学校祭〈6〉ひと段落して

 時刻は昼の一時。六弥くんとは一旦別れ、俺は透子と共に『喫茶・フォーリーブス』にいた。


「いらっしゃいませでござるよ。四名様、ささ、どうぞこちらへ」


「ティーセットみっつ、お待たせしましたの。ごゆっくりどうぞですぞ」


 大金持ちのお嬢様な上に奇妙奇天烈摩訶不思議な生態を持つ透子ではあるが、雑用の類も意外と器用にこなす。テキパキとホールで給仕をする姿はなんというか、堂に入っていた。


「先輩、ホットコーヒーをふたつお願いします」


「いちご味とチョコ味のドーナツをひとつずつ、それとパンケーキをひとつ……一番テーブルだったな」


 俺も懸命に働いていた。注文を確認して品物を揃え、お客さんのもとに運ぶ。


 さて今の店の状況は、テーブルは一応埋まっているが、待っているお客さんはいない状態。一階に出店している和風カフェはかなり賑わっていたが、それに比べると寂しい雰囲気だ。


 実は今年、飲食の出店が例年より多いらしい。窓からの景色や雰囲気を優先し、ゆいいつ建物の二階に店を構えた喫茶フォーリーブスは、他店に完全に遅れをとってしまっていた。


 景色はとてもいいのに……思惑が外れたことに肩を落としたが、「別に香坂くんの独断じゃないんだからさ」「落ち着きがウリならこれで正解かもよ」とみんなが励ましてくれたので、ホッと胸を撫でおろす。


 それでも「できることはやろう」ということで、急きょ宣伝隊を増員したが、このままでは完売は危うし……かと思われたその時、二人の救世主が現れる。


「あのおっちゃん、ずいぶん甘いもの好きなんやねえ」


 実は無類の甘党でもある高月さんが、ここでは食べることができない父親の分もと思ったのか、五つめのドーナッツをかじっている。そして。


「ねえ、ひと箱全部なくなっちゃいそう! 二番テーブルのあの子、やっぱり大食いチャレンジか何かかなあ」


 先ほど、ふらりと金券の束を持って現れた六弥くんが、ここでも桁違いの食いっぷりを見せていた。


 その胃袋の性能は先ほど見せつけられた通り。四人前のカツカレーを食べてからまだ一時間半ほどしか経っていないのに、レンガの壁のように積み上げられたお菓子がみるみるうちに消えていく。まるで魔術師のように見えた。


 するとどうだろうか、彼の姿が通りがかりの人の目についたらしく、急にお客さんが集まり始めたのだ。厨房もホールも、にわかに忙しくなる。


「あの子、本当にあの束をここで全部使いきるつもりなんだ。どこのだよ。いや、神様か」


「この調子だと早めにお店閉めないとだめかも。宣伝隊にはそろそろ引き上げてきてもらわないとだね」


「早く遊びに行きたいって思ってたけど、終わるって思うと寂しくなってきたなあ」


 クラスメイトがわいわいと騒ぐのを横目に、高月さんが退店するのを見送った。佐々木先生からの言いつけ通り、繋がりを悟られないように目で合図だけすると、笑顔で手を振ってくれた。


「あのおじさんもめちゃくちゃ食べてくれたよね」


「誰かのお父さんかな?」


 俺の伯父さんだよと言いかけたが、心の中だけで笑った。六弥くんほどではないが、高月さんも一人で五人前を平らげた謎の甘党おじさんとして、しばらくはクラスの語り草になってしまうかもしれない。


「香坂くん、二番テーブルに追加の飲み物お願い」


「わかった」


 俺は紙コップが満載されたトレイを受け取ると、六弥くんの前に立った。彼は間違いなくこのクラスの恩人だ。


「はいお待たせ。ありがとうな。君のおかげで助かった」


 並べられたコップを見て、六弥くんは大きなため息をついた。


「はあ。これも透子のためだから、礼を言われる筋合いはない。ほんと何でお前がメイド服姿で透子は………こういうのを理不尽って言うんだ、香坂環」


 六弥くんはこの店の制服のことをまだ根に持っているらしく、ぶすくれた様子で焼き菓子を頬張り続けていた。



 ◆



「では、みなさんお疲れ様でした!」


 午後二時半、『喫茶フォーリーブス』は、用意していたお菓子をすべて売り切ったため閉店となった。みんなで記念写真を撮って、軽く後片付けをした後、実習室に施錠。


 それから俺と副委員長の二人で売上金となる金券を学生会の窓口に預けに行った。ここからは自由時間だ。


 その後は教室棟に戻り、男子更衣室でカツラを外してからメイド服を脱ぎ、朝に教えてもらったとおりに化粧を落とした。


 私服に着替えればようやく魔法が解け、元通りの俺になる。


「ああー! 疲れたな!!」


 ボトルに入った麦茶を一気にあおり、叫んでしまった。椅子に座ったまま伸びをする。


 ちなみに、クラスの他の子たちはそのままの服装で学校祭を回るらしい。せっかくこのために用意した衣装なので、今日一日着ていたいとみんなが口をそろえていた。俺も着替えることはないと言われたが、記念撮影も終わったので丁重にお断りした。


