先生の隣に腰掛ける。


 ロングスカートのメイド服を自然に着こなして、きちんと背筋を伸ばして足をそろえた姿は、女子である私から見ても優雅に思える。香坂くんは同じようにスカートを履いてても仕草はいつも通りって感じだったのにね。


「おや、また流れ星だね。タイミングが掴めたら、願い事を唱え放題だ。作り物に効果があるかはわからないけれど、夢があるよね」


 見た目はまるで女の人だけど、目を輝かせて空を見上げているところは、まだあどけない少年という感じ。そういえば、先生の願い事ってなんなのかしら?


「そうだ、先生は流れ星に何をお願いしますか?」


 思い切って尋ねてみると、先生は口をグッと結んで、宙を見つめている。


「んんー、そうだなあ。聞かれてみると……まあ、月並みだけど、健康に過ごせますように、ってところかなあ。君は?」


「……れ、恋愛成就ですかね。珠希さんを見てたらなんだか羨ましくなっちゃって。私もって」


 星に祈りたいことなんて、今はこのくらい。さすがに深く突っ込まれはしないだろうから、軽い気持ちで本当のことを言ってしまったわけだけど。


 でも、先生は急に真剣な表情になってしまった。


「こんなことを聞くのも申し訳ないけど、もしかして、相手は環くんだったりするかい? 前からやたらと彼のことを気にしているから、少し気になっていたんだ」


「ひえっ」


 どうやら選択肢を間違えて、妙なルートに迷い込んでしまったらしい。確かに香坂くんがデートに行く時、上手くできるか心配になって後をつけたわ。それに誕生日をサプライズでお祝いしたくて先生に色々手引きをしてもらったり、心当たりはどっさりあるわね。


 けれど、それは……先生は視線をうろつかせる私を見てじっと眉を寄せている。きっと本気で私が彼を好きだと思っているのだろう。


 先生が心配する気持ちもわかる。前に透子さんに聞いたところによると、特例で魔術学校に通う香坂くんの立場は微妙らしく、特にその手の揉めごとは御法度だそう。まあ彼は真面目な性格だから、自分からどうこうということはなさそうだけど。


 私としても、香坂くんはそういう対象ではないというかなんというか。優しくて誠実でいい人だし、頼りにもなるけれどね。


「……確かに、それはつらいかもしれないね。星に願いたくなる気持ちもわかるよ」


 グルグルと香坂くんのことを考えている私の横で、先生は本当に心配そうなおをしている。


 ダメだ、完全に誤解されている。どうして普通に学業成就とか無病息災とか言えなかったのかしらね? 自覚はなかったけど、女の子らしくて可愛いお願いとか思われたかったのかしら?


 だって、私が好きなのは……。


「せ、先生です」


「えっ、ぼ、僕だって?」


 心の中だけで言ったつもりだったのに、外に出ちゃったみたい。ほんと、今日はどれだけ口が滑るのかしら。けれど、先生を相手に上手くごまかしも言い逃れもできそうもない。


「そ、そうです。先生が好きなんです、私。ま、前にご一緒した時から、そのっ、あの……」


 以前より恋愛漫画や小説に親しんでいた私は、告白というイベントに対して頭の中で甘い理想をはち切れんばかりに膨らませていた。それなのに、ああ、こんなにヤケクソな告白があるかしら。


 だって、満点の星空の下というシチュエーションこそ最高だけど、あとは全部ダメダメじゃない。しょっぱすぎてロマンチックじゃないわ。オッケーと言われてやっとトントンってところね。けれど、


「……そうか、ごめんね」


 はい、ダメでした。森戸淑乃、十六歳。あっけなく撃沈。当然と言えば当然の結果ね。やっぱり、現実は漫画や小説みたいにうまくはいかないみたい。


 ジリっとした痛みが走って、たまらず心臓のあるあたりを押さえた。鼓動は打っているけれど、今までに感じたことのないものが胸の奥底から込み上げていた。


 生きていれば誰でも失恋くらいするだろうけれど、我が身に降りかかるとやっぱりちょっぴり悲しい。こんなにも、ひんやりと冷たくて痛い気持ちになるものなのね。


 無邪気に光が瞬く星空を背負って、先生はいつもと同じように柔らかな表情をしている。


 薄い色の瞳はしっかりと私をとらえて離さない。生徒に告白されても動揺している様子はなさそう。この手のことなんか慣れっこなのかしら。まっすぐに見られるのは気まずくて、ポニーテールの先をいじりながらうつむいた。


「……ごめんなさい」


 こうなるともう、謝るしかない。勢いのままに先生にアタックするなんて私はいったい何を考えていたのかしら。


 先生は思案を巡らせているのか、じいっと黙っていた。いっそ思いっきり笑い飛ばしてくれたらいいのにと思ったけれど、先生はそうしてくれない。沈黙が苦しい。まるで首を絞められているみたい。


「いいや……互いの立場がどうあっても、誰かを想うことは間違いではないし、想ってもらえるのは幸せなことだからね。だから、純粋に嬉しいとは思う。けれど、受け入れるかというと話は別で」


「私は子供で学生で、先生は大人だからってことですか」


 先生は目を伏せて微かに笑うと、ゆっくり頷く。


「そういうことだ。現れるかどうかはわからないけれど、後に続く人の足枷になってはいけないからね。そこは潔癖でないといけないと思ってるよ」


「ごめんなさい」


 やっぱり、寄るところなくゆらゆらと揺蕩たゆたっているようでいて、芯がしっかりと通っているのを感じる。


「こちらこそ。せっかく勇気を出してくれたのに、ごめんね」


「はい……」


 こうして大人しか相手にしないと言う態度をはっきりさせつつも、勢い余って愚かなことを言った私のことを笑ったりもしない。本当に優しい人。こういうところに惹かれたの、きっと。


「でもね、君の勉強熱心で友達想いなところ、とてもまぶしくて素敵だと思っているよ。もし僕が学生だったら、いや、なんでもない」


 ……あら?


