学校祭〈7〉星空の迷宮・1

 【礼音・透子】


 ふと見上げたでたらめな星空に、すうっと一筋の星が流れた。魔術で作り出された幻だとわかっていても、思わず願をかけてしまう。透子といられるこの時が、ずっと続きますようにと。


 想いを寄せている人と暗がりでふたりきりなんて、最高のシチュエーションというか。一歩先を歩いていた透子は立ち止まると、くるりとこちらを振り返った。


「昔、庭の迷路で遊んだのを思いだすでござるな」


「うん。透子はいつもあっという間に抜けちゃうから、いつもぼくは置いてきぼりだったね」


「ぬぬ、その節はすまんかったの」


 透子の家の庭にある迷路で、幼い頃はよくふたりで遊んでいた。背は透子よりかろうじて高かったが、気が弱くて泣き虫で、おまけに足も遅かったぼく。


 はぐれないように透子の背中を必死で追っかけていたのだが、途中で取り残されて泣いてしまうなんてことはしょっちゅうだった。


 今に至るまで散々ぼくの情けないところを見ているのに、透子は愛想を尽かすこともなく、今もこうして一緒にいてくれる。夢見ているような甘い関係ではないが、隣にいることを許されているだけで十分だ。


「ううん。でも、自分より小さい女の子に負けるのは悔しかったかも。ましてやぼくは透子のお婿さんになるのに、こんなのでいいのかなってうじうじ悩んでたな」


「そうだったのかね」


 その時、そっとぼくの指先に温かいものが触れ、指を絡め取られる。それがぼくのものより一回り小さい手で、しかも透子のものであることに気がついた瞬間、心臓が飛び跳ねた。


「うわああっ!? えっ!? えっ!?」


「……なにを驚いておるのかね。このように暗い場所では、ともすればすぐにはぐれてしまうだろう」


「そ、そそそそ、そうだけどっ、どどど、どうして、こんな」


 透子の手にさらに力が入ると、血管が耐えきれずに破れるのではないかと思うほどに鼓動が大きく、速くなる。


 近頃はともかくとして、小さい頃には手を繋いだことくらいはあるはずだが、今のこれは、その、いわゆる、こ、恋人繋ぎというやつじゃないか!!


 沸騰しそうになっている僕を見て、透子は珍しくバツが悪そうに、ほんの少しだけだけ口を尖らせていた。


「反省しておるのだよ。一応。今日も置いてけぼりにしてしまってすまなかった」


「きっ、気にしてないからっ」


 初めて来た場所で置いてけぼりにされたことなど、もはや問題ですらない。僕はそんな透子の自由なところに惹かれているし、敵についても深く知ることができた。


 敵……もとい香坂環は、別に人物ではなかった。選ばれし存在であることを鼻にかけることもない。周りの人間も彼を当たり前のように受け入れて、魔術学校という特殊な場所にごく自然になじんでいるように見える。


 透子とは少し距離が近すぎるので、苛立たしくもあったが、透子の方から飛びかかることもあるんだろうから致し方なしか。まあ、少なくとも思慮のようなものは感じたのでギリギリよしとする。


「あやねどの、ここらで少し休まないかね。せっかくの景色だから、もう少し楽しみたいのだが」


「そうだね」


 ちょうど休憩スペースとやらに出たのか、今までよりほんの少しだけ辺りが明るくなっていた。とは言え隣に立つ透子の表情がギリギリ視認できる程度の明るさしかない。長椅子が置かれていたので腰掛けて、揃って天井を見上げる。


「これはおそらく相当複雑な術式が使われておるな。増幅器を限界まで設置しても、ここまでの大規模な幻影を安定して持たせるのは至難の業。何か工夫があるのだろうな。ぜひ術式を見てみたいものだ」


「そういえばさっきメイド服着たやたら大きな人が、タブレットで何か見ていたよね……あれがそう?」


「ああ、そうだ。紺野先生がデータを貰っておったの。あとで見せてもらうことにしよう」


 紺野……どこかで聞いたことがある気がしたが、思い出せない。まあいいか。


 流れ星が流れると、いまだに願いたくなってしまう。僕も魔術に目覚めたりしないだろうかというのは、あいつの存在を知ってから今まで、幾度となく願ってきたことだ。


 なぜなら透子のお母さん、蓮香さんは、比較的柔軟な考えをお持ちの方でもある。杞憂かもしれないが、もしも四宮にあいつの血を引き入れたいなんてことになってしまったら、ぼくは透子に必要なくなるのではと懸念しているのだ――。


「……もしや、たまきくんのことを気にしておるのかね?」


「いや、別に気にしてない」


 さすが透子。凡才が考えていることなどお見通しである。もしかしたら今はその手の魔術が使えるのかもしれない。唸るぼくを透子はけけっと笑った。


「心配せずとも、わたしはきみが間違いなく一番好きだよ。まあ、きみが感じているものとは少しばかり形は違うかも知れぬが」


「っっ」


 天使のような微笑みを向けられ、とうとう、何も言えなくなってしまった。きっと恋とか情愛とは違うものだと言いたいのだろうが、それでも構わない。


 透子からも一番だと思ってもらえていたなんて。そんな、そんな奇跡があるだろうか。


 なんというか、今、とんでもない高熱が出ている気がする。果たしてぼくは生きてこの迷路から出られるのだろうか。でも生きて出なければ、透子との未来もない。


 立ち上がれ、礼音!!


「ん? これは……」


 つられるように立ち上がった透子が不意に声を上げた。その理由は、すぐにわかった。


 青白い光が一粒、蛍のようにどこからともなく飛んできて、目の前を横切っていく。ひとつ、ふたつ、みっつ……これもこのアトラクションの演出か? と思った次の瞬間。


 蛍のような光はさらに数を増やし、あっという間に数え切れないほどになった。そのひとつひとつがまるで意思を持っているかのように、バラバラの軌道で当たりを漂っている。暗い迷路の中に、歓声が響く。


「すごいな、綺麗だ……」


「そうだの……おや、これは」


 幻想的な光景に、ぼくも柄にもなく感動してしまった。こんなに美しい景色を透子と手を繋いで見ていることに、今にも身がとろけてしまいそうな幸福を感じていた。生まれて初めて味わったと言ってもいい、甘美で、


 いや待てよ、生まれて初めて?


――そうだ。ぼくは、この色の光を見たことがある。それも、ごくごく最近の話だ。


 透子が光の粒を見てじっと目を凝らし、


「……これは、たまきくんのに似ておるの。いや、似ているというか、そのもののような……」


 想像通りのことを呟いた。


「ああっ!?!?」


 そうだった!! 女装したあいつが、子供の風船を取ってやるために同じ色の光の尾を引きながら空を飛んだことを思い出した。


 ぼくは心に氷水をぶっかけ、緩み切った顔を引き締めた。辺りをくまなく見回し、同じ迷路の中にいるはずのその発生源を探す。何も見えないが、魔術で姿を隠すこともできるというし、油断はできない。


 そう、ぼくはまんまと香坂環が仕掛けた罠にかかってしまったのだ!!


「クソッ!! どこにいるんだ!? 香坂環!!」


「あやねどの!? いったいどうしたのかね!?」


 透子に本音を告白され、デレデレとだらしなく笑うぼくを見て、陰でほくそ笑んでいるに違いないと思うと……もう、いてもたってもいられなかった!!

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