 半日ほどスカート姿で過ごしたが、やっぱりズボンの方が落ち着く。カツラが重かったからなのか、すっかりこわばってしまった両肩をぐるぐる回しながら廊下へ出た。


 教室棟は学校関係者以外立ち入り禁止にしてあるため、廊下にいる人影はまばらだった。外の賑わいは耳を澄ませばかすかに聞こえてくるくらいで、まるで授業中かと思うほどに静まりかえっていた。


 友達との待ち合わせ場所を目指しながら窓の外を見れば、色とりどりの風船が空を埋め尽くしていた。本物の風船か、それとも魔術で作り出された幻かをここから見分けることはできないが、空の向こうを目指すかのように一斉に飛んでいく。


 気になったので、ポケットから今日のタイムテーブルを取り出して広げる。ちょうどメインステージで五年生による実演が行われている最中……ということはどうやら魔術らしい。


 空を埋め尽くしていた風船が次々に弾け白い鳩に変わり、それも空に溶けるようにして消える。大きな歓声が上がるのが聞こえた。


 代わりに筆で書いたような薄い雲が空を流れている。そういえば、父親と高月さんはもうあちらへ帰っただろうか? 上着のポケットから懐中時計を取り出した。


 蓋を開けると、いぶし銀の時計は相変わらず淡々と動いている。


 時刻は午後三時前、父親はさすがにタイムオーバーではないだろうか。主治医である高月さんがついているのなら心配はいらないのかもしれないが、あまり無理はしてほしくない。


「あれ? お洋服脱いじゃったんだね。よく似合ってたのになあ」


 不意打ちにドキッとして振り返ると、珠希さんがいつものように笑いながら立っていた。メイド服のエプロンを外しただけの深緑色のワンピース姿。いつもは明るい色の服を選んでいることが多い彼女だが、こういう落ち着いた色のものもよく似合っている。


「褒めてもらえるのはうれしいけど、今後は遠慮したいかなあ。母さんにまで見られるし、ほんともう」


 俺が頭を掻くと、珠希さんは何かを思い出したような顔になった。


「そういえば、お母様……」


「ああ、ごめんな。なんか浮かれてたみたいで……恥ずかしいな」


 一番客としてクラスの模擬店に訪れた母親は、大胆にもクラスメイトの面前で珠希さんを実家に来ないかと誘った。彼女と付き合っていることは親しい友人以外には隠していたのに、秘密はあっけなく白日の下にさらされてしまったのだ。


 そのせいで、俺が昼食に出ている間に珠希さんは質問攻めに遭ったらしい。申し訳ないと謝ったが、珠希さんは首を横に振る。


「ううん。みんなにバレちゃったのは恥ずかしかったけど、お母様に優しくしてもらえて本当に嬉しかったよ。今からすっごく楽しみ」


「そっか、よかった」


 冬休みまではあと二ヶ月弱。地元で彼女に何を見せようかと考えたが、あの田舎には特に自慢できるような物もない。どうやって時間を潰せばいいかを考えた方がいいかもしれない。


 でも、彼女とふたりでいられるならきっと楽しいはず。俺も今から楽しみでしょうがない。


「あ! ふたりとも、まだここにいたのね」


 廊下の奥から、森戸さんと紺野先生が顔を出す。森戸さんは模擬店の衣装からエプロンを外しただけの姿。先生はなんと、まだメイド服を着たままだ。


「お疲れ様、環くん。女の子の格好も似合ってたけど、やっぱりそっちの方が自然だね」


「あはは。先生こそお疲れ様です。まだその格好でいるんですか?」


「いやあ。この後、学生から記念撮影を頼まれててねえ。まだまだ脱げそうにないよ」


 俺とは違い、先生はこの格好が気に入っているらしくまんざらでもない様子で笑う。仕事の合間で少し時間があるので、みんなで学校祭を一緒に回りたいとついてきたのだそうだ。


「ねえねえ、早く『星空の迷宮』に行きましょ! 透子さんたちも気になってるらしくて、先に行ってるって」


「ああ、俺もそこに行きたい。昼飯の時に三井さんに直々に誘われたんだ。なんでも……」


 森戸さんの誘いに頷いた。俺たちが行けばサービスすると言われたことを思い出したが、口から出す直前でとどまった。


 三井さんからは、珠希さんと二人で来いと念を押された上に、そのサービスの内容とやらもカップル向けの何かだと伝えられている。あとは暗闇でイチャイチャできるだのなんだのと、思い出すだけで顔が熱くなることを言われたのだった。