 小さな声だったけど、バッチリ聞いてしまった。先生はまるで甘いものでも含んだような顔をしている。これって別に悪い気はしていないってこと?


「あの、じゃあ、私が大人になったら、もう一度伝えてもいいですか」


「えっ」


「……やっぱり諦めきれないんですよね。だからまた」


 だって気づいてしまったんだもの。子供という理由で追い払われてしまったなら、大人になればいいんだと。引き下がらなかった私に驚いたのか、先生は明らかにたじろいだ。


「いやいや、だって君はまだ一年生だし、それは何年も後だろう? 人の心はうつろうものだし、僕だってその時にどう答えるかはわからないよ。学生が相手じゃないなら、心を折るようなこっぴどいことを言ってしまうかもしれないし、もしかしたら他に……ないか。とにかく僕は、待つ価値があるほどたいそうな人間じゃないよ。考え直した方がいい」


 先生はちょっと困ったような顔をして、立て板に水とはこのことと言わんばかりの勢いで言葉を並べた。


「それでも行きます。きっと行きます」


 だから私もその流れに乗るように、さらに畳み掛けた。こういう時はとにかく押すものだと、たくさんの物語に触れて学んでいるから。


「……じゃあ、三年半後を楽しみに待ってるよ。きっとそれまでに、愛想を尽かされているだろうけどねえ」


「振り向いてもらえるように頑張ります」


 先生は降参したと言わんばかりに両手を上げ、おかしそうに笑いだす。冷ややかなものではなく、まるでおませなことを言った小さい子を愛おしむような、そんな感じで。


 ちょっとバツが悪くなったけど、だからと言って変に背伸びすることを考えずに、しっかり地に足をつけて歩いていかなきゃと思う。


 だって、急がなくったってそのうち大人にはなれるのだから、いつか先生の隣に立つにふさわしい人間になるために、自分を磨くことを怠らないだけ。胸の奥で星が輝いたのと同時に、足元から無数の光の粒が舞い上がった。


「おや?」


 小指の先ほどの大きさの青白い光が、視界いっぱいに散らばっていく。


「……ああ、綺麗だ。まるで蛍みたいだねえ」


「はい……」


 光の粒は、それぞれがまるで生きているかのようにゆっくりと動き回っている。本物の蛍はまだ見たことがないけれど、そうとしか喩えようのない光景。


「でも、こんなのさっきの術式に組み込まれてたっけ。サプライズ演出かな……んん、動きが変わっている……これだけのことをしようと思うと……結構な魔力量が……」


 先生は真面目な顔になり、どこからか取り出したタブレットを確認しながらぶつぶつ呟く。それから電卓アプリを呼び出し、もくもくと計算しはじめた。


 私がじっと見ていることにも気づかずに、ずらっと並ぶ記号や数字と睨めっこしている。面白いお兄さんというイメージが強いけれど、たまに見られる真剣な顔も、まさに学者さんという感じで素敵ね。


 蛍が鼻先をふわっと横切った時、私はあることに気がついた。このひんやりとした光の持ち主が誰なのかに思い当たったのだ。光に指で触れて、確信する。


「……ああ、そうだわ。これって、香坂くんのだわ」


「えっ!? これ、環くんの仕業なのかい!?」


「はい」


 魔力は人によって……例えるならば温度や色、触り心地が違うのだけど、香坂くんのは青くてなめらかで少し冷たい。温かかったり、熱いと感じることが多い中で、ちょっと珍しいタイプのように思う。もしかすると男の子だからかもしれないけど、他に比べようがないからよくわからないわね。


 こんなにもわかりやすいのに、どうして気づかなかったのかしらと思ったけれど、よく考えたら先生は魔術師じゃない。普通の人には魔力を見分けることはおろか、感じることすらできないのだった。


 私もこの感覚が掴めたのはごく最近だけれど、すぐにわかったのはきっと、彼の力に何度か間近で触れたことがあるから。一緒に空を飛んでしまった時のことを思い出しても、やっと顔が熱くならなくなったわね。


 大きなため息と共にタブレットをゆっくり閉じた先生の目は、なぜかぎゅっと吊り上がっていた。どうやら、とっても怒っていらっしゃるようで。余計なことを言ってしまったかしら。


「……っっ、またか……森戸さん、申し訳ないけどすぐに出よう。彼に厳重注意しなければ」


 それは幻想的な光景には不釣り合いな、あまりにも低い声だった。『またか』ということは、香坂くん、今日は他にもやらかしちゃったのかしら。


「え、ちゅ、注意ですか?」


「……ああ、ごめんね。今日はこれで二度目なものだから、さすがに看過できないんだ」


 あら、やっぱりそうなのね。私が黙っていればバレなかったかもしれないのに、なんだか告げ口してしまったみたい。ごめんなさい、香坂くん。


 学生が魔術を許可外で使用することは、内容にもよるけどバレればそこそこ強めに叱られる行為だ。大きな雷が落ちるかもしれないことに身を震わせながら、先生の後に続いた。


 迷路をひた進むその足取りに迷いは全くない。まるで出口が、行くべきところがどこなのかをちゃんと知っているみたい。きっと今までも、こんな風に自分の信じる道をまっすぐ進んで来られて、これからも止まることがないのだろう。


 私についていけるかしら。先生の背中から目を外し、ちらりと見上げた天井にま大きな星が流れる。


――いいえ、今は少し後ろを歩くしかないけれど、いつかきっと追いついてみせるわ。星に願わなくても、自分の力で。

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