 落ち着くためにため息をつく。その辺を森戸さんに知られるとめんどくさい。たぶん。それに、珠希さんにもあんまり知られたくない。下心丸出しだと思われるのも癪だ。


「どうしたの?」


 珠希さんが首をかしげたのを笑ってかわした。


「なんでもない。じゃあ、とりあえず行くか。『星空の迷宮』に」


 頷き合った俺たちは、会場となる体育館目指して歩き出した。



 ◆



『星空の迷宮』は、この学校祭で一、二を争う話題のアトラクションだ。しかし祭りのピークを過ぎた午後三時ともなれば入場待ちの行列もなくなっており、現在は待ち時間がない旨の張り紙がしてあった。


 先ほど森戸さんが言った通り、透子と六弥くんの姿が受付前にあった。透子がこちらを見てブンブンと手を振っている。


「あ、皆来たでござるね!! さっそく中へ入ろうではないか!!」


 一年二組と三組、そして専科で幻影術を専攻する六年生が合同で出店したアトラクションで、中は迷路になっており、出口を探しながら星空の散歩を楽しめる。中央にもうけられた休憩ゾーンでは寝そべって空を見上げ、くつろぐこともできるそうだ。


 そうしてゆっくり楽しむのもいいが、規定時間内に迷路を抜けられれば景品がもらえるので、そちらを目指す楽しみ方もある。よく考えられていると思った。


 受付で金券一枚ずつを支払うのと引き換えに、番号札をもらって首にかける。そして、係の子に案内されて中に入った。


「わあー!!」


 暗幕をかき分けた先にあった光景に、女の子たちの歓声が上がる。俺もおもわず同じように声を上げていた。


 足元にはほの明るく光る雲が、見上げれば満天の星空が広がっている。見慣れているはずの体育館が、全くの非日常へと姿を変えていた。


 中は真っ暗闇というほどではなく、隣にいる人の表情ならばちゃんと視認できる程度の暗さ。ゆったりと流れるオルゴールの優しい音色が、癒しの幻想空間をさりげなく飾っている。


 俺のすぐ隣に立つ珠希さんの顔を見ると、感激しているといった様子で目を大きく開き、数多の星が瞬く天井を見つめていた。


 暗幕を引いて暗くした体育館に、幻影術で作り出した世界。現代では極めて実用的に使われるイメージの強い魔術だが、それだけではない。先ほど空を彩っていた無数の風船と同じように、こんな夢のような光景を作ることもできる。


「ほほう! 本当に星空の中に立っているようでござるな! すばらしい!」


「そうだね。星の配置はでたらめだけど、綺麗なものだ」


 俺の前では終始不機嫌だった六弥くんも、今は楽しそうにしていて、透子も彼の隣で雲を踏みしめるようなそぶりを見せ喜んでいる。


 感触はただの床そのものだが、雲は足の動きに連動してちゃんと動いている。すごい、一体どうやっているのだろう。


「へえ。こんな複雑なものを、一年生が演術補助しているのか……これは大したものだ」


 紺野先生はこのアトラクションで使われている術式をタブレットで確認している。データーは受付でもらったらしい。森戸さんはその隣で一緒に画面を覗いていた。


「二組も三組も魔術がうまい子が多いんです。実技の成績上位者はこのふたクラスの子がほとんどって感じで」


「へえ、なるほど。なら僕はあの時、君のことを少し見くびっていたのかもね」


「いいえ、そんな。私は単に馬鹿力なだけで」


「それだけじゃあ、一番にはなれないと思うけれどねえ」


 ふたりは途中からよくわからない会話をして、笑い合っている。前々から少し不思議に思っていたが……


「ねえ、淑乃ちゃんと紺野先生って、ほんと仲良しさんだよね」


「……やっぱりそう思うよな」


 俺が思ったことを、珠希さんにそっくりそのまま耳打ちされた。


 俺もふたりは妙に仲がいいと思っている。いつからかと思い返してみたが、俺の誕生日をサプライズで祝ってくれたあたりからだろうか。


 あれを言い出したのは森戸さんだという。男子寮の部屋に仕掛けをするためには先生と直接やりとりをしないといけないはずだし、それで意気投合したとしてもおかしくはないが……それだけだろうか?


 ん? 待てよ。よくよく考えれば、それよりも前な気がしなくもないが……あれ?


 俺は、何か肝心なことを忘れている気がする。


 モヤモヤとしたものを捕まえたくて、腕を組んでじいっと考えた。先生と森戸さんに関して引っかかっていたことがあるはずなのだが、何だったのかどうしても思い出せない。うーん。


 ツンツンと二の腕をつつかれたので見ると、珠希さんが首を傾げていた。


「ねえ、環くん、難しい顔してどうかしたの……」


「ん? ああ、なんでもないよ。ごめん」


「よかった。ところで、みんなに置いてかれちゃったみたいだね」


「あっ!!」


 しまった。考えるのに夢中で足を動かすのを忘れていた。


 気がつけば、俺と珠希さんは満天の星空の下でふたりきりになっていた。

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